見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2007/07/31

現在と未来の世代に教えねばならない


米下院が30日の本会議で、従軍慰安婦問題に関する対日謝罪要求決議案を採択した。決議に法的拘束力はないものの、民主党の「小沢を取るか安倍を取るか」の選挙だと自ら国民に訴えかけておきながら、大敗したのに続投を早々に決めていた安倍晋三首相にとっては大きな打撃に違いない。これまた自信を持って進める日米同盟に悪い影響がでる可能性もある。
決議の採決は発声投票で実施され、出席議員から「異議」は出ず、全会一致に近い形で採択された。
ところでこの「慰安婦決議」の要旨についてご存じでしたか。
米下院が30日に採択した対日謝罪要求決議の要旨は以下の通りです。(時事通信)
 1、日本政府は1930年代および第二次大戦中、帝国軍の性的奴隷とする目的で若い女性を手に入れるよう正式に指示した。
 1、その残忍性・重大性において前例がないと思われる慰安婦制度は20世紀最大の人身売買事件の一つである。
 1、日本の教科書の一部は慰安婦の悲劇や他の戦争犯罪を軽視しようとしている。
 1、日本の官民双方の関係者は最近、93年の河野官房長官談話を弱めようとの意思を表明した。
 1、日本帝国軍がアジア・太平洋の島々で性的奴隷となるよう若い女性に強制したことに対し、日本政府は明確かつあいまいさの残らない形で公式に事実を認め、謝罪し、歴史的な責任を受け入れるべきである。
 1、首相が公の声明として謝罪すれば、これまでの声明の誠意に関して繰り返される疑問の解決に役立つだろう。
 1、日本政府は性的奴隷・慰安婦の売買の存在を否定するいかなる主張に対しても明確かつ公に反論しなければならない。
 1、日本政府は慰安婦に関する国際社会の勧告に従いながら、現在と未来の世代を教育しなければならない。
 1、日米同盟はアジア太平洋地域の平和と安定の礎だ。

上の写真は、記事とはまったく関連のないわがやのボクサー犬です。彼のタンは幅広で変わった形のせいか、よく人の視線にとまります。暑いと、くるくるっと丸まって、この写真のときはまだまだですが、ひどいときには丸まったタンが喉を締めつけて呼吸できなくさせます。そうなると死んじゃうので、これを聞いてからは、朝早起きして運動に連れ出すようにしています。今朝は公園に落ちていたサッカーボールを夢中になって追いかけて、いい運動になりました。まだ涼しかったしな。
写真はクリックすると拡大版で見ることができます。

極度の貧困に追いやられるイラク民


オックスファムとイラクNGO連合からの新しい報告によると、イラクの人口のほぼ三分の一が緊急の医療援助を必要としている(BBCニュース)

報告には、イラク政府が800万人に達する、水、衛生設備、食料、シェルターといった生活に不可欠な基本的要素の提供を怠ってきているとある。
2003年の侵略以来、ますます悪化している永続する暴力のすさまじさが人道的危機を隠してきていると警告した。
400万人のイラク人が暴力のすさまじさによって住み慣れた土地を離れて生活を変えてきていることもわかった。
報告によると、200万人以上が国内で住み慣れた環境から外されているとはいえ、さらに200万人が隣国に流れていた。
木曜、ヨルダンでの国際会議が窮境にある難民を助けることを誓約した。

◇生活手段を失ったイラク人家族◇
何百万ものイラク人が暴力のすさまじさを逃れることを余儀なくされている、イラクの別の地域にせよ海外にせよ、その多くが極度の貧困状態で生きている

「極度の貧困」
UKに拠点を置く慈善団体とイラクNGO調整委員会(NCCI)による報告が恐怖を抱かせる判断を下すとバグダッドのBBCの記者ニコラス・ウイッチェルは伝える。
イラク人が直面する最大の問題は交戦だが、人口が「病気と栄養失調によってますます脅かされる」のがわかるのを調査は事実として受け入れた。
侵略以前の50%に比べ、イラク人口2650万人の70%が十分な水の補給なしにいるのを報告は示す。実際の衛生設備に手が届くのはわずか20%。
子供のほぼ30%が栄養失調、4年前の状況から急激な増加。イラク人の15%は普通に食べることができないでいる。
この報告にはイラクの子供たちの92%が問題を知ることで病んだともあった。
「長年の戦争と制裁によって損なわれた基本的備えはイラク人の不足を満たすことができない」とオックスファムインターナショナルのディレクター、ジェレミー・ホッブズは言った。
暴力のすさまじさにもかかわらず、イラク政府と国際社会はもっと人々の不足を満たすことができるはずだとホッブス氏は言った。
「心的に生活手段を失った人も含め、弱者に対して食料の包みを配るのと現金の支払いを拡大することで、イラク政府はイラクの最貧市民を助けることに本腰を入れる必要があります」と彼は言った。
「西側提供者はイラクと国際援助団体を通して機能しなければなりません、これらの組織が効果的に効率よく稼働するのを確実にするには、もっとフレキシブルなシステムを開発する必要があります。」
オックスファムは安全を理由に2003年以来イラクで稼働してきていない。

写真は、バグダッドで食料ボックスとブランケットを配る米兵の目に留まろうと精一杯やってるイラクの人たち。こんなことになったのはいったい誰のせい?頭くるよね。

2007/07/30

イラクがサウジアラビアを破った




イラクが勝ちました!
アジアカップの決勝戦で放ったユニスのゴールによって強豪サウジアラビアを負かすという悲願の歴史的瞬間をイラク人がわがものにしたのです。
今夜、うれしいことが2つありました。この宗派の違い人種の違いをすべてとっぱらって結成されたイラクチームがサウジに勝利したこと!そして日本の自民党に国民がノーと言って大きな敗北を食らわせた!ことです。
イラクのイレブン全員が、家族や親戚や親しい人が殺されるか行方不明かレイプされる経験を持つ。

イラクがフットボールの勝利を祝う(BBCニュースより)
イラクがサウジアラビアを1−0で負かした。当局がクルマの乗り入れを禁止してファンに集まらないよう追い立てていたバグダッドで勝利を祝う銃声が聞こえた。
群衆が爆弾の標的にされるのではと恐れられた。水曜日の準決勝・韓国戦で勝った後、50人が死んだのだ。
記者たちはイラクの躍進が一時的に国の分裂をひとつに結束させていると伝える。
イラクチームにはクルド人はもちろん、イスラム教スンニ派とシーア派がいる。
TVでインドネシアで行われた試合を追っていた何千というイラク人が祝うために首都バグダッドや他の街の通りにどっと押し寄せた。
バグダッドの群衆には治安部隊のメンバーも含まれる。そのような誇示はなんであれ罰せられるとの当局による事前の警告にもかかわらず、空に向かって銃が発射された。
「イラクにとって巨大な成功です。イラクにとってそれはそれはよいニュース」だとイラクの国家防衛アドヴァイザーMouwaffaq al-RubaieはBBCに話した。
「いまバグダッドのそこら中の通りという通りに広がっている歓喜の声と喜びを見に来るべきです。人が殺到しています、何十万もの人が通りに殺到しています。」
一方、ジャカルタのスタジアムはピリピリした雰囲気だとBBCのルーシー・ウイリアムソンは伝えた。
永続する故国での暴力のすさまじさとトレーニングにおける財政難のせいで、インドネシアではイラクチームに対するものすごい同情と応援があると彼女は言った。
フットボール熱
イラク当局は、準決勝の例にならい血なまぐさい殺戮が繰り返されるのを未然に防ごうとの骨折りで、月曜までバグダッドでクルマの使用を禁止した。
キルクークの北部の街でも似たような禁止が強要された。
「テロリストやスンニ派の過激派、犯罪者が、国民の喜びを標的にするのを止めたかった」のだと軍のスポークスマン、カシム・ムサウイ准将は述べた。
トーナメントの本命であるオーストラリアを負かしたことで、その後、水曜日の準決勝で元優勝国の韓国を負かしたことで、イラクはフットボール界を驚かせた。
群衆が通りで踊って国旗を振る、ワイルドなお祝いが勝利の後に続いた。
だが、反乱軍がバグダッドの2カ所で爆弾を爆発させて約50人が殺されるという、パーティはむごい結果をもたらした。

以下は韓国を破ったときのニュースです。

バグダッドの繁華街カラダ地区。試合終了間もなく、周辺に住む人々が次々と徒歩やクルマで表通りに繰り出し、自然発生的な数千人規模の祝勝パレードとなった。歩きながら祝砲の自動小銃を空に向けて撃つ人もいる。
「スンニ派もシーア派もクルド人も関係ない。イラクは一つだ。今日の勝利は全イラク人の勝利だ。代表チームはみんなの誇りだ」と、祝勝パレードに加わった39歳のサード・ラシードは国旗を手に笑顔を見せた。
宗派対立の悪化で治安が泥沼化しているが、代表チームには宗派を問わず選手が集まっている。バグダッド南部のスンニ派地区に住む28歳のリヤド・ドレイミは、「優勝して、イラク人の心を一つにしてほしい」と語ったあと、「でも、祝勝騒ぎが終わったらまた路上に転がる死体を数える日々に戻るのか」と目を伏せた。
(朝日新聞2007年7月26日)
初のアジアカップ決勝進出に沸いたイラクの首都バグダッドでまたもや悲劇が起こった。25日の準決勝韓国戦で勝利を喜んでいた市民が自爆テロに巻き込まれ、被害は死者50人、負傷者135人に達した。テロは市内2カ所で発生。いずれもクルマが使用された。まずバグダッド西部で多数の群衆が集まっていたアイスクリーム店の近くでテロリストが自爆。30人が亡くなると、1時間もたたないうちに今度は東部にある軍検問所の近くでクルマが爆発して20人が死亡した。
厳しい現実があらためて浮き彫りになった。2003年のイラク戦争から混乱が続く国内は宗派間の抗争が絶えず内戦状態。今大会は人気のサッカーで代表が進撃を続け、国民の一体感は高まっていた。そんな状況で起こった事件だけに衝撃は大きく、現場付近にいた28歳の男性は「テロリストが喜びを悲しみに変えた。なぜだ?」とうなだれた。
(スポニチ2007年7月26日)
AP通信によると、バグダッド中心部のカラダ地区の市場で26日に起きたクルマ爆弾テロで、イラク警察当局者は同日夜、死者は少なくとも28人、負傷者も95人に達したと語った。
現場はシーア派イスラム教徒が多く住む地区。爆弾を積んだトラックが爆発したのと同時に、ロケット弾も撃ち込まれた。イスラム教の休日である金曜日を前に、市場は買い物客で込み合っていたという。
一方、駐留米軍は26日、新たに米兵2人がバグダッドで道路脇の仕掛け爆弾の攻撃を受けるなどして死亡、中部ディヤラ州などでの死者を含めた米軍の犠牲者は計7人になったと発表した。
また、ロイター通信によると、26日には北部キルクークの飲食店近くでクルマ爆弾が爆発し、7人が死亡、40人以上が負傷した。中部ヒッラーでも道路脇の仕掛け爆弾で5人が死亡するなど、各地でテロや攻撃が続いた。
(山陰中央日報2007年7月26日)

写真は、バグダッドで25日決勝進出を決めて喜びを爆発させる人々(AP)と昨夜サウジを破り優勝した後に喜びを全身で表すイラク人、兵士もいます。

2007/07/28

YouTubeディベートとVlog


7月23日、CNNが共催するかたちで史上初の「YouTube」による民主党のディベート(大統領候補討論会)が行われました。さすがアメリカ!こういうことではまだまだすごいなーと圧倒されます。
翌日の米国内メディアは競ってディベートの様子を報じていたし、BBCワールドニュースなどでもかなりの時間をさいて、これを好意的に報じてきています。
考えてもみてください。YouTubeが普及したのは2006年ですよ。いくら画期的道具だからと言って、日本の政治にあてはめて考えてみると、2008年大統領候補選びのプロセスですでに「なくてはならないメディア」の存在になってることじたい、途方もないことでしょ。グーグルに買収された後も、その存在感は増すばかりのようです。
さて、今回の「YouTubeディベート」ですが、よく練られた企画だと評価されています。会場となったシタデル大学は、半分州立の軍事大学で、卒業生のほとんどが士官候補生になるところ。過去には、南北戦争の際に南軍の軍人を輩出した歴史があり、また長いあいだ男子校だったのが20世紀末になり訴訟を経て共学に移行したということもあって、保守派の牙城のように聞こえますが、現在は黒人の士官候補を大勢育てるとともに女子学生の拡大にも取り組んでいる、つまり「マイノリティとの融和」を象徴する存在になっています。その一方、軍事外交に関しては当事者意識の強い教育機関であるのは事実で、ある意味では時流に敏感な集団とも言えるところです。
当日の司会者、アンダーソン・クーパーの手腕も評価されています。彼はCNNの若手キャスターのなかでも抜きんでて人気があるのですが、イデオロギー的には限りなく中道のまんなかか、ほんの少しリベラル寄りに位置し、なによりも事件・事故の現場に急行していち早くその土地の人情を把握、そして臨場感のあるリポートをするのが得意なんだそうです。ハリケーンカトリーナ被災の際には、被災前に現地入りしてそのままニューオーリンズにとどまりリアルな中継を続けました。このことで人気キャスターとしての地位を確立しています。
クーパーの司会も含め、この「CNN+YouTube」ディベートは第一回の試みとしては成功と言えるでしょう。
これは一般から寄せられた2300本のヴィデオから選ばれた各30秒間の20本の質問ヴィデオに対して8人の民主党候補者が答えていくというイベント。
なかには性格上危ないものもあったりしますが、「私はオバマに夢中」というオバマガールのヴィデオを含め、おもしろい!見ていて興味を引くのがいいです。子供でも入り込め、今回の大統領選挙にはYouTubeが大きな影響を与えそうです。
というわけで、質問の内容とその反応をちょっと紹介してみます。

一般の参加者から寄せられたヴィデオの質問には人を動かす力がありました。
たとえば、メアリとジェンというニューヨークの同性愛カップルの場合は、大統領になったら「同性愛の私たちを結婚させてくれるの?」と候補者に質問します。
エドワードはリベラルですが宗教的にはど右翼、「個人的には聖書に反するから絶対に賛成できない」「でも妻は賛成だよ」と切り返す。頭のよさがわかります。
また素人の作ったものには不思議と説得力があるのも事実です。メアリとジェンの場合は、最後にカップル同士が見つめあう映像があり、それが強い印象を残すことになります。結果、各候補は普段より真剣に答えなくてはならない雰囲気になります。指名されたのはこうした問題にすでに賛否を表明しているクシニッチ、ドッド、アンダーソンでしたが。特に「同性愛者の婚姻に反対」の立場のドッド、アンダーソン両氏には同性愛者に対し誠意を持って語りかけないわけにはいかなくさせました。
雪だるまが登場して、「温暖化してるけどうちの息子はどうなるのか?」と質問するのもあります。
ヒラリー、オバマ、エドワードは知っていても、あとの候補はほとんど候補になれないから、めちゃくちゃ言ってるのがまたおもしろい。
この国で奴隷だったアフリカ系アメリカ人の「奴隷労働の無償だった給料を補償すべきだ!」という驚くべき質問には、オバマは今ある「格差を埋め合わせるということで補償する」と言いました。すべてに一律返したら大変な額になるのでなんらかの形で補償するということなのです。オバマの先祖は奴隷黒人ではありません。ご存じのように父はケニア人、母は白人。クロアチア系のクシニッチは「補償する」と言っちゃいましたよ。
次期大統領に「ヒラリーがなったら、ブッシュとクリントン家が27年間支配することになるが、アメリカはそれでいいのか?」という質問があって、それにはヒラリーが、「ブッシュの息子がならなきゃこんなこと言われなかったものを」と返して爆笑になりました。ユーモアはアメリカでは候補者に欠かせないものですから。でもこれは事実でしょう。
オバマに向かって「あなたを黒人と呼べるんでしょうか?」の質問もまたおもしろく、「ニューヨークでタクシーがなかなか止まってくれないから私は黒人だと思う」とのオバマの答がしゃれていました。オバマはこれまでに、「黒人と白人であることが私のアドバンテージ」と述べており、さすが!彼はスマートです。
「貧乏人の味方だななんて言ってるが、ヒラリー、オバマ、こいつら資本家や銀行から金もらってるんだぞ」とほえるおじさんもいました。このおじさん、司会者の「自家用ジェット機で来てる人は?」の質問に候補者全員がジェット機で来たということで、「わしゃ電車で来たぞ!」と言いました。
徴兵をやるとして、「女性も徴兵しますか?」という質問もありました。女性もやることは確実そうですね。
失言を一度やると、いまはインターネットで繰り返し流されるから落選につながります。このなかで親族が「戦争に行ってる人は?」には全員無言でした。
司会のクーパーの指名を無視してしゃべってはいけないことになっており、このしきりがすごかったと評価されているようです。
全体として、ヒラリーが中道を行こうとしてはっきりしないのが目につきます。彼女は、好かれるか嫌われるか人を極端にわけてしまうと言われていたので、その点を考慮して守りに入っていたようです。

実はこのYouTubeディベートはまだ終わったわけではありません。ディベート全てが質疑ごとに整理されてYouTubeのサイトにアップロードされていますし、CNNでは自分のサイトに質疑記録を公開しています。なので、これがこの種の強みだと思うのですが、YouTubeでは候補者の回答に対するコメントが続々とヴィデオクリップでPUT されていて、常時ヴィデオによる議論の輪が広がっている状態にあるんです、まさに「YouTube選挙」はフル回転中!
さてさて、今回は民主党が先行でしたが、共和党の候補による同様の企画も9月に予定されています。YouTubeの活用では、民主党にやや遅れを取ってる感じの共和党各候補がこうした新しい事態にどう対処するかも興味深いところです。
ともかく、これまで見えなかったような角度からの判断材料としての情報量が多いというのは庶民にはなんともうれしいことです。ニヤニヤ

おまけ:「オバマガール」がYouTubeで250万人超が視聴する大ヒットになっています。YouTubeではCitizen Tube:YouTube's Political Vlogと名づけた専用ページを設けて有権者に動画で質問を投稿するよう呼び掛けていますが、ここでいう「Vlog」というのは「Video」と「blog」なんでしょうけど、いつもながらうまいですよね。オバマガールは「オバマにもう夢中。2008年が待ちきれない」「ヒラリーとの討論会で熱くなったあなたってステキ!」と歌っています。
写真はオバマ候補のオフィシャルサイトよりいただきました。

2007/07/27

キューバのマンゴーは甘いだけじゃない



キューバ食品輸入卸業を営む浜田昭雄さん62歳のニュースに目がとまる。
「キューバのマンゴーは甘いだけじゃなく、適度に酸味がある。アメリカの経済封鎖の影響で、市場化に遅れた"たまもの"なんです。」
浜田さんがキューバに関心を持ったきっかけは、半世紀近く前、中学生の秋だった。千葉市にある母校は文部省(現文部科学省)の実験校で、昼休みに校内放送でラジオ番組を流していた。キューバ革命のニュースを聞き、「アメリカにつぶされるんじゃないか」と話す同級生に「いや、キューバは消えない」。確信のないまま答えていた。
慶応大経済学部で学び、黒木和雄監督の「キューバの恋人」上映会を開いたこともある。在学中の1967年、労働組合中央組織の総評に就職。結局、大学は中退し、高度成長期に中小企業の組織化にかかわった。
40代のとき持病のぜんそくが悪化、ステロイドが効かないほど重症だった。1カ月の入院と1年間の自宅療養を余儀なくされ、退職した。「妻と3人の子どもを養える稼ぎではなかった。共働きでなかったら、やっていけなかった。」
人生の窮地を救ったのはキューバへの強い思い入れだった。91年、46歳で出版社「海風書房」を設立。出版した27冊のうち、8冊はキューバ革命の英雄チェ・ゲバラの伝記の翻訳書などキューバ関連もの。
当時、旧ソ連崩壊の影響で、同国に頼っていたキューバ経済が行き詰まっていた。そうしたなか、「現実的な支援に取り組もう」と浜田さんが93年に設立したのが、東京・東日本橋の食品輸入卸会社「アッシュ・クワトロ」だった。現地法人を設け、キューバから輸出できる唯一の日本企業とか。
社会資本の整備が進んでいない現地のため、常に「取引ではなく投資」を心がける。その気持ちは、サトウキビの製糖頼りの農業から他の生産品に移行するキューバの流れにも乗った。約5500ヘクタールの有機農園整備を支援し、グァバやマンゴーなどを栽培する。宅配生協のパルシステムと「国際産直」も進める。
ドライマンゴーの現地工場は、働く場を確保するため機械化を抑え、皮むきからスライスまで手作業で行う。わずか20人とはいえ、人口2000人の村にとって貴重な就職先だ。
こうしてできたドライマンゴーは4年越しの製品。2008年、キューバにとって革命50年にあたる節目の年に日本の店頭に並ぶ予定。「甘味と酸味がほどよく歯ごたえがある。本当なら2年前に発売できていた商品。現地はラテン時間で進むから…」と苦笑い。
取引量では商社にかなわない。利益はこれからだが、商品の質と心意気では負けないそうだ。

写真は、17日、ブラジル・サンパウロのコンゴニャス国際空港で起きた事故で、旅客機が衝突し炎上する建物(ロイター=共同)
TAM航空の国内線旅客機が着陸に失敗、建物に激突して炎上した事故で、事故機の機長が着陸中止を試みていたことが、これまでの調査で明らかになった。同空港は主に国内線用で、サンパウロの市街地に近い。
現地メディアによると、旅客機は数回の爆発とともに激しく炎上。乗員乗客176人の生存は絶望視されている。建物でも死傷者が出ており、救助隊責任者は「死者は200人にのぼりそうだ」と述べた。
また、5月に滑走路のアスファルト舗装を一新して以来、滑りやすくなっていたとのパイロットの証言を報じており、16日にもスリップした小型旅客機が滑走路を外れて止まる事故があったという。当時は激しい雨だった。

2007/07/26

ハンガリーでシエスタとは!


欧州中南部が猛暑に襲われ、各地で死者が相次いでいる。ハンガリーでは過去1週間で推定約500人が死亡したとみられ、過去最高気温を記録したルーマニアでも老人を中心に27人が亡くなった。中南欧の猛暑は、6月下旬に続く第2波。今回は観光客が多く訪れる避暑地やリゾート地にも被害が拡大している。
地中海諸国では夜になっても気温が下がらず、寝苦しいため、昼寝をする「シエスタ」という習慣がある。ハンガリーではシエスタが必要か否か法制定の是非を問う国民投票の実施が現実味を帯びてきた。政府の選挙管理委員会が投票にふさわしいテーマと判断したためで、20万人分の署名が集まれば実施される。「レストランでのビール無料化」を問う試みもあったが、市場に不安が生じるとしてこちらは却下された。
隣国のルーマニアの各地では過去最高気温44度を記録。暑さで約1万9000人が病院に収容された。同国のニコレスク保健相の話では、これまでに27人が死亡し、大半が高齢者という。
マケドニアの第2の都市ビトラでは42度を記録し、死者1人が出たため、緊急事態宣言が発令された。ギリシャの首都アテネでは最高気温が45度に。地中海に浮かぶリゾート地コルフ島で75歳の男性が熱中症による心臓発作で死亡したほか、13人が病院に搬送された。
イタリアでも4人が死亡。AP通信などによると、同国南部のアドリア海に面したリゾート地ペスキチでは山火事が発生。観光客ら約1000人が逃げまどい海岸に殺到、船とヘリコプターで救助されたが、逃げ遅れた2人の遺体が海岸で見つかった。
出火原因は不明だが、猛暑で森が乾燥していた上、強風もあって火の回りが早くなったようだ。近くの都市バリでは最高気温が45度に達した。
中南欧の各国ではエアコンの使用による電気需要が急増し、各地で停電が発生。マケドニア、ギリシャでは先の大戦で使用された地下壕からの出火も相次いでいる。
(スポニチ2007年7月26日)

アテネで45度、山火事続発=熱波「まるで砂漠」
欧州南部は25日も猛暑が続き、現地からの情報によると、ギリシャではアテネなどで最高気温が45度を記録、この2日間で計5人が熱中症などのため死亡した。ルーマニアでも先週以降の死者が33人に達した。空気が乾燥する中、各国で山火事も相次いでいる。
アテネにいる日本の駐在員は「日差しが強くて、まるで砂漠にいるようだ」と話す。6月にも熱波に見舞われたギリシャでは、火災監視のため消防隊員を増強しているが、この日も南部のペロポネソス半島などで山火事が頻発した。
(時事通信2007年7月25日)

こうしたなか、英国では豪雨のため、中部を中心にここ60年で最悪の洪水に見舞われている。環境問題に取り組んでいる専門家グループは、例年より南下しているジェット気流が豪雨の原因だと指摘。しかしオックスフォード大の研究者は、気候変動説を裏付ける十分なデータはないと反論している。
(CNN/ロイター2007年7月25日)

2007/07/23

マンデラのエルダーズ





南アフリカのアパルトヘイト反対運動の指導者として知られるマンデラ前大統領が7月18日、89歳の誕生日を迎えました。マンデラは、英ヴァージングループのリチャード・ブランソン会長と、貧困救済慈善コンサート「ライブエイド」などを主導したロックミュージシャンのピーター・ガブリエルが提案した国際的な人道支援活動に乗り出すそうです。
活動は、国際社会の長老からなる国際会議を設立し、紛争やエイズ、地球温暖化といった問題に取り組む構想。ブランソンとガブリエルは18日夜のマンデラの誕生日祝賀行事に出席する予定です。
祝賀行事は24日まで1週間続き、各国著名人も参加する。クリントン前米大統領は19日、反アパルトヘイト運動で1960年にノーベル平和賞を受賞した故アルバート・ルツーリ元アフリカ民族会議(ANC)議長と、93年に同じ賞を受賞したマンデラに関する展示の開幕に立ち会う。
18日にはケープタウンで行われるサッカーの特別試合に往年のブラジル代表ペレや、カメルーン代表サミュエル・エトーらが出場。22日には毎年恒例の記念講演でアナン前国連事務総長が演壇に立つ。
(CNN 2007年7月18日)

マンデラ、カーター米元大統領らが人道組織「エルダーズ」設立
89歳になったばかりの南アフリカのマンデラ前大統領は18日、ヨハネスブルクで記者会見し、国際的な人道グループ「エルダーズ」を設立すると発表した。「年配者たち」を意味する名前通り、82歳のカーター米元大統領や69歳のアナン前国連事務総長ら経験豊かな大物政治家が名を連ねる。
他のメンバーは、アパルトヘイトに抵抗し続けノーベル平和賞を受賞した75歳のツツ元大主教やバングラデシュのグラミン(農村)銀行総裁の経済学者67歳のムハマド・ユヌスら。ミャンマーの民主化運動指導者62歳のアウン・サン・スー・チーさんの席もあったが、軍事政権による軟禁で空席のままだった。
エルダーズは、数年前、英国のブランソン・バージングループ会長とロック歌手のピーター・ガブリエルが発案し、マンデラに持ちかけた構想。
マンデラは、「不安があるところは勇気を支援し、紛争があるところは合意を育み、絶望があるところには希望を与えるだろう」と意気込みを語った。

ところで、映画「The Human Factor 」でマンデラを演じるのはモーガン・フリーマン。渋いなー。6月22日、フリーマンと、彼が監督ロリー・マクレアリーと設立した映画制作会社Revelations Entertainmentとが明らかにしたもので、タイムやインディペンデント誌などの特派員経験のあるジャーナリスト、ジョン・カーリンが執筆したマンデラ伝記小説「The Human Factor: Nelson Mandela and the Game That Changed the World」を映画化したものでクランクインは2008年。マンデラが大統領を勤めた5年間の公私生活を描いたものになり、マンデラと交流のあるフリーマンが主役を演じるとのことだ。

マンデラは反アパルトヘイトの活動で1964年に国家反逆罪で捕らえられ終身刑になって以降、27年間獄中生活を耐えしのいできたつわものです。時代の流れを読み取った、南アフリカアパルトヘイト体制最後の大統領フレデリック・ウィレム・デクラークの命令により釈放され、彼と共にアパルトヘイトを撤廃させた功績で1993年に2人はノーベル平和賞を受賞することになりました。その後、マンデラは南アフリカ史上初の全人種参加選挙により大統領に就任し1994年から1999年まで大統領を務めたのです。アパルトヘイト撤廃に日本政府の支援協力を求めてマンデラが来日した際、日比谷公園で反アパルトヘイト集会が開催されました。もちろんマンデラも参加。元気な、といっても前日の政府の「ノー」に多少落胆の疲れが見えましたが、アフリカン!プンプンの彼の姿を見ることができました。遠くで見ているだけでも、威厳があって、ドキドキしたのを憶えています。日本政府は時代の流れを読み取ることがとても苦手なようで、よきパートナーになれたものを、まさか彼が大統領になるとは思っていなかったのでしょうか?「ノー」と突き返したこのとき、大きなチャンスを逸したんだと思います。

写真は外国で発行されたマンデラの切手です。どれもいい感じです。3枚だけ紹介します。あとは検索してご覧になってください。一枚目は1999年発行のもの、2枚目はガボンで1996年に発行されたもの、三枚目はベルギーで1999年発行された「20世紀の旅」シリーズの一枚です。

2007/07/22

世界が報じる日本の隠蔽体質


IAEAに非協力の日本政府
中越沖地震による東京電力柏崎刈羽原発のトラブルで、泉田裕彦知事は21日、「国民全体が安心できる状況にならなければ運転再開はできない。国際機関から評価を受けることが必要だ」と述べ、同原発への国際原子力機関(IAEA)の調査団派遣を早急に受け入れるべきだとの認識を示した。
調査団派遣をめぐっては、政府が受け入れを当面見送る意向をIAEA側に伝えているが、泉田知事は「受け入れを留保すれば、何かおかしいことがあるのでは、と誤解を生む」と政府の対応を批判。「一刻も早く受け入れ、世界に現状を見てもらう必要がある」と語った。
同原発では、2年前にIAEAから安全管理状況の調査で「防火の専門組織がない」と改善を求められながら、専門組織を設置しなかったことが判明している。
(新潟日報2007年7月22日)

IAEAのエルバラダイ事務局長は18日、地震による原発被害の情報を共有する目的で、調査団を現地に派遣する用意があると表明していた。
同県は「放射性物質の放出量はごく微量で、全く問題なく、健康への影響もない」と結論づけているが、国際機関の調査受け入れで、観光や農林水産業に深刻な影響を及ぼしている風評被害を打ち消す狙いがある。
泉田知事は「海外メディアを見ていると、日本中が放射能に汚染されているかのような印象を与えている。正しい情報が伝わるためには、国際機関に評価してもらうことがいい」と語った。
(朝日新聞)

写真は、放射能漏れや海水への流出など、懸念すべき重大なことを常に隠してきた日本の隠蔽体質について早くから大きく報じてきているBBCの記事のものです。

2007/07/19

イランでスパイ活動


7月18日夕刻、マンハッタン中心部で地中に埋設されている蒸気管が破裂する事故が起きた。ニューヨーク市当局によると、1人が死亡、20人以上が負傷した。
現場はグランドセントラル駅のすぐ近くで、道路にあいた穴から大量の蒸気や灰色の煙が上空まで噴きあがる光景は多くの市民に2001年9月11日の同時多発テロをほうふつとさせ、周辺は一時騒然となった。
老人ケア施設での夜勤に向かうため、グランドセントラル駅で地下鉄を乗り換えるところだったアンジェリア・ウースさんは「誰かが、ビルが爆発した!と叫んで、みな一斉に地上に駆け上がった。テロだと思い、地上に出てからもとにかく走り続けた。生きた心地がしなかった」と目に涙を浮かべながら恐怖の瞬間を語った。
事故を受けてNY市警は現場一帯を封鎖。地下鉄も運行を一時見合わせたため、帰宅途中の多くの市民の足に影響が出た。
ブルームバーグ市長は18日夜の記者会見で、テロとは無関係と強調したが、米政府が17日、国際テロ組織アルカイダによる対米攻撃の脅威が高まっていると警告する「国家情報評価(NIE)」を公表した直後だけに、市民には2001年のテロの記憶がよぎった。

イラン国営テレビは18日、イラン当局がスパイ活動の疑いで5月から拘束しているイラン系米国人2人のインタビューを収録した特別番組を放映した。このうち女性研究者ハレー・エスファンディアリは自らの活動について「イランの体制内に何らかの変化をもたらすのが目的だった」と語った。
インタビューによると、グルジアやウクライナの政変で野党勢力を支援したとされる投資家ジョージ・ソロス氏の財団が、エスファンディアリ氏が所属するシンクタンクなどに資金を援助。イラン国内の重要人物を「講師」として米国に招き、政府や議会の有力者に引き合わせ、人脈を構築するのがエスファンディアリ氏の役割だったという。
(山陽新聞ニュース2007年7月19日)

写真は蒸気管の破裂で煙があがるマンハッタン、グランドセントラルステーション付近の光景。「CNNでは絶対に見ることができない」ニュースを集めた、なかなかすごいインフォメーションサイトに「キッシンジャーとロシアのプーチンが秘密の約束を取り交わした」との記事がありました。あれやこれや忙しいですね。

2007/07/18

新聞を買うとPLANET EARTHがついてくる



マイルス・デイヴィスは自叙伝のなかで、音楽を変革できるのはプリンスだけだと書いている。マイルスが死の間際にプリンスと共演という話がずっとあった。
マイルスが評価したのは音楽の才能だろうけど、プリンスのビジネスの才覚も年頭に置いていた可能性はある。実際、1994年にプリンスは米ワーナーミュージックグループとの契約を打切り、ピアツーピア(P2P)ネットワークでの音楽の共有をいち早く支持する。さらに大物アーティストではあまり例のなかった公式サイトでの曲の販売に乗り出すなど、永いこと革新的な戦略をとり続けている。
だから、プリンスがニューアルバムを無料で配布!と聴いてもたいして驚きはしない。でもね、新聞に綴じて付録にしちゃうなんて、おまけに前日に無料配布のCMをオンエアーするなんて、すごい!と思う。
以下、ワイアードニュースからまとめてお伝えします。
マイルス・デイヴィスが音楽の未来をたくした最大にして最後の希望の星は、7月15日にイギリスの新聞「デイリーメール」の日曜版「メールオンサンデー」を購入したファンに、発売前の最新アルバム「Planet Earth」のCDを付録として無料配布するという計画によって音楽業界を憤慨させている。
(メールオンサンデイを広げるとビニールに入って綴じられたCDをゲットできる)
アルバムをイギリスで発売するはずだったソニーBMG Music Entertainment(UK)は、これに腹を立ててイギリス国内でのアルバム発売を中止した。寝耳に水だったイギリスのCD店も怒りを爆発させている。(日本では「プラネット・アース〜地球の神秘〜」というタイトルで7月25日に発売予定)
複数の小売業者は、一部の消費者のあいだでは音楽は無料で手に入るという認識が広がっていると主張し、プリンスの今回の行動によってその認識がさらに強化されることを問題視している。
メールオンサンデー紙の購読者300万人ほどが、CDを無料で手に入れることは明らかだ。さらに、ロンドンの「O2 Arena」(ミレニアムドームのこと)で行なわれるプリンスの公演のチケット購入者にも同じCDが無料配布されることになっている。
そのおかげと言ってほぼ間違いないと思うが、21回に及ぶ公演のうち、15回は発売から1時間も満たないうちにチケットが完売した。O2 Arenaの収容人数は約2万人で、もし残りの6公演も完売すれば、総売り上げは2600万ドルを超える。
メールオンサンデー紙から支払われた未公開の金額を合わせると「音楽の価値を確実に下げた」と酷評される人物の取り分としては悪くない。
プリンスの新戦略が成功しているのは、このデジタル時代に価値を失いかけているのは音楽そのものではなく、そのコピーだということを認識しているためでもある。アルバムは発売から時間がたつほど、友人のCDにせよ、見知らぬ他人の共有フォルダにせよ、リスナーがコピー源を見つける可能性が高くなる。だが、そうしたコピーの価値がどんどん低くなれば、最終的にはオリジナルのみが価値を認められる。プリンスがメールオンサンデー紙に売ったのは、まさにこの「コピーの発信源になる権利」だ。

プリンスは以前にもアルバム「Musicology」をコンサートで無料配布したことがありました。それに米携帯電話とのコラボレーションでシングル「Guitar」を携帯会社のサイトから無料ダウンロードできたりと、アルバムの配布については積極的な面を見せています。
写真は7月15日のメールオンサンデー紙、うわーかっこいいな。もう一枚は、プリンスが香水を発売したのはご存知ですよね。これはそれを売るメイーシーズの店内です。うわーパープル。

2007/07/17

アメリカ発「自由の戦士」プロパガンダ


アメリカの物差しでものごとを量るのはもうやめだ。ブッシュ一団の無法ぶりがあまりにも露骨かつ大胆不敵なせいで、これまで曖昧だったものがはっきり見透かせるようになったのはある意味いいことでもある。

隊列を組んだ警官隊の前でピースマークをかざしてひざまづき、表現の自由と弾圧からの解放を訴える学生たちは天安門広場や東欧の若者を連想させる「自由の戦士」のイメージだ。彼らはマスクと投石とで催涙ガスに立ち向かう一方、警官に白いカーネーションを手渡したりもする。
ベネズエラではいったい誰が本当の「自由の戦士」なのだろう?
以下、2007年6月7日のクリス・カールソンの記事より抜粋
(Venezuelanalysis.com)
この2週間、カラカスの通りを歩き、街頭での論議に耳を傾け、反政府派と親政府派と両方のデモ行進に参加して、民主主義とは何ぞや、暴政とは何ぞや、そして特に表現の自由の表れ方について双方の意見や根拠、信条を聞くことにより、ベネズエラの学生反対運動と親チャベス派集団を区別するのが何なのかを私は理解するにいたった。結論はこうだ、最近ベネズエラに出現する学生「自由の戦士」たちの民主主義や暴政、自由そのものについての認識には欠けてることがたくさんあるということ。それよりもっと興味深いのは、ベネズエラでは反政府派の学生やら記者らが自由の戦士なのでなく、むしろ主流メディアと国際メディアによって完全に黙殺されてきた、もうひとつの、より大規模な政治活動家の集団が自由の戦士だということ。
こういったすべてが、チャベス政権が民放テレビ局 RCTV(ラジオ・カラカス・テレビ)の使用期限20年の放送免許の更新を拒否して公共電波放送から追い出した5月に噴き出したようなのだ。カラカスのデモ行進で一番叫ばれたスローガンのひとつ「自由、自由」は RCTV を自由の象徴に変えていた。もうひとつのスローガンはRCTV を「民衆の声」だと断言するものだった。
だが、RCTV は本当に表現の自由や民衆の声を代表していただろうか?より適切に言えば、民間の企業メディアは表現の自由を代表するものだろうか?
世界の企業メディアのほぼすべてが、RCTV同様、巨大な国内および多国籍企業によって所有されている。RCTVは1920年代に米国の実業家によって創設された。長いあいだその一族はベネズエラの一流エリートのひとつであり続けた。今でも一族は過半数の株を支配しており、依然として数々の巨大多国籍複合企業に広告を売ることでその収益のほとんどを得てきている。
したがって、これら企業の経済的利益に反する見解は当然のことに伏せられるのに対し、エリート資本家らの経済的利益につながる見解は繰り返し支持される。たとえばCNN (タイム・ワーナー)を所有し出資する経済団体が、CNNの番組がその利益に損害を与える見解(例えば反グローバリゼーション運動やメディア複合企業の解体)を唱導するのを通例容認しないのと同様に、RCTV を所有し出資する経済集団は彼らの利益に反する見解を明らかに支持しない。そして資本主義vs.社会主義、民営化vs.国営化、新自由主義vs.保護貿易主義の大いなる戦いにおいて、すべての企業メディアは論争の同じ側についている。
反政府活動家らの見解のもうひとつの基本的問題は、資本主義に対する無批判的な立場と、それに対するほぼ全ての代替案に対する激しい憎悪である。「社会主義は破綻した!」「カストロ共産主義反対!」が、首都の街頭やらバスの中、地下鉄の駅での、学生、ジャーナリスト、カラカスの中産階級抗議者らのシュプレヒコールと叫びである。反対派集団にとって、共産主義や社会主義、他のいかなる資本主義に取って代わるものも単なる暴政の一形態であることは火を見るよりも明らかだ。
過去において共産主義や社会主義を築く試みの大部分が失敗してきたこと、多くの場合、残忍な専制政治の形態にいたったという彼らの主張は正しい。けれども、それは主流の政治観に基づいて教え込まれてきた物語のひとつの側面にすぎない。その物語のもう一方の側面は、資本主義も同じことを世界全域でもっと大規模に行ってきたということだ。資本主義がほとんど自明のこととして、権力の巨大な集中にいたり、最後には真の民主主義のいかなる見込みも妨げることになるのを、ベネズエラの反政府派は理解してないようだ。
資本主義的民主主義の政治制度は、市民によって民主的に統制されるのではなく、経済的エリートの支配下に入ることになり、自由民主主義という仮面をかぶった完全には認識できないある類の暴政を引き起こす。
とはいえ、RCTV の自由の戦士たちにとって、資本主義は自由と同等であり、そして資本主義に対する全ての代替案は暴政と同等なのである。カラカスのデモ参加者らが皮肉にも理解してないのは、彼ら自身が資本主義が必然的に引き起こすとらえがたいが破滅的な暴政そのものの犠牲者であるということ。そしてまた、その暴政を維持する上での、米国の帝国主義がになう役割も彼らは理解していない。
反政府派の活動家らがどうやら顧みていないのは、過去20年間に中南米全域を襲った貧困、犯罪、暴力の高まりが、主として米国政府ならびにRCTVや他の民間メディアを支配するエリート経済団体そのものによって助長された新自由主義政策と改革の結果であるということ。そして1989年にカルロス・アンドレス・ペレス大統領が軍を出動させ、新自由主義改革に抗議する何千人もの人々を虐殺した時、その民間メディアは表現の自由や自由あるいは民主主義に関して全く懸念などしていなかったことである。
RCTV のエラディオ・ラレス社長は、1989年の残忍な虐殺直後の生放送において、虐殺行為を「ベネズエラという名の非凡なチーム」の活動と称し、実際に賞賛した。

ベネズエラにおける学生抗議行動が米国政府のより大きな戦略の一部であることを示す十分な証拠がある。その戦略は望ましくない政権を転覆するため、過去数年間にセルビア(2000年)、グルジア(2003年)そしてウクライナ(2004年)といった他の国々で用いられてきた。とはいえ親チャベス派陣営の活動家らはすでにこのことを承知していた。活動家のひとりは「これらの学生抗議行動はすべて米国政府の計画の一端です」とそれがまるで常識であるかのように私に語った。
(長くなりましたので続きはメールマガジンにてお伝えします。)

2007/07/14

250人が犠牲になったろう城事件



イスラマバードの女子マドラサ(神学校)で起きた立てこもり事件について、13日東京新聞の取材に応じたパキスタン最高裁弁護士協会のムニール・マリク会長は、軍の「情報機関が仕組んだ」との見方を示した。また彼は、今秋の大統領選に向けて「政治混乱が起きる可能性がある」ことも指摘した。
マリク氏は、3月にムシャラフ大統領から解任請求を受けたチョードリー最高裁長官を弁護している。解任請求の是非は最高裁が審理中で近く結論が出る見通しだ。
立てこもり事件について、マリク氏は「国民の関心を過激派に向けるため、軍の情報機関(ISI)が仕組んだに違いない。ISIは最高裁長官の家の中に何があるかまで知っていたほど。モスク内の武器を知らないはずがない」と指摘した。
さらに「今回の事件で大統領は、過激派対策での存在感を国際社会に再認識させたかもしれない。だが、大統領への国内支持が増したかは疑問だ」と述べた。
ムシャラフ大統領再任の可能性については「力を使えば再任できる。力を使わなければ再任できない。大統領はすでに道徳的権威を失っている。陸軍参謀長を辞めれば、与党議員は5分で野党にくら替えするだろう」と語った。
「今後2カ月間に、有権者名簿の改訂をめぐって政治的な混乱が起きる可能性がある。電力や飲料水の不足も深刻で国民の不満もくすぶっている。政権の危機は続くだろう」との見通しを示した。
(東京新聞7月14日朝刊)
パキスタンの首都イスラマバードの過激派モスク(神学校のこと)立てこもり事件について、ムシャラフ大統領は12日夜のテレビ演説で、「女子学生や子どもを救うために対話による解決に努力した」と述べ、事件をめぐる政府批判に反論した。
地元メディアは、政府の対応遅れや情報操作の疑いを指摘しているが、大統領は「社会を欺いていると言われた」と自らその批判に言及。「過激派の挑発にもかかわらず、最大限の自制を示して対話による解決を試みた」と繰り返し、モスク側の責任を強調した。
また大統領は、6月に起きた神学生による中国人拉致事件について「恥ずべき事件だ」と指摘。中国の胡錦濤国家主席から中国人の身の安全を保証するよう直接電話で要請されたことも明らかにした。
パキスタンでは12日、北西部スワト地区やアフガニスタン国境に近い北ワジリスタン地区で、爆弾テロや自爆攻撃が相次ぎ、計8人が死亡した。イスラム過激派によるモスク制圧作戦への報復の可能性がある。
(東京新聞7月13日夕刊)
パキスタン・イスラマバードのモスクろう城事件で、強行突入した軍部隊と神学生側との戦闘状況の全容が明らかになった。学生は寄宿舎の小部屋内に布団やレンガを積み上げて防戦するものの、武器を持っていなかったとみられ、閃光弾や催涙弾などであぶり出されると次々と投降。学生側の戦闘能力は軍と比べようもなかった。
(毎日新聞7月11日)

写真はイスラマバード中心部の「赤いモスク」鎮圧作戦を終え、現場を引き揚げるパキスタン軍特殊部隊。この作戦で武装勢力や学生らの死者は150〜250人に達する見通し(AFP=時事)。続いて、武装神学生らによるろう城事件の舞台となり、報道陣に公開されたイスラマバードの女子マドラサ(AFP=時事)。

2007/07/13

ペドロの「ボルベール」はすばらしい




映画「ボルベール(帰郷)」のペネロッペ・クルズは、全盛期のソフィア・ローレンかクラウディア・カルディナーレを想い起こさせる、他では見られない、「肚のすわったいい女」だった。冒頭からその立ち居振る舞い、態度、特に威風堂々とした腰の動きに圧倒される。日々のタフな肉体労働から、冷蔵庫や夫が入った冷凍庫を運ばせ、湖のそばにつるべで一夜かけて墓掘りさせるまで、女性たちに力仕事をたっぷりさせるのもアルモドヴァルのユニークな人生観、女性観からきている。「ボルベール」に出てくる女性はすべて、監督アルモドヴァルが実際に成長する過程でいつもそばにいて、働きぶりやおしゃべりから彼に人生を教えることになる女性たちの象徴だった。彼の人生の選び方、アートそして作風のインスピレーションの原点だった。その出演者の女性全員にカンヌが最優秀女優賞を与えたのは誠に粋な計らいだった。
「欲望の法則」にノックアウトされて以降、アルモドヴァルはなにがなんでも見なければならない映画監督のひとりになっている。彼の中の女性的なものの見方や、ラ・マンチャからマドリードに出てきてすぐに描き始めたコミックス、組んでいたパンクバンドなどの延長線上にあるポップで滑稽な彼のアートのセンスに魅せられたからだ。

ということで、アルモドヴァルの「ボルベール(望郷)」を見てきました。監督の故郷ラ・マンチャが舞台になっている映画の冒頭、墓を掃除する女性たちを東風と呼ばれる強風が吹き荒れて混乱させるのが、ストーリーの糸を引っぱっていく。
以下、アルモドヴァルのインタビューからカットアップ。
ラ・マンチャにバロック的芸術家が多いところが興味深いところ。平坦な土地 起伏もなく抽象的といえる風景 ただ地面が広がっているだけ そのまま空につながる おかしくなる土地だ。そんなラマンチャの土地が彼の作風に影響を与えてきている。前作「バッド・エデュケーション」もそうだが、前回がダークな部分を選んだとすると今回は明るい部分、どちらの映画も同じ人生の一時期に位置している。
自分の子どもの頃について語ったのははじめてだった。「映画の女性たちはボクが人生について学んだすべての女性たち。お手本にしてきた女性たち」 活力に満ちた女性は人生の象徴 「ボクにとって女性とは愉しみを与えてくれる存在」 彼女たちのおしゃべりがインスピレーションの源、フィクションの原点でもある。
映画が描く死について: 
「孤独な死はいやだ」 ラ・マンチャでは週3回墓を掃除しなければならない 実際、死んだ人といつもいっしょに暮らしているような土地柄 死は自然なもの その意味でラ・マンチャは解決しているが、「ボクは不可知論者だから 死はボクにとって未解決な問題」
映画製作とスペインにこだわる理由について:
映画は大勢の人間と作るものでも、ストーリーとむきあっているときはひとり、自分の頭の中にあることを知っているのは自分だけ 
スペインで映画を撮ることについては、よその文化で映画に活気や勢いがなくなるのはいやだ でも最近は冒険してみようかと思ている
映画で描く暴行や虐待について:
それはスペインの闇の部分だからだ 男尊女卑が際立った気風の土地柄で、男性が女性に性的暴行を加えることがいまでもあるということ。こんな悲惨な情況にあいながらも、痛みをかかえながらも、女性たちはそれを乗り越えることができる ボクは10歳頃までいつも女性に囲まれていた 実際父親は仕事でどこかに出かけていた 男は仕事かバーにいるものだった 女性たちは畑仕事をし家事をして家を切り回していた だから実際には女性が支配している 彼女たちはおしゃべりをして 歌を歌っていた
映画のペネロッペ・クルズが売りに出ていた隣のレストランで急遽、映画クルーのために食事を出すことになったいきさつで、若い頃に彼女がオーディションで歌った歌「ボルベール」を披露するシーンがある。絶品「トーク・トゥ・ハー」にもカエターノ・ヴェローソが歌う、これまた最高の夜のシーンがある(旅行記者マルクにはしびれた!)。ペネロッペの場合は彼女が歌っているわけではなかったが、人生には他のなにより歌を歌うことで表現できる機微なことがあるのをアルモドヴァルに教えたのも女性たちだったはず。
とにかくすばらしい映画!ペドロは最高のストーリーテラー。

写真は、80年代のペドロ、1987年の映画「欲望の法則」続いて1997年のこれまた大好きな映画「ライヴフレッシュ」のポスターです。 

2007/07/10

ガザのアフリカライオン、サブリナとサハー


2年後にガザのライオン解放される

サブリナがエジプトからガザ地区に連れてこられてまもなく誘拐されたとき、彼女はちょうど生後3ヶ月だった。
派閥メンバーとの銃撃戦後にサブリナを解放したとイスラム抵抗運動ハマスの戦闘員らは述べる。
パレスチナのアッバス議長に対する忠節の強要をくつがえした6月15日以降、ガザはハマスのコントロール下にある。
サブリナはやせており、とても疲れている、そして虐待の徴候が見られると動物園当局は話す。
「誘拐した泥棒どもは、その黒い毛がアフリカライオンのプライドのシンボルと見なされるサブリナのしっぽを切ってしまった。彼女をとてもあわれに感じるよ。ひどく恥をかかされたと感じたはずだ」と動物園の獣医はロイター通信に語った。
彼女を捕らえた者どもがサブリナと一緒に写真にうつされる観光客から金を取っていたことを獣医は付け加えた。
妹が盗まれたとき慰めようもないほどやるせなくウォーとほえていたサブリナの兄のサハーは、ただちに妹だとわかり、2匹は遊び始めたと、動物園当局は述べた。
イスラム抵抗運動ハマスは、パレスチナのアッバス議長への防衛軍の忠誠を総くずれにした後、6月15日にガザを管理した。PLO パレスチナ解放機構の最大派閥、アッバスのパレスチナ民族解放運動ファタハはいま西岸をコントロールする。
ハマスはガザに法と秩序を強要することを誓約している。
( BBC NEWS 9 July 2007)

2007/07/09

ブッシュ&チェイニー弾劾センター開設


日本のメディアが無視しているか後回しにしている領域の動きに、ここにきて変化の兆しがあるように思えてなりません。依然として続いているひどい情況のなかに、もしかして破綻が見えてきたことにより変化の起きる可能性があるのかもしれません。
イラク・ブリン村はパレスチナ西岸ナブルス近郊にある小さな村です。何世代も続く農業で成り立つ平和な村だったのが、近くに違法なユダヤ人入植地ができたために、武装した入植者たちに嫌がらせを受けるようになりました。畑に出ると暴力をふるわれたり銃撃されたりする。畑が焼かれ、樹が切られ、収穫したオリーブを盗まれることもある。そんなことがイスラエル軍の護衛つきで行われている。
暴力がますますひどくなるなか、7月5日、ISM 国際連帯運動やパレスチナ農業救済委員会の助けを得て、妨害なしに、村人たちは75本のオリーブの木を植えることができました。
日本では一言もニュースになっていませんが、この日、ガザのブレイジュ難民キャンプとマガジ難民キャンプ周辺にイスラエル軍が侵攻し、11人が殺害され25人以上が負傷する結果になりました。
負傷者のなかには子どもとジャーナリストがいます。ジャーナリストはハマス系の衛星TVのカメラマンで、何発も撃たれ、両足切断を余儀なくされています。また、ロイターのカメラクルーを含むジャーナリストらもイスラエル軍の銃撃に遭いました。(P-navi infoの情報)

その二日後の7月7日、イラクの北部トゥズフルマト近郊の村で起きた自爆テロの死者は、ロイター通信によると150人に達しています。2003年のイラク戦争以来、1件の爆発による被害としては最悪なものとなりました。負傷者250人、行方不明者20人、崩壊した家や商店の数は100軒に及んでいます。
翌8日にも首都バグダッド近郊で新規採用された治安部隊兵士を狙った自爆テロが発生。7日から8日にかけて相次ぎ発生した自爆テロによる死者数は合計で250人に達したとロイター通信が報じました。以下ロイター通信による。
ハシミ副大統領は「市民には当局に保護される権利があるが、治安維持体制に欠陥があるならば自衛するしかない」と指摘。テロ対策の限界を示唆した。
米軍は増派で首都圏の治安強化をめざしているが、手薄な地方にまで広がる大規模なテロ攻撃に対応できない。足元のバグダッドでさえ抑えきれないのが実情だ。

4日、アメリカの独立記念日にロサンゼルスでブッシュ大統領とチェイニー副大統領の弾劾、追放を目指す活動家のための事務所「弾劾センター」がオープンしました。
ロサンゼルス・タイムズ紙によると、このような事務所が米国で誕生したのは初めて。市内の民主党、緑の党の野党系団体が設立したセンターでは活動家らが毎週土曜日に集まり、午後2時から6時まで、郵便物の袋詰めや電話による資金集め、事務所の宣伝、ロビー活動などを行うという。
ブッシュ&チェイニー弾劾の最大の理由はイラク戦争だ。 連邦下院のマキシーン・ウォーターズ議員(民主)は4日の開所式で約300人の聴衆を前に、センターの活動を「この国で行われる最も重要な努力の1つだ」と強調した。
議会で弾劾を行うには、まずウォーターズ氏が所属する下院司法委員会で発議案が可決される必要がある。下院ではデニス・クシニッチ議員(民主)が提出したチェイニー副大統領の弾劾書類に14議員が署名している。大統領または副大統領を罷免するには、上院で3分の2以上の賛成票が必要だ。
(usFrontLine.com7/06)

続いて、8日、ついにニューヨークタイムズ紙が社説で初めてイラク撤退を主張しました!
タイムズ紙はさらにブッシュ政権を以下のような強い言葉で攻撃しています。「ブッシュ大統領とチェイニー副大統領はデマゴギーと恐怖を操り、戦争を終わらせようというアメリカ国民の要求を抑え付けている。撤退は流血と混沌を招き、テロリストを勢いづかせることになると彼らは言う。実際には、すでにそうした事態になっている-この不必要な侵攻と無能な戦争手腕の結果である。」
米世論では過半数がイラク撤退を支持しているが、紙面でイラク撤退を主張する新聞社は、これまでロスアンゼルス・タイムズ紙などごく一部に過ぎなかった。

最後に、シンディ・シーハンが戻ってきました!
リビーの実刑をブッシュが減刑したことで我慢の限度を超えた!と彼女は表明していましたが、下記のニュースによれば、もっと先に踏み込んだようです。でも政界に嫌気がさして後ろに下がったのに。それでもやるしかない!ところにアメリカは来ているといういうことなんでしょう。
イラクで戦死した米兵の母親で、イラク戦争反対運動を続けてきたシンディ・シーハンさんは8日、今後2週間以内に野党民主党がブッシュ大統領の弾劾に向けた行動をとらなければ、来年の次期下院選でペロシ下院議長の対抗馬として立候補する考えを示した。AP通信に語った。
シーハンさんは、昨年の中間選挙で勝った民主党について「戦争を終わらせるために雇ったのに、民主党員と米国民は党指導部に裏切られたと感じている」と述べ、ペロシ議長らを強く批判。今月23日までに弾劾決議案などを提出しない場合、議長の地元サンフランシスコから立候補すると言明した。10日にも正式発表するという。
シーハンさんらは近く、大統領の私邸があるテキサス州クロフォードから反戦行脚を始める計画。23日はワシントンへの到着予定日に当たる。
(中日新聞)

写真はパレスチナのナブルス近郊の村に植えたオリーブの木です。周囲の畑が荒れているのが気になります。

2007/07/07

ヴァーモスがデッキの下にもぐった



7月1日にヴァーモスが警察犬訓練所から帰ってきた。もう報告しましたっけ。本来4ヶ月のところを10日間ほど前倒しして訓練を終えたわけですが、飼い主がもう待ちきれないからというのがその理由のすべてです。とにかく、彼は不器用というか、できるモードに入るまでに時間がかかった。トレーナーにも散歩に出かける前に十分遊びの時間をもうけてヴァーモスの興奮がおさまったところではじめてくださいと念を押されている。といっても、やっと起きた早朝にそれほど時間のゆとりはない。だから月曜の朝から家を出ても、行ったり戻ったり、途中興奮をおさえるまで待ったりと、なかなか苦労している。公園や海まで行って自由に遊ばせた後の帰りはそれはスムーズに訓練通りやれる犬になる。どちらかというと、さあ、本番はこれからだよ!とでも言いたげなリズムに乗った歩きなのだ。公園で訓練所に行く前の、子犬の頃の遊び相手に会うと、以前とそっくりの顔と態度で遊びまくる。彼はまだ、まるっきり子犬なのだ。家にいても隙あらば2階に上がってこようとする。サンバは階段下で待っていてどんなに機会があっても上がってはこない。ヒョイヒョイと軽いステップで上がれるというだけでなしに、ヴァーモスにはうちに来てすぐの2ヶ月頃に2階の仕事部屋で過ごした時期があるのだ。強度のねんざを負ったとき、始終見ててやれるからと、2階にヴァーモス専用のベッドとスペースを作ってやった。その記憶があるからだろうか。今もその頃と同じように2階の窓から外を見下ろしている。強度のねんざのあとにひじ関節の感染症まで併発してそれは大変だった。仕事の合間に隣のヴァーモスに目をやると、全身で痙攣を起こしていたのには度肝を抜いた。もうそのまま死んじゃうんじゃないかとあわててドクターにSOSを発信したのを思い出す。
さて、そのヴァーモスですが、7月4日アメリカの独立記念日に外出してわが家に戻ると、大きな顔のヴァーモスと小さな顔のサンバがそろって出迎えてくれているではないですか。あまりのかわいさに、大きなデッキに出して自由に遊ばせてやることにした。するとすぐに暑かったからだろうか、ヴァーモスがデッキの下にもぐりこんでしまった。3ヶ月、4ヶ月の頃にもよくもぐっていたが、あの頃と今とでは顔もからだの大きさも違う。出てこれないのかと思って首輪を持って引っぱり出してやっていた。でもたぶん、彼としてはそのまま放っておいて欲しかったのかもしれない。デッキの下に手を伸ばすと、もっと奥に入ってしまう。ほんとに、出れないとしたら、どうしよう。デッキの板をはがすしかないのだろうか。まあ、しかたがない、しばらくようすを見ることにした。
途中、牛乳を持て行ってそばでサンバに飲ませて誘ってみたり、ビーフジャーキーを置いて誘ったりもしてみた。1時間かそこらして、ブルブルっとからだを振る音がした。あれ、デッキの下でヴァーモスは這ってるわけだからブルブルとはできないよなー。見に行ってみると、ああ、ヴァーモスがそこにいた。クモの巣が鼻づらとかにかかっている。どこも土とほこりまみれになっている。4本脚の爪は土だらけだ。とまあ、決して飽きさせない犬であります、ヴァーモスは。

写真は、ヴァーモスが戻った翌日、いつも2匹がいる小さなデッキで「なにしてる?」のショットと、7月4日デッキの下にもぐって、よく見ると、なんか困って泣いてるようにも見えるヴァーモスです。
写真をクリックすると拡大版で見ることができます。

ローリングストーン誌が40周年


ローリングストーン誌が40周年記念号ですって!
全面的に1967年と「サマー・オブ・ラヴ」にページを割いたどんちゃん騒ぎの特集号でこのマガジン40周年を祝っている。わたしが1990年に「TAMA」というサブカルチャーペーパーを発行した際、まずはアンディ・ウォーホールの「インタヴュー」誌と、このつわものマガジンに目を通したものだった。それとUK の「i-D」「ARENA」「FACE」にもだ。当時ストリートものやサブカルチャーものが売りだったほとんどがファッション写真に取って代わられるなかで、ローリングストーン誌はそれに割くヴォリュームはうんと減ったとはいえ、それなりの記事もまだあるにはあった。それにしても、ハンターSトンプソンが書いていた時代のローリングストーン誌が懐かしい。
マガジンのサイトから創始者であり発行者のヤン・ウェナーがサンフランシスコと最初の年のマガジンの存在の仕方について語るのを聞くことができる。
ところで、パールジャムは聴きますか。
エディ・ヴェダーのショーン・ペン映画への愛が、あふれるほど熱狂する対象になっている。パールジャムのフロントマン、エディ・ヴェダーがショーン・ペンが監督した新作「Into the Wild 」のためのソロ曲が入ったアルバムをリリースする。ヴェダーはこれより前にペンが死刑囚を演じた映画「デッドマンウォーキング」(「Long Road」)と人並みでない父親を演じた「アイ・アム・サム」(ビートルズの「You've Got to Hide Your Love Away 」)のために歌っている。また彼が映画の中で小さな役を演じるとのうわさも伝わってきている。キャメロン・クロウの1992年の映画「シングルス」で、はじめてマット・ディロンのバンド「シティズン・ディック」のドラマーを演じて以来のことになる。
エディ・ヴェダーは2004年にブルース・スプリングスティーン、R.E.M.らと共に「Vote For Change」ツアーに参加して反ブッシュを訴えている。現在と未来の世界が、彼には見るに耐えないものとなるのを心配している。
USA TODAY紙のインタヴューで彼は、「危険な道を走っている。どうやってハンドルを握り、ブレーキを踏むのか」と話している。テロ戦争については「世界が強欲によって危険にさらされている。娘の未来を思うと、さらに怒りがこみ上げてくる」と語った。
エディ・ヴェダーとショーン・ペンは10年来の友人。映画「Into The Wild」は9月に全米公開の予定。
パールジャムと言えばシアトル・グランジ、オルタナティヴ・シーンの重鎮。当時、グランジを代表するグループとしてニルヴァーナと人気を二分していた。
エディ・ヴェダーが過去のグランジ全盛時代を振り返ってこうコメントしている。「ついこの前のようだ。まだ酔いが醒めきれない..... あまり楽しめなかったのが残念だ。状況が整いはじめた矢先に、カート・コバーンが消えた」

2007/07/05

ガザに踏みとどまる記者の解放


7月4日、パレスチナ自治区のガザにおいてイスラム系武装勢力に拉致されていたBBC(英国放送協会)のアラン・ジョンストン記者45歳が解放され、記者本人や英国政府のみならず、解放を訴えてきたアラブ世界をも含む支援者らは一斉に安堵した。
◇開口一番「事態を報道できなかったこと」への悔しさを語る
パレスチナ原理主義組織ハマスの仲介で、「アーミーオブイスラム(イスラム軍)」を名乗るパレスチナのイスラム系武装勢力から解放されたジョンストン記者は、ハマス幹部らとの共同記者会見に疲れた表情ながらも、極めて落ち着いた態度で臨んだ。
ジョンストン氏は3月12日に現地のBBC事務所から帰宅する途上で「イスラム軍」に銃を突きつけられ、拉致された。パレスチナ自治区では過去にも欧米人が拉致される事件はあったが、同氏の拘束期間は4ヶ月と異例の長さに及んだ。
解放にあたりジョンストン記者は開口一番、ハマスとPLO( パレスチナ解放機構)最大派閥ファタハのガザ地区での戦闘と、ハマスによる6月15日のガザ地区制圧について報道できなかったことが悔しいと述べた。
同氏は「拘束されていた(武装勢力の)潜伏先で、周囲の街路での戦闘の音などが聞こえ、極度に混乱したできごとが進行中であることが分かるのに、それに関する報道ができなかったことは、さらなる悪夢となった」と解放後、BBCの電話インタビューに語った。「知ることができたのは、なにか大きなことが起こっているということだけだった。私がガザに駐在を開始して以来、最大のニュースだということは分かったのに、独房に横たわっているだけで一言も言葉を発することができなかった」
◇ガザ地区に留まり報道を続けた同記者を中東社会も評価
ジョンストン記者は2004年4月から3年間の予定でガザ地区へ駐在していた。同地区の治安情勢の悪化から、欧米メディアの記者の大半は引き上げたが、独身で子どももいない同記者はガザ地区に留まり、現地の状況を報道し続けた。同氏の拘束事件に関して、英国政府からの解放要求だけでなく、中東で対立関係にある諸国や派閥などが同じく解放を訴えて一致団結したのは、欧米記者のほとんどが引き上げるなか、ラジオやテレビ、インターネットを通じて、現地の状況を伝えてきたジョンストン氏の報道が、中東社会でも評価された結果だった。

ジョンストン記者は1962年にタンザニアのリンディで生まれる。英国北部エジンバラの共学私立校ダラー・アカデミーを卒業後にダンディー大学で英語学と政治学を専攻、さらにカーディフ大学の大学院でジャーナリズムを研究した。
1991年にラジオ局のBBCワールド・サービスに入社後、1993年から95年までウズベキスタンに駐在した。さらに1997年から98年にかけてはタリバン政権下のアフガニスタン首都カブールで駐在員として取材活動に携わった。その後は、BBCワールドサービスの本部スタジオで看板番組「ワールド・トゥディ」の制作に携わってきた経験を持つ。
2005年のイスラエルの一方的な占領地からの撤退、2006年パレスチナ総選挙でのハマスの勝利、同年のガザ地区へのイスラエル軍の侵入、過去数ヶ月にわたるハマスとファタハの戦闘などを取材したのは、すべてジョンストン記者だった。

ジャーナリスト保護委員会(本部ニューヨーク)によると、ガザでは2004年以降、ジョンストン氏を含めて15人のジャーナリストが拉致された。同氏以外は全員が短期間に無事解放されているが、犯人が逮捕されたケースはないという。
(CNN 04 July 2007 )

2007/07/04

What's going on



ダーティダズンの「What's going on 」聴いてますか。
ハリケーン・カトリーナがアメリカ南部ルイジアナ州・ミシシッピ州を襲ったちょうど1年後の8月29日にアメリカで発売されたこのアルバムは、マーヴィン・ゲイの名アルバム「What's going on 」を丸ごとカヴァーしたものなんだけど。マーヴィン・ゲイのは35年前のベトナム戦争の退廃ムードを反映した反戦アルバムとしても有名で、それに一筋縄では行かないタフな男たちのブラスが加わり、チャックDらが加わって、連邦政府から見捨てられたも同然の、復興がぜんぜん進んでないニューオーリンズのことを「いったいどうなってる!」と怒る、「世界はちっともよくなってない!」メッセージアルバムに仕上がっている。

◇チャックDが特別参加の<What's going on >
「さあケツをあげてなにかしようじゃないか!そしてこの国の歴史上最大級のべらぼうな重大局面を片付けよう。」(2005年9月1日レイ・ネーガン市長WWLのインタビューに答えて:このとき市長はアメリカ政府に対する怒りを感情的に公言したことで政治生命は終わったと思ったと述べている。)
「子どもは置き去りにしない(2001年施行のブッシュの落ちこぼれは作らない法案のこと)、なんだと?オレたち全員、目が見えないとでも思ってるのか?
まあカトリーナの余波は、めくらにでも見えて当然だけどな
コンゴスクエアーのように(かつて休日には奴隷が集まり情報交換していた広場として知られる、ジャズ発祥の地でもある)それについちゃこの場で知ってたさ
82%のアメリカ人がどこにも行けないんだぜ(ニューオーリンズの被災者の82%が収入と信用度が満たないせいで連邦政府の災害どき臨時融資を拒否された)
ホントにそういうことなら、どうなってんだ?
ホントにそういうことなら、どうなってんだよー?
しかもそういうことなんだ そうなんだ

写真はダーティダズンブラスバンドと、被害にあったニューオーリンズの街の一コマ、クリスマスならハリケーンの被災から4ヶ月は経っている。

2007/07/03

異質なものとの戦い



スコットランドのグラスゴー空港に車が突入して炎上した事件、それとの関連性を当局が指摘するロンドン市内の自動車爆弾によるテロ未遂事件。すでに逮捕者が出ているようで、2人が医師、留学もしくは医療活動を目的に英国に入国したものと言っている。空港に突入したほうの容疑者のひとりは、炎上した車から脱出後に焼身をはかって火だるまになったのを、そばにいたタクシードライバーがホースで水をかけて火を消した。写真の1枚はまさにそのときに撮影されたものです。
捜査当局はまた、中部リバプール市内の2カ所やグラスゴー近郊、スタフォードシャー州の各地で家宅捜索を実施し、リバプールでは5人目の逮捕者である26歳男性を逮捕した。国籍は明らかにしないまでも容疑者はアジア系であること、地元出身ではなくスコットランド居住期間も長くないとコメントしている。
グラスゴー空港は7月1日午後に再開。ロンドンのヒースロー空港は不審物発見を受け、一時閉鎖。リバプールのジョン・レノン国際空港も6月30日夜に安全対策のため一時閉鎖された。

リバプールの国際空港にジョン・レノンの名前がついていたのをご存知でしたか。
わたしはジョン・レノン・ファンであるにもかかわらず、このニュースで知るまで気づきませんでした。ジョンが撃たれた日、そのニュースを聞いた日は、東京青山のボウイという会社で仕事をしていました。ショックで友人に電話したり、胸騒ぎがして仕事どころでなかったことを憶えています。以下は英国政府観光庁のサイト「visitBritain」で見つけた観光用ピーアルです。アンダーグラウンド文化も含め、文化は立派な観光源になるのです。
◇リバプール(visitBritain PR)
リバプールがポップ・ミュージックの都としての地位を確立したのは、1960年代初頭のこと。地元出身のマッシュルームカットの4人組、ビートルズが登場して世界のミュージック・シーンを席巻。ビートルマニアと呼ばれる熱狂的ファンを生み出し、その後登場する何百万というミュージシャンたちの素晴らしい音楽に影響を与えた。
1970年代にはエルビス・コステロや、ジュリアン・コープが在籍したティアドロップ・エクスプローズ、そして1980年代にはエコー&ザ・バニーメン、ハーフ・マン・ハーフ・ビスケット、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドといったアーティストたちがこの町から登場。多彩なサウンドで人々を魅了した。
1990年代に入ると、ザ・ラーズやライトニング・シーズ、そしてブー・ラドリーズ、シャック、キャストといったブリットポップ・グループが才能を発揮。近年ではザ・コーラル、レディトロン、そしてザ・ズートンズなどのニューカマーが活躍し、リバプールはブリティッシュ・ミュージックの中心としての地位を維持し続けている。
◇リバプールの音楽ミニ情報
1) ビートルズの名曲、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「ペニー・レイン」の両A面シングルは、英国チャートではナンバーワンにならなかった。ペニー・レインは、リバプール郊外に実在する活気ある通りの名前。またストロベリー・フィールズも実在する(2005年3月に閉鎖)孤児院の名称だが、曲はストロベリー・フィールズそのものについてではなく、ジョン・レノンの当時の心情を映し出したものかもしれない。
2) テクノポップ・バンドOMD(オーケストラル・マヌーバーズ・イン・ザ・ダーク)のシングル「スタンロウ」は、英国中をツアーした後、地元リバプールに戻ってきたことを実感させてくれる目印のような建物であるマージー精油所について歌ったもの。
3) エルビス・コステロは、初めてニューヨークを訪れた後、リバプールの波止場に思いを馳せながら代表曲「ニュー・アムステルダム」を書いた。
4) リバプール国際空港は2001年、地元出身の天才ミュージシャンをたたえるべく、リバプール・ジョン・レノン空港と改称され、妻のオノ・ヨーコが出席して記念式典が行われた。この空港は、個人の名前がつけられた英国初の空港となった。
5) スザンヌ・ベガは1990年春、リバプールに滞在した際に教会の鐘の音を聞き、マージー川の景色を眺めたことにインスピレーションを得て、「イン・リバプール」という曲を書いた。

すばらしいですね、英国政府観光庁のみなさん、リバプールに行きたくなりましたもの。国際空港といっても、グーグルアースで見る限り、広々としたなかにほとんどなにもないような簡素な空港のようです。

2007/07/02

ヴァーモスが帰ってきた!



7月1日、オーストラリアのジョン・ハワード首相が2008年2月にイラクからオーストラリア部隊の撤退を開始することをひそかに計画しているとオーストラリアのメディアが報じました。まだブッシュアメリカには言ってないそうです。
先日の、民間人が大勢犠牲になる誘導ミサイルによるイラク爆撃を止めるため、自分の国の実質米国が管理する基地でいったいなにが行われているかをオーストラリア国民に知らしめる目的でパインギャップ秘密軍事基地に侵入した4人に有罪判決が下っても、検察が求めた実刑には無理があるとの判断で軽い罰金刑になったことや、国民そしてメディアの関心の高さから導き出された結果かもしれません。傍聴席で歓声と拍手喝采、ハグが交わされるなか、サリー・トーマス判事はこう言いました。
「4人は全員、非常に純粋に自らが信奉する大義を追求しています」

写真は60人以上が死亡、20万人が家を失った、雨をもたらすモンスーンの到来でさっそく洪水による被害が出たパキスタン南部カラチ郊外。あたり一帯、泥水におおわれてます。(AFP=時事)
そしてイラクに駐留するオーストラリア部隊の兵士。(ロイター)
どちらも目の前の現実に圧倒されてるように見えます。
ついでに7月1日、うちのボクサー犬ヴァーモスが警察犬訓練所から帰ってきました!昨晩はほぼ4ヶ月間一人っ子を満喫していたサンバの、突然割り込んできたじゃまもの(弟分)に対するジェラシーからくる攻撃的態度に悩まされましたが、夜中見てみると、鼻面がいまにもくっつきそうなくらい頭をつきあわせて眠っていました。ヴァーモスは暑さが大の苦手、早朝5時半には散歩に行きます。きついけど、大きな顔と小さな顔の2匹の顔に迎えられると、すべてが吹き飛びます。ハッピー!