見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2023/12/05

かつて、パレスチナは世界の前衛だった

 



#ガザには男女を問わず何百人ものアーティストが住んでいることをご存知ですか?文字通り、人口に比例してアーティストの数が最も多い都市です。このスレッドではその一部を紹介します。これらのガザっ子は、破ることのできない、繊細で、驚くべき人たちであり、本物の立ち直る力の体現者です。

Abdalhadi Alijla عبد الهادي العجلة



ガザのアーティスト:Taisir Batniji


ガザのアーティスト:Rana Batrawi


ガザのアーティスト:Kamel Al Mougani


ガザのアーティスト:Mohamed El Kept

岡 真理さんの著書『ガザに地下鉄が走る日』の“あとがき”より

 2018年8月9日、イスラエルはガザの150ヵ所を爆撃した。ハマースがイスラエルに向けて200発のロケット弾を放ったことに対する報復であるという。ビーチ難民キャンプにあるサイード文化センターも爆撃され、5階建てのビルは瓦礫となった。イスラエルの常として、ハマースがここで活動していたから、というのがセンター爆撃の理由だ。2004年にオープンし、2つの劇場と映画館を擁する同センターは、ハマースではなく、ガザの芸術文化活動の一大拠点だった。完全封鎖のもとで「生きながらの死」を耐えるガザの人びとに舞台や映画、コンサートを提供し、いくつもの劇団や楽団がここを自分たちの活動のホームグラウンドにしていた。ここから世界の舞台へ羽ばたいていった者たちもいる。センターはパレスチナの民族舞踏ダブケの舞踏団も運営しており、250名の子どもたちが参加していた。そのセンターが一瞬にして瓦礫の山となった。

 自殺という宗教的禁忌を犯して地獄に堕ちることと、封鎖下の生き地獄を生きることのあいだに、もはや違いが見いだせず、命を絶つ者たちが激増しているガザで、それでも生の側にとどまり続けること、人間であり続けること、それがガザの人びとの闘いの根幹を形成しているこのとき、<芸術>というものが、どれほど彼、彼女らを支える力の源、糧であることか。

……イスラエルがサイード文化センターを標的にしたのも、センターがガザのアーティスティックな活動の拠点であり、人間をただ生きているだけの命に還元してしまおうとする完全封鎖の暴力のなかで、アートというものが、それでもなお人びとを深く<人間>たらしめる魂の糧であることを知っているからだ。

 センターが破壊された翌日、ガザのアーティストたちは楽器を持ち寄ってセンターの瓦礫のなかで演奏した。10年前、2008-2009年のガザ攻撃のときも、停戦になるやガザのアーティストたちは、破壊を免れた絵画作品を半ば崩れかけたビルの壁に飾り、それを撮影した動画を「廃墟のなかのアート」と題して世界に発信した。パレスチナ人のレジリエンス(回復力)を世界に見せつけるように。だが、文化センターを標的とする攻撃に現れているように、昨今のイスラエルの攻撃は、レジスタンス(武装解放勢力)を叩くというより、パレスチナ人のこの「レジリエンス」の根源、彼らが「それでもなお人間であり続けよう」とする精神的基盤―それこそがナクバからこの70年間、パレスチナ人の闘いを支えてきたものだ―を根源的に破壊しようとしているように思われる。

 かつて、ナクバから四半世紀を経た1970年代、パレスチナの若者たちは、男性だけでなく女性も、フェダーイーン(解放戦士)となって、その手に銃を握り、祖国の解放と故郷への帰還のために命をなげうった。「パレスチナ」は、エドワード・サイードが言うように、人間の全的自由を求める闘いの、世界の前衛だった。




#南アフリカの国際関係協同大臣Naledi Pandorは、イスラエルが世界に対してウソをつき続けてきたことを追認!

イスラエルとパレスチナ双方のさまざまなNGOによって提供された証拠は、イスラエルが米国当局といっしょにフェイクニュースとプロパガンダを広めていることを確かにする。