見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2023/12/11

サイードの臨終のことば don’t forget Palestine

 


#ヤニス・ヴァルファキス

けばけばしい色彩をもったイスラエルの胸のむかつくような入植者イデオロギー




#アイルランドは、ダブリンの政府庁舎にパレスチナの国旗を掲揚し始めた。

サンキュー、アイルランド


#スペインのゲルニカの町はパレスチナとの連帯を表明している。4月26日、ゲルニカはナチス・ドイツのコンク軍団による最初の空爆で爆撃された。スペインにおけるナチスの虐殺を知らせるゲルニカのサイレンは86年後、ガザの虐殺を知らせている。


#ヤニス・ヴァルファキス

ハアレツ紙によると、ガザでの死者に占める民間人の割合は20世紀の世界のすべての戦闘の死者の割合より高いという。丁寧ではなく、より直接的に言えば、アメリカ・EUはメガデス(核戦争級の大量死)に共犯している。


#中東ジャーナリスト 川上泰徳 @kawakami_yasu

ホロコーストの犠牲者としての歴史の風化というよりも、イスラエルが1967年以来、パレスチナの非人間的な占領を半世紀以上続けていることで社会にパレスチナ人に対する差別意識が深く根を張っているのでしょう。すべてのユダヤ人男性市民が高校卒業後、ほぼ3年間、パレスチナ占領地でパレスチナ人を人間扱いしない兵役に従事する中で、「パレスチナ人は劣っている」という差別意識で非人間的な軍務を正当化するしかなくなっているのです。社会意識として非常に不健全だと感じました。

 私はエルサレムに駐在していた時、西岸、ガザでの軍務を拒否する予備役の兵士たちを取材して記事を書いたことがありますが、彼らは「西岸の軍の任務は入植者を守るために、パレスチナ人を抑圧し、結果的にイスラエルを危うくしている」と語っていました。「パレスチナで占領を続けることで、イスラエルの道徳が破綻する」と危機を語る若者もいました。

 ただし、国防こそ市民の義務であるイスラエルで兵役拒否や軍務拒否をすれば、就職先は限られ、市民としての権利も制限され、繰り返し軍刑務所で服役することになりますから、その代償は大きいのです。



『ガザに地下鉄が走る日』の著者である岡 真理さんが愛用しているカナダのパレスチナ支援グループが製作し販売しているカレンダー、“Colors of Palestine”には、パレスチナに深く関わる3つの信仰、ユダヤ教、キリスト教、イスラームに関係する祝祭日が記載されている……

「エルサレムはこれら3つの信仰の聖地であり、この聖地で人々は信仰を異にしつつもアラビア語を話しながら隣人として歴史的に共生してきた。それがエルサレムの街の歴史であり、パレスチナの歴史であり、さらに中東イスラーム世界のありようだった。…千数百年に及ぶ長い歴史の過程で、異教徒に対する迫害がなかったわけではない。しかし、総じて“共生”こそがムスリム社会の原則だった。

 たとえば、歴史的に地中海世界最大のユダヤ教徒を抱えていたモロッコは、宗主国フランスがナチス・ドイツに占領されたことで、新ナチスのフランス、ヴィシー政府から国内のユダヤ教徒を摘発すべしとの命令が下された。しかし、ときのスルタン、ムハンマド・ベン・ユーセフは、スルタンである自分はイスラーム法に従って、臣民であるユダヤ教徒を保護する義務があるとしてフランスの命令を敢然と拒否し、モロッコのユダヤ教徒はホロコーストを免れた。

 エルサレムとはアラブ・イスラーム世界における、この歴史的共生のシンボルにほかならない。その共生の歴史を暴力的に破壊したのが、近代におけるシオニズムによる侵略であり、イスラエル国家の建設だった。」


「1990年1月、私はスペインのアンダルシアにいた。

イベリア半島は、ヨーロッパ・キリスト教徒によるレコンキスタ(再征服)が完了するまで800年間にわたってアラブ・イスラーム世界だった。グラナダ、コルドバ、セビリア……。これらアンダルシアの諸都市の魅力はアラブ・イスラーム時代の歴史と文化を色濃く残していることにある。……

 だが、アンダルシアでヨーロッパ人キリスト教徒によるレコンキスタが完了したとき、その地に暮らすユダヤ教徒、イスラーム教徒を待っていたのはキリスト教への改宗か追放の二者択一だった。ユダヤ教徒、イスラーム教徒のまま、彼らが故郷にとどまることは許されなかった。

…この同じ暴力、民族浄化の暴力が、500年後、再びヨーロッパで繰り返される。ナチスが政権を取ったドイツと、ナチス・ドイツに征服された東欧の国々で、ユダヤ人はまず社会の周縁に追われ、次に祖国から追放され、最後にこの地上からの抹殺が企図された。500年前は“信仰”を理由に、故郷に生きる権利を否定されたのが、近代においては“人種”の違い、“血”がその理由とされた。…そして、ユダヤ人がナチスの絶滅収容所から解放された3年後、再び同種の暴力が、今度はパレスチナの地で繰り返されることになる。キリスト教徒とイスラーム教徒のパレスチナ人は“アラブ人”と人種化され、パレスチナに住まう権利を否定され、ナチス支配下のヨーロッパで“ユダヤ人”とされた者たち同様、非人間化され、人間としての権利を奪われたのだった。パレスチナ問題が“パレスチナに移植されたユダヤ人問題”とされる、ひとつの所以である。」


#速報|ヘブライ語チャンネル13:ネタニヤフ首相は、ガザから解放されたイスラエル人の人質の家族との面会を要請した、だが、彼の要請は拒絶された。




#わたしたちは決して忘れません

わたしたちはこれについて伝えることを決してやめません