見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2013/03/18

アルゴの顛末

写真は、大半をロサンゼルスの市内とその周辺で撮影した映画アルゴの架空のイランにいるベン・アフレック

◇Wired誌の記事からハリウッドへ:アルゴの顛末 19 October 2012

映画「アルゴ」は荒唐無稽な歴史事件に関する"実話"である。1979年に起きたイランのアメリカ大使館人質事件が解決をみない中で、翌年、SF大作映画を撮影するためロケ地探しに行くカナダの撮影クルーと偽ってCIAは大使館から逃れて身を潜める6人のアメリカ人をテヘランから救出した。CIA職員ジャック・オドネルを演じたブライアン・クランストンが言うように、この救出劇は「もし脚本家が書いたのなら、"おいおい、あっちへ行ってくれよ、そんなの誰が信じる、真実味が必要だ"と言うほどに途方もない話だ。」

最初にハリウッドがアルゴの顛末を知ったのは、脚本ではなくUS版「WIRED」誌に掲載されたジョシュア・ベアマンの記事だった。救出劇で演じたカナダ政府の絶対不可欠な役割とやらのせいで「カナダの不法行為」が1980年の事件の有名なパートだったが、CIAの映画プロダクションの作り話を含む詳細が事件後18年経って当時のクリントン大統領によって機密扱いを解かれた。事件から30年、ハリウッドがアメリカの国家安全保障に手を貸す信じられない話は、ハリウッド映画そのものだ。

事件のあらまし:
1979年11月4日、イラン革命の最中、ガン治療を名目に独裁的な前イラン国王の入国(亡命)を認めたアメリカに激怒した抗議者(イスラム法学校の学生)らがテヘランのアメリカ大使館に押し寄せ、52人の大使館員を人質にとり、国王の身柄引き渡しを求めて立てこもった。このとき、混乱に紛れて6人の大使館員が裏口からこっそり逃げ出したことにまだ誰も気づいていなかった。6人は最終的にカナダ大使ケン・テイラーの公邸に身を潜めた(もし見つかれば公開処刑を免れない)。

大使館から脱出した者がいると知らされたアメリカ政府はすぐに彼らの国外救出作戦を検討し始める。イラン政府によって国内すべての英語学校が閉鎖されていたため、英語教師だとは言えない。季節が冬で農作物の調査をする農業専門家だとも言えない。そんな中、CIAの人質奪還のエキスパート、トニー・メンデスは、6人にSF映画のロケハンに来たハリウッドの撮影スタッフのフリをさせる作戦を思いつく。

メンデスはハリウッドに飛び、「猿の惑星」で有名な特殊メイク界の第一人者、ジョン・チェンバースの力を借りてニセ映画をでっち上げる。また真実味をもたせるため、脚本の権利を取得し、スタジオシックスなるニセ製作会社を設立。ヴァラエティ誌に広告を掲載すると共に製作発表パーティを開催してニセ映画「アルゴ」を世界中に宣伝した。さらにSF大作映画の撮影に説得力を加えるため、キャプテンアメリカやハルクの生みの親であるジャック・カービーによる絵コンテまで用意した。

ベン・アフレック:「これはドキュメンタリーではない。ドラマだ。でも映画で描かれる物語とそのエッセンスは実話から成り立っている。大使館が占拠される中、6人のアメリカ人が逃れてカナダ人の家にたどり着く。カナダ人らはジョン・チェンバースとトニー・メンデスがニセ映画製作の救出作戦をでっち上げるまで彼らをかくまった。」

CIAはモントリオールの新聞『ラ・プレス(La Presse)』の記者ジャン・ペルティエがこの作り話について何か情報を握っていることは知っていたが、彼が紳士協定を守り、できるだけ長く情報を伏せておくことに期待するしかなかった。彼は結局一カ月情報を伏せておき、テヘランにあるカナダ大使館が閉鎖されてアメリカ人らが無事脱出したことを確認すると直ちに記事を公表した。

記事の掲載で事の顛末はたちまち広まり、カナダ政府への感謝の念は空前の高まりを見せた。アフレック版「アルゴ」のエンディングには次のようなあとがきがある。「CIAの関与は6人をテヘランから救出しようとするカナダ大使館の努力を補うものだった。この話は今日まで政府間の国際協力の不朽のモデルのままである。」

「最終的にこの話は現実そのものだと言える程度に自信がある」とアフレックは言う。

ジョン・チェンバースとトニー・メンデスは実在の人物だ。ブライアン・クランストンが演じたジャック・オドネルは何人かのCIA職員を組み合わせた人物で、アラン・アーキンが演じたレスター・シーゲルも同じく、おおげさにパロディ化されたハリウッドの所産である。

しかしながら、イランの歴史はアフレックによって、より一層真剣かつ重大に取り扱われる。脚本を変更し、中東の政治情勢について導入部を付け加えた。イギリスとアメリカの政府が民主的だが左派であるモハンマド・モサッデク首相を崩壊させて親欧米のモハンマド・レザー・パーレビー国王(シャー)による独裁政権に置き換えたことを説明する。国王の独裁の恐怖は1979年のイラン革命で終わる、イランはすぐにイスラム教の国となった。

(1953年、アメリカ政府とイギリス政府が画策したCIAによる皇帝派クーデターによってモサッデグなど国民戦線のメンバーは逮捕され、モサッデグは失脚する。彼は3年間の投獄を経て自宅軟禁となるが軟禁中に死去。石油の国有化を主張したモハンマド・モサッデグ首相失脚後、イランはアメリカの干渉を受け、脱イスラムを図り、急速な欧米化をたどっていく。パーレビー国王はアメリカの傀儡となり、自分の意に沿わない者は粛清した。)


ベン・アフレックはドラマティックな効果をあげるために話を変えることで手の内を見せた。それにはラストの安っぽい追跡シーンも含まれる。映画クルーに扮した6人が滑走路を行く機内の窓から外を見るシーンで、アメリカ人が搭乗していることに気づき、武装した兵士を満載する2台のクルマが離陸する彼らを追いかけてペルシャ語で叫んでいる。こんなことは実際にはなかったし、率直に言って失策に感じる。

実際の空港からの脱出は非常にスムーズだった。映画の公開に合わせて出版されたトニー・メンデスの脱出に関する本(こちらも「アルゴ」という)が、緊張はまったく内面のことだったのを明らかにする。「実際にあったことじゃない、最後のクルマからの逃避は内なる恐怖を表す、まったく内部的なるものの具現化だ。」とアフレックは主張する。「語り手としてぼくが犯した罪の大半は省略したことによる罪だ。」

ニセのカナダのパスポートに糊付けされた日付が間違ったビザのように、映画には省略されていることがある。映画クルーの装備が軽すぎて映画クルーについて本物の知識がある者には説得力がなかった、正体を隠す外交官に精通したメンデスの気持ちに幾らか重荷を負わせた。

もちろん、ドラマだというのでこれは正当化される。アフレックはかなりの監督で、時代と空気の再現の仕方ではすばらしい分別の持ち主だ。「ぼくは常に70年代の映画にとても興味がある。これは70年代の映画を使ういい口実だった。『大統領の陰謀』だったり、『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』を含めるジョン・カサヴェテス映画を、ぼくは意識的にまねた」とアフレックは説明する。

何より難しかったのが、イランの映像を手に入れることだった。アフレックは知り合いのイランの映画製作者に、彼のために建物や景色などありふれた場面を撮ってみてくれと頼んだが、あいにく「あの人たちはおびえるあまり撮ることができなかった。またそれは、実にまったく悲しむべきだ。」代わりに、大半は1979年の革命に引き続いてイランを逃れた人々で、実のところロサンゼルスには莫大な数のペルシャ人住民がいるとアフレックが言うロス市内や周辺でほとんどの撮影は行われた。セットでのイラン人の存在は「まったくありがたいもの」と彼は言う、なにしろ彼はみずからその国を体験するためにイランに近づくことができなかったのである。

こうした本当らしさが『アルゴ』をこれほど説得力のある緊迫した映画にしている。その時代考証はすばらしく、実話に基づくことがまさしくそれに勢いをつける。ほとんど空想のような話の完成度の高いうまい改作話ではあったが、多少の気ままは仕方がない。ある意味では『アポロ13』や『ミュンヘン』に属するスリラーだ。

確かに、妥協がある。実際の事件をドラマ化するということになると、特にこんな長いこと機密扱いされたCIAの作戦が絡む事件である、『アルゴ』が互いに譲り合わねばならないのは不思議ではない。それでも、当然アカデミー賞のうわさを始めさせることに関係させた俳優のすばらしい演技でいっぱいの映画は、印象的な方向性を示すベン・アフレックの功績だ。そしてそのすべては、さえない『スターウォーズ』のパクリ映画で始まった。

http://wired.jp/2013/03/04/making-of-argo/