見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2017/04/11

メドベージェフ “おそまつ”くん

◇ドミトリー・メドベージェフ:ロシアの不満に対して代わってむち打たれる身代わり

街路の抗議に導いた腐敗行為(汚職)の申し立てにロシアの首相周囲の失望の雰囲気を大きくする

週末にかけてロシアの都市を襲った街路の抗議は、めったにないほど大規模であったのみならず、ドミトリー・メドベージェフという主要な標的でも注目すべきだった。

反汚職運動家で野党政治家のアレクセイ・ナワリヌイ( Alexei Navalny)による調査がメドベージェフにつながる豪華建物やブドウ園のネットワークを強く申し立てた後、首相が抗議の関心の中心になった。

野党指導者アレクセイ・ナワリヌイはロシアの全域の抗議のまっ最中に拘留された。

2008年から2012年まで大統領として4年過ごしたメドベージェフは長いこと野党の多くによってプーチンの権力中枢部の側近グループの比較的慎みのある感じのよいメンバーと考えられていた。だが、過去10年の間、彼の通った道筋は、漸進的変化とウラジミール・プーチン体制が徐々に体制内から改革されてもっとリベラルなものに進化するかもしれないとの有望な見込みの結果として来たるべき粉砕を反映する。

1991年からロシアの大統領を知っているメドベージェフもレニングラード(現サンクトペテルブルグ)で成長したが、2人の背景や経歴は非常に異なる。プーチンがKGBに勤めていた間、メドベージェフはピンク・フロイドのアルバム「ウオール」を所持することやラングラーのジーンズを思いのままにすることを夢見るティーンエイジャーだった。

彼はツイッターを使用し、割合にリベラルな人たちに取り囲まれた、そして2008年の大統領選のために遊説したとき、「非自由より自由のほうがよい」というようなことを言った。彼が、重大だったひとつの票、プーチンの票を獲得するのはしばらく先だった。

要するに、彼はロシアの成長する中流階級の抱負に共鳴した礼儀正しく進歩的な男のように見えた。首相の地位に移ったプーチンがそれでもやはりもっと権力を保持するのは明らかだったが、そのうちメドベージェフは成長して本物の政治的影響力を使いこなせるようになるかもしれないとの心からの期待があった。

プーチンの権力中枢部の側近グループについての最新の本でロシアのジャーナリスト、Mikhail Zygarはメドベージェフの不安にさせる態度を「初めて教室に入ることでどんな反応を得るか不確かな新米教師」のそれと説明した。

メドベージェフがプーチンのように身支度を調えるかまたはプーチンのように話そうと努めたとき、結果はおどすようというより滑稽だった。

だがそれは幾分か多くのリベラルがメドベージェフに彼らの希望をかけたこの理由のためだった。彼が裸でぎこちなく見えたという事実、そしてクレムリンの権力中枢部のそれはたくさんの側近グループを作り上げたおもしろみのない元KGBのロボットのようなやつのひとりというよりはむしろ普通の人のようだったという紛れもない事実が、彼は時間をかけて徐々に進む変化を果たすことができるかもしれないと人々に希望を抱かせた。

だが、2011年秋にプーチンは彼がクレムリンに戻ると発表して再びメドベージェフが首相になった。

「正直に言うと、プーチンでさえ、ちょっとメドベージェフに失望したと思います。ついに人に任せられるかもしれないと期待していたがメドベージェフは果たすべき職務に適していないと彼は見ました」とクレムリンに近いひとりの筋は主張した。

メドベージェフはこの降格をおとなしく受け入れた、もっとも彼が意気消沈し始めたとのウワサがモスクワで渦を巻いたが。

「しばらく、首相であることに自分を再適応させることが非常に難しかった、もっともしばらくしてまずまず満足そうに見えはしたが」と別のクレムリンに近い筋は言った。

クリミア併合と2014年ウクライナ東部での戦争の後、西側諸国の制裁や石油価格の低下は多くのロシア国民にとって生活をかなり厳しくさせることを意味した。プーチンが世界の舞台でロシアの新たな強い色彩の功績にとびつくとき、メドベージェフは地元で悲惨な経済状況について急所をつくあてこすりを引き受けた。

時が経つにつれてメドベージェフのヘマは魅力的というよりむしろ当惑させるように思われた。彼はソーシャルメディアで情け容赦なくなじられ、彼はハッシュタグ“おそまつ”であるとされた。

ソーシャルメディアで彼に宛てて残されたコメントを読んだ後、メドベージェフはいらいらして混乱状態になった、そして人々は彼をドミトリーの軽薄な愛称、Dimonと呼ぶことが喜ばれると考えると不平を述べたと彼のスポークスマン、Natalya Timakovaは言った。「彼はあなた方のDimonではありません、彼は首相です」と彼女は怒って言った。

彼の以前のチャーミングともいえるなぎこちなさは、今はむしろ政治音痴のように見えた。2014年ソチ冬季オリンピックのすばらしい開会式を含む主要イベントを通して、彼はうたた寝しているのを繰り返し撮影された。

感情に訴える教師からなぜ給料がこれほど低いのか尋ねられて、メドベージェフはもし教師が高給を稼ぎたいなら教師より実業界に入るべきだと陽気に申し出た。併合されたクリミアで怒った年金受給者から近寄ってことばをかけられて、なぜ政府は年金を物価にスライドさせなかったのか教えてくれるようせがまれたとき、彼はこう言い返して立ち去った:「金は少しもありません!でも、あきらめないでください。ごきげんよう、さようなら!」

こういうコメントは、ナワリヌイのビデオの中の申し立てに照らして、再びまずく見えてくる。たとえ申し立ての一部は真実でも、友人によって、そして代理信託(トラスト)を通じて保有されるにもかかわらず、メドベージェフが財産と資産の一大帝国を蓄積したとそれは思いつかせる。

「彼はちっともDimonではない… 彼はこの国で最も腐敗した人々のひとりだ」とナワリヌイは自分のビデオで言った。

メドベージェフは申し立てについて公式の説明をしなかった。日曜、抗議の日に、彼の全盛期はスキーをしようとするほど“ひどくなかった”と彼はインスタグラムのアカウントに書いた。

逆説的なことに、彼の立場は抗議のうねりによって安全になったらしい。首相として余命いくばくもないというウワサが非常に長い間広まっていた。そして6ヶ月前、プーチンは彼を解任しかねないとのおしゃべりが再開された。だが、クレムリンはナワリヌイの予定表(優先課題)に負けているように見えることを望まない。

「プーチンはメドベージェフを完全に信頼している、彼は100%検査済みの所産(申し子)だ。そして目下の事情ではプーチンが彼を解雇することはいっそうありそうもない、彼の立場はこれまでより固い」とクレムリンに近い筋のひとりは言った。

https://www.theguardian.com/world/2017/mar/30/dmitry-medvedev-whipping-boy-russia-discontented-protests?CMP=twt_gu

△モスクワ時事:モスクワなどロシア各地で26日行われた反プーチン政権デモには現状に不満を持つ10代の若者が多数参加した。デモの呼び掛け人でインターネットを駆使して政権批判を展開する野党勢力指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(40)への支持が若者の間で広がっており、プーチン政権は神経をとがらせている。

リベラルな論調で知られる経済紙ベドモスチは27日の社説でデモは「政権に対する不満の高さと若者の政治化を示した」と指摘。2011~12年の反政権デモの時より参加者が若いとした上で、その理由としてインターネット交流サイト(SNS)などを活用するナワリヌイ氏の手法に若者が共感しているとの見方を示した。

今月2日には、ナワリヌイ氏はメドベージェフ首相が違法に豪邸やブドウ畑を所有していると告発する動画をネット上で公開。再生回数は1300万回を超えた。ナワリヌイ氏のツイッターのフォロワーは184万人に達している。

ペスコフ大統領報道官は27日、「若者を欺き、報酬を約束するなどして、(当局が)許可していない集会に参加を呼び掛ける人々をわれわれは尊重しない」と述べ、野党勢力が金を使って若者をデモに動員したと主張した。

プーチン大統領の出馬が見込まれる来年3月の大統領選を1年後に控え、政権は若者のナワリヌイ氏支持が大きなうねりになることを警戒している。
26日のモスクワのデモではナワリヌイ氏が拘束され、人権団体によれば、拘束者数は1000人以上と異例の規模の取り締まりとなった。10代の若者も多数拘束されたとみられ、政権側はナワリヌイ氏を支持する動きに厳しく臨む姿勢を示した。(2017/03/28)