デイヴィッド・バーンがやってくる
◇デイヴィッド・バーンのYes, We Can
選挙結果が届いたとき、ボクは家にいた。オバマがリードしながらも時々TVをチェックした。セントマークスプレイスにいたスティーヴンがストリートが閉鎖されて人でいっぱいだと言う。ポールはローワーイーストサイドが巨大パーティみたいだと言った。タイムズスクエアーとロックフェラーセンターにいたレイは、そこであらゆる人種と国籍のあらゆる種類の人々が祝っているのを見るのはまったくすばらしい元気づく感じだったと言った。ハーレムにいたグラハムは、言うまでもなく、お祝い騒ぎが最高潮だったと言う。カメルーンにいるカイサのママは選挙の推移を聞き取るため、朝5時に起きた。
世界のアメリカ以外の国が、伝統的に米国に批判的な国でさえ、オバマの勝利に元気づけられ驚喜した。奇跡が起こりうる国、移民の子どもが大統領に選ばれるかもしれない国という神話に対する人々の信頼を復活させる。彼の人格や経歴、象徴するものだけでなく、彼の政策や投票記録が、ただちに帝国を、さほど好戦的で威張りちらすほどでない世界の強国と常に支持される民主主義、可能性、平等の少しは指針となるものに変えてきている。ブッシュと彼の仲間らによる8年の職が、地球全体のあちこちを手当たり次第ぶっ壊すことでびっくりするような仕事をしたとはいえ、たぶん、敬意の復活もあるかもしれない。アメリカが象徴する希望と可能性を、時にはアメリカが提案もする希望と可能性を、人々は手に入れたい。アメリカ国民の心と世界中でじっと見つめる人びとの心に、アメリカがこれほど速く希望と可能性を回復できるかもしれないのは驚くべきである。そう、ボクたちはやればできる。
祝賀に意地の悪いひねくれた調子は加えないが、いまアメリカの人種間の関係に起こったことに驚かざるを得ない。たくさんのコネや助けがない、片親の家庭出身の黒人男性を大統領に選べるなら、他の黒人だって救援や力添えを当然受けるに足るだろう?とたくさんの人たちが感じるんではないかとボクは思う。オバマにできて、なぜ残りのあなた方に独力でやり遂げることができない?という気持ちかもしれない。「ヘイ、現に差別があると、一体どうして主張できない?ではどうしてボクたちはこの金すべてを人々を助けるのに費やしてきているのか?」という気持ちかもしれなかった。
それで、アメリカは今でも十分に差別する人種差別の国だ、一晩で変わるものではない。でも、国の大部分がそれを脇に置いて、ほんの少し皮膚の色で人種差別をしないことに近づくというひとつの希望を選挙は確かに与える。ペンシルベニアでオバマのために戸別訪問をして誰に入れるか決めてない有権者の家に偶然行き当たっていた友人は、白人の多くがオバマの立場に同意を主張した間に討論に興味を持ったが、ある人はわけがありそうな様子で彼に投票するつもりだと言うことで次の行動を起こすことができなかった。ヴォランティアの彼女は、彼らを押しとどめているのは人種ではないかと感じたので、注意深く彼らにその点を迫った。ある人はそうであったのを認めた、そこで時々彼女は「人種差別主義者(あるいはその結果)なのはオーケーですが、あなたの国にとって正しいことに投票したいと思いませんか?人種差別主義者のままで、あなた自身にとってもっとましな暮らしのために投票することはできます。」と言った。ワオー、勝手に理論を作り上げるそのせりふでボクが客を引きつけられるとは思わない!大きな行動が起こされてきているのは間違いない。変化のために人間を信じる信念をわずかながら人に与える。
(5 November 2008 バーンのジャーナルより)
写真はブライアン・イーノ
http://enoweb.co.uk/
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