見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの、見つけたとき、 それを作品にしたり、思わずなにかの形にして、人に 伝えたくなります。 見つけたとき感じた、しあわせ感覚が、ひとしずくでも 誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

March 25, 2010

ジョン・ルーリーの絵




◇シンガー、ソングライター、複数の楽器演奏家、マーク・リンカスが自殺を図ったのを、マネージャーがローリングストーン誌に正式に認めた。想像力から生まれたアンビエント・サイコ・フォークの4枚のアルバムをリリースしたスパークルホース(Sparklehorse)での喝采で迎えられる作品で最もよく知られるリンカスは、また、ダニエル・ジョンストンの2003年のアルバム「Fear Yourself」をプロデュースして、「Dark Night of the Soul」でデンジャーマウス(Danger Mouse)とコラボした。47歳のリンカスは音楽に取り組むため最近移動していたテネシー州ノックスヴィルの友だちの家の外で心臓をぶち抜いた。

リンカスのドラマチックで官能的な音楽は、たいてい苦痛の箇所から生まれた。スパークルホースのデビューアルバム「Vivadixiesubmarinetransmissionplot」の後、1996年UKツアーの最中に危険な組み合わせのバリウム(精神安定剤)と抗鬱剤を摂取した後にリンカスは本当に2分間心臓が停止した。彼は回復したが、そのできごとが彼に後遺症の足の麻痺を残した、彼は14時間意識を失った状態に置かれて両足への血液の循環が止まったのだ。医者が両足をまともにしようとしたとき、彼は心臓発作に襲われ、損傷を受けた脚を救うため7回手術を受けた。だが、そのできごとの後、彼は1999年のアルバム「Good Morning Spider」、2001年のアルバム「It's A Wonderful Life」、2006年のアルバム「Dreamt for Light Years in the Belly of a Mountain」を録音した。「厳密な解釈に従うとボクが死んだとき、ボクは数分間死んだと思う、歌を書く能力をボクに割りあてる脳の一部は損傷を受けるだろうから、しばらく、ボクは本当におびえた」と、1999年に彼はローリングストーン誌に語った。

リンカスはつい最近、EMIとの法的問題でストップさせられたマルチメディアプロジェクト、「Dark Night of the Soul」でデンジャー・マウスと映画監督デイヴィッド・リンチと協力した。ちょうど先週、デンジャー・マウスとレーベルが論争を解決して、元々そのつもりだったようにそのアルバムをカムアウトさせることで合意した。2009年7月、リンカスがローリングストーン誌と最後に話したとき、「Dreamt for Light Years in the Belly of a Mountain」で彼とデンジャーマウスがどうやっていっしょに取り組んだか、いかにしてプロデューサーにインストルメンタルの曲を「革命」と呼ばせたか、彼は説明した。「ボクはまったく歌うことができなかった」とリンカスはローリングストーン誌に語り、「反戦歌には違いないと思った、でも、ボクが歌詞を書いてもムダ」と言った。その曲に歌詞とボーカルと歌が加えられて、タイトルしなおされた「Just War」が、「Dark Night of the Soul」をキックオフする。「あれがプロジェクト全体としてはegg(爆弾)だった」とリンカスは言った。

「アンチレコード」の責を果たした新しいアルバムがほぼ完成間近だったのをリンカスのマネージャーが確認する。

(ローリングストーン誌 6 March 2010)

写真はマーク・リンカス
続いて、
ジム・ジャームッシュの映画とその後のジョンが監督して案内する釣り映画「フィッシング・ウィズ・ジョン・ルーリー」でよく知られるようになるラウンジリザーズ(フェイクジャズ)のジョン・ルーリーがライム病というマダニによって感染する難病でサックスを10分と吹いていられないカラダになっているのを、そしていまはサックスを置いて、代わりにドローイングと油彩であの繊細で独特なリズム感を表現しているのを、ご存じでしたか。5月16日まで東京のギャラリー、ワタリでやっています。
ーーそのジョンの作品の一枚
2005年の「JESUS IN MY GARDEN ONCE」
http://www.johnlurieart.com/art/

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