世界は衰弱している
◇「ボクはいまだかつていなかった聖戦戦士」truthdig 06 September 2014 by アレクサンダー・リード・ケリーISIS(アイシス)が西側諸国出身の熱狂的な若者補充兵をシリアやイラクの最前線へ引き抜き続けるとき、イギリスのガーディアン紙が”イスラム文学のハンター・S・トンプソン”と形容するマイケル・マホメット・ナイト(Michael Muhammad Knight)がアメリカの教育がどのように九分通り彼をジハード(聖戦のための)戦士にしたかについて、水曜、ワシントンポスト紙で語る。20年前の1990年代半ば、ナイトはパキスタンのイスラム神学校で学ぶためにニューヨーク州北部のカソリックのハイスクールを退学した。コーランを読むのに費やされる彼の幸運な時間はロシア支配に対するチェチェン人の抵抗のニュース報道で中断した。彼が見たビデオに”とても動揺させられ信仰にささげた教育をなげうって銃を手にしチェチェンの自由を求めて戦うことについて考えている自分に気づく”のを発見した。ナイトを戦いたいと思わせたのはコーランの一節ではなくて、むしろアメリカの価値観だった。レーガンの80年代に大人になるナイトはテーマソングの歌で”苦悩がある場合には必ず、自由のために戦え”と教えたマンガ”G.I.ジョー”を見た。”自由と正義と平等”に対する脅威が認められるどこへもかかわりを持つ権利と義務が誰にでもあると信じるようになったと彼は言う。彼の熱意は”モスリムの猛威”または”西側諸国に対する憎悪” の立場からではなかった。彼は自分が同情によって動かされる感じがした。軍に加わることを強要する多くのアメリカ人の愛国心の感情のように、ナイトは”抑圧と戦って他者の安全と尊厳を護る”ことを切望した。「この世界は衰弱していると思った」と彼は続ける。「本物のイスラムと偽りなくイスラムの政治制度の一新によって世界は治療することができると主張するやや魔術的な解釈にボクは信頼を置いた。でも、正義を目指して励むことは自分自身の生命よりずっと貴重だと思ってもいた。」しかしながら、ナイトは兵士にならなかった。彼の年長者はイスラム教の創始者マホメットのものであるとする声明を忘れずに彼に念をおした。「古典学者のインクは殉教者の血より神聖だった」とナイトは思い出す。彼はハーバードで勉強を続けたのち、イスラム教学科で博士号を取る。「宗教的な人間、特にモスリムの人たちは単に彼らの信条が命ずるからやると決めてかかるのは簡単」と彼は続ける。「でも、逃げてチェチェン反乱軍の闘士になるとのボクの17歳のできごころについて考えるとき、ボクは宗教上の要因以上のものと考える。チェチェンを解放してイスラム国家に変えるというボクが勝手に作り上げたシナリオは、アメリカの理想と価値観に基づくまったくのアメリカ人のファンタジーだった。彼のものではない自由を獲得するための闘争に熱心に従事するため世界を渡って移動するアメリカ人について耳にするときはいつでも、まさしくその、アメリカ人の得意とすることにほかならないと思う。」「そしてそれが問題だ。私たちは暴力を賛美して軍事的征服を善を行おうとする行為として見るよう養育された。他国の内戦に介入したがるアメリカ人の子は、聖書の一節のジハード戦士の解釈ほどにアメリカの例外論と同程度の世界観を持つ。軍の犠牲を称賛してアメリカのビジョンによって他の社会を建て直す資格を有すると感じる国でボクは大人になった。これまで宗教について考える前にボクはこれらの価値観を採り入れて自己のものとしてきた。”ジハード”または”イスラム国家”のような概念は言うまでもなく、イスラム教徒とは何であるかを知る前でさえ、ボクのアメリカ生活はそれが勇敢な男がすることだと教えていた。」
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