見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの、見つけたとき、 それを作品にしたり、思わずなにかの形にして、人に 伝えたくなります。 見つけたとき感じた、しあわせ感覚が、ひとしずくでも 誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

August 03, 2017

中東で最も鍛えられた軍隊

◇アメリカ人がミサイルを発射するずっと前からシリア軍はIsisに勇敢に立ち向かっていた

インディペンデント紙 by ロバート・フィスク 27 July 2017

私は軍が好きではない。軍は危険な制度である。兵士はまさしく戦闘するからヒーローではない。そして私は、剣により生きる者は時に剣により滅びると言うのがだんだんいやになった。だが、過去12カ月にアメリカ人とイラク人とIsisがモスルの一般市民4万人の死の原因である世には13世紀のアレッポでモンゴル人によって虐殺された一般市民5万人と比較して、死が時々その意味を失うらしい。

あなたが犠牲者またはその家族を知らない限り。私にはシリア戦争開始近くにダマスカス郊外Harastaで母親が殺害された友人がいる、また義兄弟が町の東で誘拐されて二度と会えない友人がいる。私は、母親と弟がJisr al-Shughourの町でヌスラ戦線(スンニ派反政府武装組織、後にアルシャム解放戦線と改名)の殺人者によって銃殺された幼い女の子に会った、また甥がシリアの刑務所で絞首刑になったと信じているレバノン人に会った。そして今度は今月、砂埃に襲われるアル・アラークの村のぼろ屋の近く、シリア東部の砂漠で私がだんだん知るようになったシリア兵士がIsisによって殺された。

もちろん彼はシリアの支配体制の兵士だった。彼は、モスルの我慢のならない大虐殺にその国の空襲がとても色濃く一因となったのと同じアメリカ合衆国によって絶えず戦争犯罪で責められる軍の将軍だった。だが、Fouadは職業上の兵士で、彼はシリア経済の最も価値のあるもの、シリア東部の油田を防衛していた。Isisがすべてを占領しようとした理由がそれであり、彼らがKhadour将軍を殺した理由がそれだった、そして砂漠の戦争はシリアで行われる多くの戦闘のような汚い戦争ではない。私がパルミラの西で彼に会ったとき、Isisはまさに古代ローマの都市を征服してうまく逃げられなかった一般市民と兵士と文官の首をおおっぴらに切るかまたは吹き飛ばしていた。

ちょうど1年前、将軍の息子(彼もまた兵士)はホムスの戦いで射殺された。Fouad Khadour将軍はこれに言及したとき単にうなづくだけだった。彼はパルミラの南の燃えるような褐色の山脈での戦争について話したがった。そこで彼は、彼が拠点を置く石油汲み出しと供給電力送電所を取り巻く孤立した陣地を守るために、そしてホムスまでの道路のT4パイプラインを救うために、Isisの自爆攻撃者に反撃することを兵士に教えていた。Isisを“黙示録的(この夜の終わりの)”集団と公然と非難したアメリカ人は、シリア軍はIsisと戦わないとせせら笑って言った。だが、Khadour将軍と部下たちはアメリカ人がミサイルを発射する前にIsisに勇敢に立ち向かっていた。そして、怖ろしい敵に直面した時に兵士が重要性を解せる唯一の教訓、こわがらないということを学んだ。

Khadour将軍は彼の敗北を認めたが山脈の入り組んだ洞窟群での攻撃でIsisが退却したとき女性の服をあとに残したことを彼の兵士がどんな状態で見つけたか内心の戦慄と共に詳しく述べた。合点がいかないと私は言った。「私もまた合点がいかなかった」と将軍は答えた。「次に、おそらくイラクでIsisが誘拐したヤジディ教徒(クルド系少数宗派)の性奴隷の女性のものだと我々は合点がいった。」

そのあと、ロシアのIsisへの大規模な空爆に支援されるシリア軍がパルミアにまた流れ込んで都市を奪還した、そして私は、Khadour将軍が本部に変えた13世紀のマルムーク王朝(トルコ系イスラム王朝)の城と山脈間のコンクリート小屋で再び将軍に会った。絶えず続く迫撃砲攻撃の下をくぐって彼は兵士らをパルミアに導いた。見たところではよく踏み固められたぬかるみの道路の下にIsisがまんまと敷設した地雷を踏んで兵士の多くが死んだ。たとえ将軍がその時コンクリート小屋で毎晩耐えた猛烈な痛みのサソリにもっと大騒ぎしたといえども、Khadour将軍は地雷の破片でみずから負傷した。

彼はまたメディアに憤った。「戦闘後、我々がパルミアに現れるテレビの連中を迎えると記者がその時にいたふりができるようにジャーナリストが我々に戦闘を計画的に再現させるよう求めた!」と彼は言って、悲しげに頭を振った。彼らは西側のテレビ放送関係者ではなかったと彼は付け加えた。戦争がさらに進むと彼は言った、砂漠で行われているはるかに多くの戦闘があった。私たちは裂けたカモフラージュの仕切りのそばで砂漠の暑さのなか作業班として参加する彼を写真に撮った。彼はおもしろがっている、あるいは疲れている顔をしている、砂漠について多くを学んだ男に見えた。彼が生存するのは、ほぼきっかり1年だった。

Isisはパルミアに戻り、数カ月後にもう一度追い出された、優勢な戦いがIsisをユーフラテス川に向かって後退させ始めた。私は再びKhadour将軍と話したいと思った。彼はその時、アル・アラーク周辺の丘でパルミラの東について優勢を争っていた。私が彼に会いたがっていると伝えるために、彼が一時休暇でいたラタキアの自宅に友人が電話した(彼のほとんどの部下はスンニ派イスラム教徒だったが彼はアラウィー派だった)。その時、彼が生きながらえるのに、かろうじて2日あった。

Khadour将軍の上官が私を将軍が殺された丘に連れていった。これは彼の談話である:「我々はアル・アラークの隊を組織している丘で彼に会った。彼は我々が止まった道路に向かって歩いた、Isisが我々めがけて迫撃砲を発射していてそれが我々の近くに着弾した。彼らは誰に向かって撃っているか承知していた。我々はFouad(将軍)に計画を伝えた。我々が車輌に戻ったとき、Fouadはさよならを言う事態になった。我々が走り去った直後、戦車の砲弾が彼のそばで破裂した。我々は手に命中したと聞いた。彼らが彼を病院に連れて行くと、彼は「ちょうど手だ」とずっと言い続けてまったくクリアーな頭だった。だが、それから、爆弾の破片が身体に入り、肺に穴を開けて空気漏れしていることがわかった。その場で彼は衰え、呼吸がぐらつきだして一時間後に死んだ。彼はヒーローで、非常に勇敢な男だった。」

政権の敵はアサドの軍隊をまったくののしってこれを否定するが、ロシア、アメリカ、フランス、そして無数の西側諸国が最大の敵と名指しで非難したのと同一のきわめて残忍なカルト(崇拝者の集まり)と戦って、Fouad Khadour将軍が死んだことは事実だ。それほど多くのIsisの武器が西側に源を発したことは(生存するKhadour将軍と亡くなったKhadour将軍の双方がこれについて私に話した)この記事に残酷な皮肉を提供する。Fouad Khadour将軍めがけて発射した戦車は、戦争初期に攻め落とされたシリアの装甲車両だったかもしれない、または2014年にモスルで Isisによって強奪されて他の多くのアメリカの戦車のようにシリアに追い込まれたアメリカのエイブラハム戦車だったかもしれない。

だが、Fouad Khadour将軍の死は他のことを提示した。ここで、現在およそ7万4,000人の兵士を失ったかもしれない軍の中でさらに別の上官が消えた。いや実のところ、死者の多くは将校(士官)でもある、というのもシリアの現場司令官は最前線で生きながらえることを求められるからだ。2週間前アレッポで停戦が守られなかった間に別の上官が殺害された。よく熟考した後、個人的に知っている戦争で死んだ人々(大部分が兵士)200人について思い起こすことができると言ったシリアの大佐を私は今月アレッポで見つけた、そのひとりは彼の叔父であった。この戦争に“勝った”とすれば、そしてそれほど多くの外国の権力がかかわる時にそのような純然たる勝利が可能であるとすれば、この軍の生存者とその家族は彼らの犠牲に一目置かれることを当然のこととして期待する、いやそれどころか、報われる。

このように、シリア軍の重要性が日ごとに増す。それはもはや29年間レバノンで朽ち果てた腐敗した兵力ではない、またわが軍の兵士の離脱のまっ最中に他の何よりも先に反乱に直面した経験を積んでいない兵力でない。それは現在、はるかに少ないプロの兵士を受け入れる、中東で最も鍛えられたアラブ軍、イラク軍より以上のものだ。

そしてそれはシリアを再建しなければならないシリア軍だ。Fouad Khadour 将軍と彼の死は、シリアの過去に加えてこのように将来の一部なのだ。

http://www.independent.co.uk/voices/syrian-army-war-palmyra-homs-general-fouad-death-isis-front-line-a7862636.html

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