見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2019/08/18

平和の碑

少女の隣りにある椅子は
訪れた人がそこに座り
少女がどんな思いでそこにいるか
感じるためにあると聞いた

◇少女は何を待つのか 彫刻家が込めた多様な意味 
〈寄稿〉鄭栄桓・明治学院大教授
東京新聞2019年8月7日

2017年4月26日、韓国・済州島で銅像「最後の子守歌」の除幕式が行われた。ベトナム戦争で犠牲となった子を抱く母を形象化した150センチほどのこの像は、その姿から「ベトナム・ピエタ」とも呼ばれる。韓国軍による民間人虐殺を謝罪し、被害者たちを慰める思いを込めてこの像を制作したのは、韓国の彫刻家である金運成(キムウンソン)、金曙〓(キムソギョン、〓は日の下に火)夫妻。ふたりは、「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」に出品されながらも、日本への「ヘイト作品」などとの非難をうけ展示中止に追い込まれた「少女像」の制作者でもある。

少女像が日本人を貶めようとする韓国人の偏見の発露である、と考える人々にとって、二つの像を同じ彫刻家が制作したことの意味を理解することは困難かもしれない。国家の加害を問うことは「ヘイト」であり、名誉を傷つける行為だとする発想からすれば、韓国人がベトナムで行った加害行為を告発するなど想像もつかないだろう。だが二人の彫刻家にとって、二つの像の制作はまったく相反するものではない。

そもそも少女像とは何か。はじめてソウルの日本大使館前で少女像をみたとき、日本の報道を通してのみ接していたからか、小柄なその姿に驚いたおぼえがある。正式名称を「平和の碑」というこのブロンズ像の高さは120センチほどしかない。だがこの小柄な像は、11年12月14日に「日本軍慰安婦問題解決のための定期水曜集会」1000回を記念して建てられて以来、長きにわたり日本への謝罪と補償を求める運動のシンボルであり続けてきた。私が訪れた日も、かたわらで若者たちがテントを張って像を守っていた。今回「撤去」された少女像は、ソウルの像と同じ大きさの繊維強化プラスチックにアクリル絵の具で彩色した作品である。

日本軍の「慰安婦」制度の被害者を象ったこの少女像の細部に、二人の彫刻家はさまざまな意味を込めた。少女は椅子に座り何かを待っている。「日本政府の反省と悔い改め、法的賠償を待っている」のだという。少女から伸びるハルモニ(おばあさん)の形をした影は「謝罪反省を一度も受けないまま過ぎた歳月の、ハルモニたちの恨が凝り固まった時間の影」を意味する。肩には平和と自由の象徴である小鳥がとまり、かかとがすり切れたはだしの足は険しかった人生をあらわし、はじめはただ重ねられていた手は、像の設置を妨害しようとする日本政府に備えてぎゅっと握りしめられた。

ただ日本政府への抗議のメッセージだけを込めたのではない。地面を踏めず少し浮いたもう一つのかかとは、「彼女たちを放置した韓国政府の無責任さ、韓国社会の偏見」を問うている。韓国政府・社会もまた彼女たちの傷を回復することを遅らせた責任がある、こうした考えからであろう。韓国の民主化運動に身を投じ、民衆美術の立場から数々の作品を発表してきた二人の視線は、いつも戦争と植民地支配の犠牲となる民衆とともにある。韓国の加害を問うベトナム・ピエタは、だからこそ「平和の少女像」制作の延長線上にあるといえるのである。

たしかに少女像は「慰安婦」問題をつくりだしたかつての日本軍と、問題に誠実に向き合わない今日の日本政府と社会を告発し、目をそらさぬようじっと凝視している。多くの日本人たちに居心地の悪い思いをさせるであろう。だが国家の不正や加害行為を問うことは「ヘイト」ではない。少女の待つものは何か、その意味を改めて日本社会は考えてみるべきではないか。

△チョン・ヨンファン=明治学院大学教授・歴史学、在日朝鮮人三世
https://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/culture_news/CK2019080702100040.html


◇文大統領は「盗っ人たけだけしい」と言ったのか 
プロ通訳と読み解いた
2019年8月7日の毎日新聞 ソウル支局長

日本が輸出管理上の優遇対象国であるホワイト国(グループA)から韓国を除外する閣議決定をした8月2日、反発して日本を強く批判した韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領の表現が、日韓間の新たな火種になっている。

発端は「賊反荷杖(ジョクパン・ハジャン)=泥棒が罪もない人にむちをふるう」という四字熟語。日本語では直訳できない表現だ。

私は「開き直って」と意訳して報じたが、他の日本メディアは「盗っ人たけだけしい」という訳が圧倒的だった…

https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20190806/pol/00m/010/003000c

◇展示は表現の自由を賛美した。それは沈黙させられた。
NY Times Aug. 5, 2019 by Motoko Rich 
それは表現の自由を賛美するはずの展示だった。それどころか表現の自由は中止された。

歴史の記憶と償いを通じて日本と韓国との間のいつまでも忘れない恨み重なる戦いは、第二次世界大戦の間に日本兵のための性的奴隷であるものにむりやりさせられた韓国人女性のひとりを象徴する像を目玉とした展示を日本の国際芸術祭の主催者がやめた週末の間、アートの世界にあふれ出た。

“表現の不自由展・その後”は日本のどこかほかの美術館から排除された作品を展示することを意図したものだった。展示のホスト、愛知トリエンナーレの芸術監督、津田大介は声明で、「わたしは現在の状況をなにか表現の自由が徐々に蝕まれているとわかるものだと思います」と述べた。

テロの脅威にかんがみて決定されたと役人が言った決定を津田氏は残念に思うと述べた。

世に言う慰安婦像は、女性たちがむりやり奴隷であるものにさせられたことに異議を唱える日本の国家主義者にとってずっと刺激物だった。先週、展示が始まったとき、安倍晋三首相の党(自民党)の右派の幾人かの議員がこの像、韓国のふたりのアーティストの作品が含まれていることに抗議した。

日本の第4の都市、名古屋で開催される国際的に目立つ日本の芸術祭、愛知トリエンナーレでの展示(企画展)を中止する際に、愛知県知事の大村秀章は公式に決定は「安全を優先事項にした」ことを挙げた。

3週間も経たない前に攻撃者が京都のアニメーション・スタジオに火を付けて35人が亡くなった。大村氏は類似した攻撃を警告するファクスがフェスティバル主催者らに送られたと言った。

だが、政治(党派的利害)もまた影響を与えたという論点はほとんどなかった。

先週、展示会場を訪れた後に名古屋市長の河村たかし(国際芸術祭の実行委員会は県や名古屋市、経済団体などで構成され、大村氏が会長、河村氏は会長代行を務める※)は「日本国民の心を踏みにじる」ものであるから展示を中止にしてもらいたいと言った。

月曜の記者会見で、戦争中に中国南京で日本軍が大虐殺を犯したということにも以前異議を唱えた河村氏は、表現の自由は「なにをやってもいいという自由ではないです」と言った。公的資金で芸術祭を支える「表現の自由には一定の制約がある」と彼は言った。

しかしながら、大村氏、愛知県知事はテロの脅威のために展示の閉鎖を深く後悔した。

「政府や公務員は表現の自由を守る人でなければならない」と彼は言った。「たとえその表現が彼らの好みでないとしても、表現としてそれを受け入れなければならないんです。」

様式上、愛知の展示の像は韓国と世界中の日本大使館や領事館の前に活動家によって立てられた像によく似ている。「平和の像」と題名が付く作品に添えられるキューレーターのメモは、それを「世代を越えて受け継がれてきた不正に反対する精神」を具体的に表現すると評した。

安倍氏の政府は慰安婦像に対して著しく神経過敏だった。2017年、安倍の政府は韓国釜山の日本領事館の前に置かれた椅子に座る韓国の伝統服を着た裸足の若い女性の像に抗議するため3カ月間韓国大使を召還した。昨年、大坂市長の吉村弘文は韓国、中国、フィリピンからの慰安婦を象徴する記念碑に抗議して大阪市の長年のサンフランシスコとの姉妹都市関係を終えた。

「この歴史問題に関してはどうも言論の自由の例外であるらしい」と日本の植民地政策の韓国の犠牲者に焦点を合わせる研究のオーストラリア国立大学講師、ローレン・リチャードソンは言った。「激怒がほんとにとても強いので、それはほとんどまるで別々のカテゴリーのようです。」

中止はもっともだと理由づけるためテロの脅威を利用するとして愛知の展示の主催者らは政治的圧力に屈したと批評家たちは責めた。

「暴力またはテロの脅威に屈しないと日本政府は他の例で繰り返し主張します」と日本における少数民族の韓国人コミュニティについて書いたオーストリア国立大学名誉教授のテッサ・モーリス・鈴木はEメールに書いた。「例えば、この自然の脅威のためメジャーなスポーツ競技を中止するとはとても想像できません。過激な人からの若干の脅威がこれほどたやすくこの当局からの降伏に帰着できるものですか?できないです。」

中止は日本の社会が「あと戻りしている」ことを示したとアーティストのひとり、キム・ウンソン(Kim Eun-sang)は言った。

「日本はアートや文化を尊重する国とわたしたちは知っています」とキム氏が電話インタビューで述べた。「わたしたちは常にその点で日本は進んだ礼儀正しい国と了解していましたが、安倍政権が政権を取ったので、民主主義は危うくされて、特定の目的を持つ展示でさえ政府が意のままに閉鎖できるものとみなされます。」

閉鎖が危険な前例を作ったと批評家たちは申し出た。フリーライターのMichiyoshi Hatakeyamaはソーシャルメディアで、著しくエスカレートする外交と貿易(産業)争いのまっ最中に彼が明らかに政治的決定と見たものを遺憾に思った。

「政治が作った混乱をアートが解決する必要はまったくない」とMichiyoshi Hatakeyamaはツイッターに書いた。展示を中止する決定に抗議するオンライン嘆願書には1万6000人以上が署名した。

像のもうひとりのアーティスト、キム・ソギョン(Kim Seo-kyung)は、公開された3日間に訪れた人たちがそのメッセージの意味を理解したように思えたことを考慮すれば、展示がこんなにすぐに閉じられたことは恥ずかしい思いだと述べた。

「大部分の人々、特に女性が、像に戦争の痛みを感じたと思います」とキムは言った。「多くが泣きながら、“戦争はするべきではない”と言いました。感情移入の悲しみの表情を表して長いあいだじっと像を見つめました。」

キムは若い娘を連れて来た母親を思い起こした、母親はなぜ少女像の肩に鳥がいるのか女の子に尋ねた。「“寂しいからよ”と娘は言いました」とキム。

△Reporting was contributed by Eimi Yamamitsu, Makiko Inoue and Hisako Ueno from Tokyo, and Su-hyun Lee from Seoul, South Korea.

https://www.nytimes.com/2019/08/05/world/asia/japan-aichi-trienniale.html

河村たけし氏は大阪市の松井一郎市長から少女像の展示について「どうなっているんだ」と電話があったことを明かした。松井氏は報道陣の取材に「日本で公金を投入しながら、我々の先祖がけだもの的に取り扱われるような展示物を展示されるのは違うのではないか」と話した。

津田氏は開催前、朝日新聞の取材に「感情を揺さぶるのが芸術なのに、『誰かの感情を害する』という理由で、自由な表現が制限されるケースが増えている。政治的主張をする企画展ではない。実物を見て、それぞれが判断する場を提供したい」と話していた。

https://www.asahi.com/articles/ASM824TN5M82OIPE013.html?iref=pc_rellink