見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2022/02/09

エスコバルの動物園

 



コロンビアでメデジンカルテルを築き上げたキング・オブ・コカインことパブロ・エスコバル

フォーブス誌で世界で7番目の大富豪として取り上げられたこともある。彼は、コロンビア政府とアメリカ政府にとって敵であっても、貧困層の住宅建設、サッカースタジアム建設などの慈善事業に熱心で、学ぶ機会のなかった貧困層を中心とした一部のメデジン市民には支持できる英雄だった。

また複合施設アシェンダ・ナポレスを建設し、恐竜の模型やカバなどの野生動物を入れた巨大な敷地を公開した。

エスコバルは1993年に銃殺されるも、その影響力は残っている。というか、彼の4頭のカバが増えに増えて2012年の35頭から2021年には80頭以上にもなるという。皮肉にも、政府が取り壊さなかったエスコバルの動物園はいまも金を生んでいる。


◇南米コロンビアで、「麻薬王」の悪名で知られたパブロ・エスコバル。彼が1993年に銃殺されたとき、コロンビア政府は北西部にあったエスコバルの高級不動産を差し押さえた。敷地内には私設動物園があり、大半の動物は他へと移されたが、エスコバルが特に気に入っていた4頭のカバだけはそのまま池に放置された。そして今、そのカバは100頭近くまで増えている。


10年ほど前から、コロンビア政府はカバの個体数を抑える方法を模索している。動物保護の専門家らは政府の方針を支持するが、一方で、カバが有害であるとの直接的な証拠がない限り、数を減らしたり、別の場所へ移したりする必要はないという意見もある。


カバが自然に与える影響


エスコバルの私設動物園を抜け出したカバもいて、カバはコロンビア最大の川、マグダレナ川をすみかにしている。生息域は徐々に広がっており、正確な個体数はわかっていない。米カリフォルニア大学サンディエゴ校でカバの研究をするジョナサン・シュリン氏は「80~100頭ほどだと思われる」と話す。 


1993年に4頭だったことを考えると、個体数は飛躍的に増加している。「2、30年以内には数千頭になっている可能性もありますよ」とシュリン氏は話す。


コロンビア政府にとってカバは頭の痛い問題だ。環境監督局「コルナーレ」の研究員、デビッド・エチェベリ氏は、本来の生息地がアフリカであるカバは外来種であり、カバがコロンビアの在来種に影響を与えることは間違いないと述べている。このまま放置すれば、カワウソやマナティーといったコロンビア在来の動物たちはカバに取って代わられるだろうと同氏は考えている。カバは攻撃的でなわばり意識が強く、地元の住民にとっても危険な存在だ。幸いなことに、これまでのところ、カバによる重傷者や死者は出ていない。 


2009年、頭数管理のために1頭のカバが駆除された。この時は市民から激しい抗議の声が上がった。このため政府はカバの駆除計画を断念。その後、カバに不妊処置を施すか飼育施設に入れる方法を探ってきたとエチェベリ氏は言う。だが、体重1トンを超えるカバをほかの場所に移したり、不妊治療を行ったりするのは難しい。カバは人間に触れられるのを好まないから作業には危険が伴うし費用も安くない。2018年9月に若い個体を1頭、動物園に移すことができたが費用は1500万ペソ(約45万円)と安くはないのだ。


シュリン氏は、別の可能性も示唆する。かつて南米に生息していた大型哺乳類が植物の種子を拡散していたようにカバも同様の役割を果たす可能性があると指摘する。「カバの糞にどんなものが含まれているかを調べる予定です」とシュリン氏は言う。


生き残りの物語


オーストラリア、シドニー工科大学の生態学者、アリアン・ワラック氏は、絶滅した動物の抜けた穴をカバが完全に埋められるかどうかは重要ではないと断じる。絶滅危惧種であるカバがアフリカ以外の地で集団で保護されていることに大きな意味があると同氏は考えているからだ。「南米に野生のカバがいるという事実が、すばらしい生き残りの物語なのです。」


カバを歓迎しているのはワラック氏だけではない。カバには多くのファンがいる。「カバに価値を見出し、ここに留まってほしいと望む地元の人たちがいます」(シュリン氏)。エチェベリ氏も「人を引き付けるカバの魅力と彼らが非常に有名な動物であるという事実が事態を複雑にしています」と述べている。 


カバは観光による利益を呼び込んでくれることは間違いない。エスコバルの私有地を改装したテーマパーク「アシエンダ・ナポレス(Hacienda Nápoles)」には毎年5万人を超える観光客が訪れるそうだ。


現在のところ、カバをほかの場所に移動させたり不妊処置を施したりといった計画はないことから、カバは今後も自然の中で暮らし、数を増やしていくことになるだろう。シュリン氏は、今後もカバがいることの長期的な影響を研究したいと考えている。「これは大規模な実験なのです。その結果はこれから明らかになるでしょう」


https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/031100167/


◇テーマパークになった麻薬王の邸宅


エスコバルは貧民のために家を建て、国会議員になり、コロンビア北東部に位置するメデジンの大部分を支配下に収めた。1978年、彼はメデジン郊外に広大な土地を購入し、複合施設アシェンダ・ナポレスの建設に着工した。彼が銃殺された後、この土地は10年ほど放置され荒れ果てた。


その後、エスコバルの私有地をアドベンチャー・パークとして公開する計画が浮上した。施設の名前はそのままに、映画『ジュラシック・パーク』の世界観をもとに改装され、家族で楽しめる観光地として公開された。園内には恐竜の像が置かれ、カバが数頭いるほか、エスコバルの遺産があちこちに展示されている。


アシェンダ・ナポレスで最初に気づくことは、敷地の恐るべき広さだ。地元民によると、この場所はコロンビア麻薬取締局のおとり捜査によって差し押さえられたという話だが、おとり捜査のあと、警察はパークの存在を忘れてしまい、10年~15年放置していたらしい。


エスコバルは1981年、サンディエゴ動物園からカバのオス1頭とメス3頭をアシェンダ・ナポレスに持ち込んだ。最初に持ち込まれたオスはいまも健在で、群れを率いている。


エスコバルはナポリ旅行を偲んで、この場所を「アシェンダ・ナポレス(ナポリ園)」と名付けたほどヨーロッパの文化を愛していた。彼は闘牛好きでもあり、500人を収容できる闘技場を建設した。


テーマパークの所有者は闘技場を怪しげなアフリカ関連のエキシビションに変えてしまった。部族の彫刻戯画、ネルソン・マンデラなどアフリカの著名人の写真を並べ、その横にはシャーリーズ・セロン、サッカー選手ディディエ・ドログバの写真が並べられている。


パーク内には博物館だけでなく、エスコバルに関連する展示品が至るところに置かれている。


この場所は誰を讃えているのか明らかにするため、入り口の「勝利する州」という文字の下にメキシコの盗賊の格好をしたエスコバルや、エスコバルの指名手配ポスター、彼の遺体の写真が飾られている。

(アシェンダ・ナポレス体験談の全文は下記よりお読みください。)


https://www.vice.com/ja/article/znm99x/pablo-escobars-old-house-theme-park


△2010年7月19日に投稿した記事『エスコバルの息子』も併せてお読みください。

https://tequilamama.blogspot.com/2010/07/