見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2024/08/27

マッシブアタックのギグ

 


昨夜(8月26日)、マッシブアタックがブリストル(UK)でライブをやった
投稿には「生涯最良のギグ」とある 
「世界はパレスチナの立場に賛成している。イスラエルはもうおしまいだ。」

#パレスチナ人たちは海岸にテントを張ることを余儀なくされている。
現在220万人が15平方マイルの土地で生活している。夜が明けると再びイスラエルの爆撃が始まる。それはいまだかつて一度も「防衛」ではなかった。
それは常に土地の略奪。それは常にジェノサイドだった。
(ハワード・ベケット)

 

最近、新聞を読むことがおもしろい… 
興味のあることないことが、頭のなかでつながる、すごく立体的な世界になる

⌘小池都知事をぎゃふんと言わせた夏の甲子園 優勝したのは京都国際高校だった 京都国際高校の前身は在日コリアンの民族学校「京都韓国学園」
2004年に学校教育法1条に基づく中学校・高等学校になるが、今も校歌は韓国語 韓国の大統領からは優勝を祝うメッセージが寄せられた
同校は英語、韓国語、日本語のトリリンガル教育や異文化理解、人権学習などを通じて真の国際人の育成を目指している こういう学校はとても貴重な存在だ
校歌をめぐってはネット上に差別的な投稿が多数見られたが、西脇京都府知事は差別的投稿は許されないとして削除を要請した 
もしこれが小池都知事だったらどうだろう 彼女は都庁展望室で関東第一との決勝戦を観戦していたそうだ 優勝インタビューの準備もしていたに違いない
(8月25日東京新聞参照)

⌘漫画「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さんが、「漫画のアカデミー賞」とも呼ばれるアメリカのアイズナー賞(正式名称ウィル・アイズナー漫画業界賞)の「殿堂入り」を果たした 
日本人でこれまでに殿堂入りしたのは手塚治虫、宮崎駿、萩尾望都など
広島出身の中沢啓治は6歳の時に爆心地から1.3キロの国民学校前で被爆した
自身の被爆体験を元に描いた「はだしのゲン」は、英語、ロシア語など20ヶ国以上の言語に翻訳され、原爆の恐ろしさを伝える作品として読み継がれている
 
(8月23日朝日新聞参照)

2023年度に広島市教育委員会が平和教育の小学生教材から「はだしのゲン」を削除する方針を決めた これが決まったのは現場の教員が参加する「検証会議」ではなく、教員を除いた有識者とやらで議論する「改訂会議」だったそう 
漫画の中で語られる、痩せ細った母親に栄養のあるものを食べさせたい一心で「池の鯉を盗む」ことが教育上不適切だったなら、検証会議に出席した教員が言っているように別の話しを持ってくればいいだけのこと
10年くらい前に松江で、ほぼすべての小中学校がこの漫画の図書館での閲覧を制限したことがあった 背景にあったのが保守系団体の働きかけ 
漫画の中で描かれる歴史認識を理由に学校や図書館からの撤去を求めていたのだった 広島でも同様の批判が教育委員会に寄せられていたという
「はだしのゲン」は教材として不適切だと主張してきたこの保守系団体の定例会には日本会議のメンバーや現役の教職員が出席 自民党の一部の国会議員や地方議員も来賓として参加する
広島市教育委員会の削除の方針に関して現場の教員の反応はどうかというと、「妥当」、「妥当でない」の「いずれでもない」が最も多く、「考える余裕がないのでどうでもよい」という意見もあった 上から現場まで、平和教育というより過去になにがあったかを子どもたちにより具体的にわかりやすく教えようとの大人の熱意や意識がここまで低下しているってことだろう

東京新聞8月25日の“時代を読む”に「五輪と戦争」と題して内田樹が書いている
1996年にローザンヌにある五輪博物館を訪れた際に彼は1940年の「東京五輪」という文書の束を見つけた
それはフランス語で書かれた幻の東京五輪の企画書、1940年の東京五輪は日中戦争が泥沼化していた時期の開催だったので予算はつつましく、施設もありものの使い回しだった それでもアジア最初の五輪実現を願う人たちの熱い思いが行間からも伝わってきたそうだ 添付されていた写真の東京は戦前の穏やかな表情の街、そこに写っていた建物のほとんどが数年後には空襲で焼かれ瓦礫になった 五輪に参加するはずだったアスリーツの多くは戦争で死んだ
このコラムを読んでいて、少し前のパリ・オリンピックと重なって見えた
ガザ地区(種子島とほぼ同じ大きさ)は東京23区の面積の6割ほどであるのに空襲の威力も回数も落とされた爆弾の数も発狂するくらい多く、殺害されたアスリーツやその関係者の数も恐ろしいほど多数に及んでいる 廃墟となった街の姿は原爆を落とされた後の広島に重なって見える上に、それがオリンピックと同時に進行しているという異常さに頭がふらつく
古代オリンピックでは競技が行われている間だけは休戦する決まりだったそうだ 内田樹さんは、オリンピックが終わればアスリーツは再び戦場に戻るだろうが、彼らはおそらく「なぜこのまま戦いを止めることができないのだろう」という思いを胸にして戻ったはずだと書いている
また、「1940年に東京五輪が開催されていた世界」を想像したとある
「日中戦争が収束に向かい、満州や朝鮮半島や台湾からも撤収し、そのせいで対米戦争が始まらなかった、実際にあったことよりずっと理性的で道義的な大日本帝国について想像した。」


フットボールの神様、マラドーナは常にパレスチナのことを気にして応援していました