国軍に乱れがある
◇軍政側は26日以来連日、デモを武力弾圧しているが、ある民主派運動活動家はAFP通信に対し、「われわれはまた街に出る。事態はどんどん緊張するだろう」と語った。
旧首都ヤンゴン市内は29日も、異常なほどの厳戒態勢が敷かれ、兵士の数が顕著に増えている。これまでの弾圧は、ヤンゴンに駐屯する陸軍2個師団が実行してきたが、さらに、同市北東に位置するパゴから1個師団が増派された。
一方、ある外交官は28日、ミャンマー国軍内部に不服従の動きがあり、一部の兵士はデモ隊支持の意向を持っているという情報を複数の筋から得たと述べた。また、ヤンゴン駐在の外交官が29日語ったところでは、第2の都市マンダレーで事態にどう対処するかをめぐり、国軍内で意見の対立が生じているとの説もあるという。 (AFP=時事)
◇死者数は公式情報の数倍か
国営メディアは27日のデモ鎮圧で9人が死亡したとしているが、オーストラリアの駐ミャンマー大使は豪ラジオに対し、目撃者情報として、実際の死者数はその数倍だと語った。
デモの主役だった僧侶の多くが拘束されるなどしたため、この日は市民ら数千人がデモに参加。参加していた学生リーダーは「僧侶たちはよくやってくれた。今度はわれわれが続けなければならない」と話していた。 この日も当局による僧院襲撃、僧侶の拘束が続いた。
また、インターネット接続ができない状態になり、通信会社関係者は海底ケーブルの損傷が原因と説明しているが、軍事政権がデモ武力弾圧を伝える映像や情報が流れるのを防ぐため遮断したもようだ。 (AFP=時事)
◇現地からの情報によると、27日、治安部隊が発砲したのはヤンゴン中心部の仏塔スーレ・パゴタ近く。約200人の治安部隊員が銃を構えて、集まった市民に向かって行進、拡声機で「10分以内に立ち去らなければ銃撃する」と警告。これに対し、1000人以上のデモ参加者が投石などで抵抗。治安部隊とのにらみあいがしばらく続いたが、午後4時ごろ治安部隊が群衆に向け突然、発砲を始めた。
ミャンマー軍事政権治安部隊による反政府デモ制圧を取材中に死亡した日本人映像ジャーナリスト、長井健司さんが銃撃された際、治安部隊員は至近距離でほぼ正面から銃を撃っていたことが27日、明らかになった。事件を目撃した親族の話を聞いたミャンマー人男性が共同通信に語った。
男性の親族は数十メートル離れた場所から目撃。部隊が移動した直後に現場に行くと「撃たれたのは日本人で死亡した。遺体とカメラは部隊が持ち去った」と周囲の人間が話していたのを聞いたという。他の外国人ジャーナリストも同時に撃たれ腕などを負傷したようだという。
ミャンマー国営テレビは長井さんを含む9人が死亡、11人が負傷したと伝えている。しかし、親族は男性に「もっとたくさんの人が倒れていた。遺体はデモ制圧後、治安部隊が運び去り、放水車が血を洗い流していた」と話したという。
また親族は「デモ隊に乱射している治安部隊の話すビルマ語は(方言のため)分かりにくい。やみくもに乱射しており、統率が取れていないようだ。肩に担いで使用するロケット弾のような武器も使われた」と当時の状況を詳しく語った。
男性によれば、ヤンゴンの僧侶に親近感を持たない地方出身の兵士を前面に立ててデモ隊を鎮圧する作戦を治安部隊は取っているもようだ。 (共同通信)
◇ミャンマー情勢、中国が影響力行使を
欧米メディアは27日、ミャンマーの事態沈静化に向け、中国が影響力を行使すべきだとする社説、寄稿を一斉に掲載した。
米ウォールストリートジャーナル紙は「中国は恥を知れ」と題したノーベル平和賞受賞者ジョディ・ウィリアムズ氏の論文を掲載。中国の経済支援抜きにはミャンマー経済は成り立たないと指摘したうえで「中国が自ら政策を転換しないのなら圧力をかけなければならない。北京の内政不干渉政策は容認できない」と強調した。
米ワシントンポスト紙は中国とロシアの反対で国連安全保障理事会の声明から軍事政権への「非難」が削除されたことについて、社説で「残忍な武力鎮圧に青信号を出したようなもの。鎮圧が進めばプーチン大統領と胡錦濤国家主席の責任だ」と断じた。
英タイムズ紙は社説で「対ミャンマー制裁を求めるブラウン英首相やブッシュ米大統領の声はほとんど意味がない。圧力をかけられるのは(ミャンマー産)ガスの顧客でもある巨大な隣国、中国だ」と指摘した。(日経新聞)
◇ミャンマー投資、仏企業は中止を
サルコジ仏大統領は26日、ミャンマーの反軍事政権デモと政権当局の対立を受け「(仏石油大手)トタルなど仏企業はミャンマーへの新規投資を中止すべきだ」と呼びかけた。
トタルは「ミャンマーでの活動は社会的に重要」として政府の要請を受け入れない意向を示している。同社はミャンマー南部で天然ガスの採掘をしており、タイなどに供給している。
◇ミャンマーへの経済制裁を検討
オーストラリアのハワード首相は27日、ミャンマーの軍事政権に対する経済制裁を検討すると発表した。豪メディアによると制裁は送金凍結が軸になるという。1988年から実施している政府高官への入国ビザ発給制限と軍事物資の禁輸措置も強化する。
首相は「ミャンマー政府が平和的な抗議活動を高圧的に抑制し、数人の死者と多くの逮捕者が出たことを憂慮する」としたうえで、制裁は「ミャンマー国民を傷つけることなく軍事政権に最大限の圧力をかけるためだ」と述べた。
◇軍政議長の妻子、タイに脱出か
タイの英字紙ネーションは26日、ミャンマー軍事政権のトップであるタン・シュエ国家平和発展評議会議長の家族が出国し、タイに入国したと報じた。
同議長の妻と子どもたちは25日、ミャンマー中部の新首都ネピドーをチャーター機で出発。議長は空港で家族を見送ったという。(時事通信)
◇ミャンマーの軍事政権が26日、反軍政デモの武力鎮圧に着手し、民主化要求デモへの軍の無差別発砲で千人以上の犠牲者が出た1988年以来の流血事態に発展した。軍政は僧侶への暴行もいとわぬ強権姿勢をむき出しにしており、民主化勢力の徹底弾圧に乗り出す構えだ。民主化勢力は猛反発しており、軍政との全面対決が避けられない情勢になりつつある。
軍政はこれまで敬虔(けいけん)な仏教徒の国民が、尊敬と信頼を集める仏教界を懐柔して親軍組織化してきた。その一方で、民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん率いる最大野党「国民民主連盟(NLD)」を弾圧し、両者の分断を図った。
軍政は高僧たちに手厚い寄進を続ける見返りに、出家僧侶のサンガ(教団)を州・管区、地区レベルで再編成し、宗教省のもとに一元的に統制。軍政は事あるごとに「NLD が勢力拡大のために党員をサンガに潜入させている」と非難し、僧侶とNLD の連携を警戒していた。
軍政による仏教界の統制を無視した若手僧侶による反軍政デモに対し、NLD はこれまで組織的な関与を控えてきた。軍政に徹底弾圧の格好の口実を与えることになりかねないためだ。
しかし、NLD は26日、軍政の武力行使を非難する声明を発表。僧侶の身柄まで拘束したことを「歴史上、最悪の愚行だ」と痛烈に批判し、軍政に武力行使の即時中止と、民主化勢力との直接対話に応じるよう要求した。
旧首都ヤンゴンの多くの市民にとって、88年の惨事は脳裏に焼き付いている。大規模な民主化要求デモで独裁体制が瓦解したネ・ウィン将軍は「デモを続ける者に対し、軍は狙いを定めて撃つ」と宣言。その言葉通りに千人以上の学生や市民を殺害した。
同国中部の新首都ネピドーで指揮を執る軍政トップ、タン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長が、軍に徹底弾圧を指示している可能性は高く、無差別発砲という最悪の事態も決して否定できない。
◇「国連安保理で緊急会議を」亡命政権の首相
ミャンマーの軍事政権打倒を目指す反政府勢力「ビルマ連邦国民連合政府」(亡命政権)のセイン・ウィン首相(米国在住)は25、26の両日、フランスのニュース専門局「LC1」に出演し、軍政に対する民主化デモを国際的に支援するため「国連安全保障理事会で緊急会議を開くようにフランスから呼びかけてほしい」と求めた。
同政府は1990年に野党の急進派議員らが結成。セイン・ウィン氏は、ミャンマーの民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんの従兄弟にあたる。
◇日本人記者ら2人 国外退去処分に
ミャンマー軍事政権は26日、ヤンゴンで反政府デモを取材していたとして、中日新聞(東京新聞)バンコク支局の平田浩二支局長、共同通信バンコク支局の遠藤一弥支局長の日本人記者2人を国外退去処分にした。2人は今月24日、バンコクからヤンゴン入りしていた。(東京新聞)
◇つのる抗議
8月15日:軍事政権が燃料費を2倍に値上げして抗議を誘発する
9月05日:軍隊がパコックでの抗議で僧侶数人を負傷させる
9月17日:軍政が負傷者への謝罪を怠ったことが僧侶による別の抗議を招く
9月18ー21日:ミャンマーの都市における僧侶による毎日のデモ行進が徐々にかなりの規模になる
9月22日:僧侶1000人がヤンゴンのアウン・サン・スー・チン宅まで行進する
9月23日:ヤンゴンで2万人の行進にまでにふくらむ
9月24日:これまでにないヤンゴンのデモ行進は少なくとも5万人を集め、他の町がこれに加わる
◇この機会を逃したら、また暗黒の日々が続く(ビルマ市民フォーラム配信から抜粋)
2007年9月、まもなく雨季が終わろうとしているミャンマーで見慣れないことが起こっている。連日、僧侶たちがヤンゴンの大通りを静かに行進している。プラカードもスローガンもなく、時々お経を読む意外は、ただ黙々と歩く。だがこれは、8月15日に石油、ガソリン、天然ガスなど燃料の価格をいきなり2倍から5倍に引き上げた軍事政権への抗議であり、困窮の度を深めた市民生活を見るに見かねて僧侶たちが立ち上がったものだった。国民は僧侶たちに感謝している。24日には僧侶のデモは途中参加した一般市民を含めて10万人規模にまで膨れ上がった。現地からの映像には、整然と歩く僧侶たちの両側で、手をつないで彼らを守り妨害行為を防ごうとする一般市民の姿がある。
9月22日、僧侶たちはアウン・サン・スー・チー宅まで行進した。2003年5月30日、国民民主連盟(NLD)の党員多数が当局の意向で動く連邦団結発展協会(USDA)の襲撃によって虐殺されたディベイン事件の日から、NLD書記長アウン・サン・スー・チー女史は自宅軟禁に置かれている。僧侶の訪問を受けて彼女は門まで出てくると彼らに向かって両手を合わせた。実に4年4ヶ月ぶりに人前に姿を現した彼女を携帯で撮影した写真がロイター通信によって全世界に配信された。
ミャンマーでは仏教僧は「人」ではなく、仏(パヤー)とみなされる。本来、彼らは政治にかかわらない。選挙権も被選挙権もない。だが僧侶は都市でも農村でも一般市民の生活と密接なかかわりを持っており、一般市民の僧侶への信頼はあつい。僧侶たちの態度が毅然としたものになった直接の引き金は、9月5日ミャンマー中部の都市パコックで軍隊が僧侶数人を負傷させた、これに対し当局から謝罪がなかったことだとされている。さらに、1988年の民主化運動で一般市民に味方する僧侶たちは青年僧侶連盟(ABYMU)に結集した。このグループは現在も国内で勢力を持ち続けているとされる。軍事政権にまっ先に抗議の声を上げたのはこうした僧侶であったと言われる。
・88世代の学生グループ
8月19日の元NLD副議長ウー・チーマウンの3周忌に88年民主化運動の学生指導者ミン・コウ・ナインは出席した。帰りに彼は、「バス代もタクシー代も値上がりした。オレたちにはとても払えない。歩いて帰ろう。」と仲間を誘い、歩き出した。路上で加わる人も出てきた。これが値上げに抗議する「歩くデモ」の始まりとされている。
ミン・コウ・ナインは1988年8月に結成された全ビルマ学生連盟(バカタ、ABFSU)の委員長だ。反政府活動で逮捕され1989年3月から2004年11月まで15年間牢獄生活に耐えた。彼の名が再び登場したのは2006年9月で、他の元学生指導者4人と共に再び拘束された。このとき「88世代学生グループ」を名乗る活動家たちが、ミン・コウ・ナインを含める政治囚釈放嘆願署名運動を展開し、厳しい軍事政権の監視の下、3週間でおよそ50万人の署名を集めた。署名の数の多さと、これを後押しする国際世論に気兼ねしたのか、軍事政権は国連安保理でミャンマー問題決議案が採択される直前の2007年1月11日に彼らを釈放した。
2007年5月27日、17年前にNLDが総選挙で大勝したのを記念する日に、ミン・コウ・ナインはヤンゴンのNLD党本部前で党員に向かって力強い演説を行なった。88世代学生グループとNLD党員たちがシュエダゴン・パゴダに参拝のため入ろうとすると、USDAを動員した軍政当局の妨害でパゴダには入れなかった。ミン・コウ・ナインが「引き返そう。どこで祈ろうと気持ちは通じる。」と声をかけて本部前に集まった1000人の群集に彼は話しかけた。軍事政権を直接弾劾する言葉はなかった。世界に恥じないミャンマーを実現しようと彼は熱く語った。
そして8月下旬、燃料費値上げに抗議するデモの口火を切ったミン・コウ・ナインは、他の活動家たちと共に再び拘束された。代わりに僧侶たちが立ち上がった。
・ネットワーク社会
88年と様相は似ていても、19年を経過した情況の違い、特に情報が海外に漏れ出る早さは、今後の動きにも大きく影響するはずだ。ヤンゴンの路上を燃料費値上げに抗議して88世代学生グループや市民たちが歩き始めると、その様子がインターネットを介して、その日のうちに写真あるいは動画入りで全世界に届いた。それをまた国外の報道機関が国内に届ける。1988年、ビルマ語短波ラジオ放送としてBBCとVOAがあったが、今はDVB(民主ビルマの声)や RFA(ラジオ・フリーアジア)が加わっている。そして放送を聞き逃してもインターネットでアクセスできる。
さらに1988年以降国外へ脱出した民主化活動家たちが作り上げる組織が、それぞれ国内ルートを持ってきめ細かい情報をやはりインターネットを駆使して伝えている。こうしたネットワークを通してヤンゴン、マンダレー、モーラミャイン、バゴーなどの大都市ばかりか、ラカイン州、カチン州、シャン州などの地方都市での動きまで網羅されることになる。それがまた国内に伝えられて、「そうか、あの町でもやってるんだ。よし、私たちも」と報道統制されてるビルマの市民を力づけることになる。
8月中旬以降、西側諸国はミャンマーの動きに注視している。1988年のように力で容赦なく弾圧を加えればただちに非難を浴びるだろう。2007年1月、中国とロシアの拒否権によって否決されたミャンマーに政治囚釈放、人権尊重、民主化促進を迫る決議案を再び安保理にかけようとする動きにつながりかねない。軍事政権はすでに燃料費値上げに抗議するデモを裏からNLDがあおっているとして非難声明を出している。2003年5月のディベイン襲撃事件の際に軍政はUSDAの仲間に僧衣を着せて殴りこませるという手段に出た。すでにアウン・サン・スー・チー女史はどこかに連れ去れたとの情報があり、行方がわかっていない。
◇世界の声は他人事
26日、軍政の実力行使によって、現在までに僧侶を含め10人の死亡が確認されている。このまま民主化を望む国民とそれを支える仏僧の声は武力によって蹴散らされ、また元の木阿弥に戻るのだろうか。今朝、ニュージャージの作家からこんな見解が届いた。以下抜粋:
けれども、事態の先送りは難しいかもしれない。というのも、ミャンマーの軍政は昨年に突如、遷都を発表し、ヤンゴンから600キロ離れたピンマナという町を「ネピードー」と改称して、そこに首都機能を移転しつつあるのです。最大都市ヤンゴンで持ちこたえられないほど現軍政が民意を得られていなかったのは明らかです。また、軍事評論家の神浦元彰氏が指摘しているように、仏教に帰依していない少数民族の兵士を治安部隊に投入しているとしたら、これも政権の末期症状のあらわれと言うしかありません。
「この機会を逃したらもう二度と、、、」というせっぱ詰まったミャンマー国民の気持ちと、欧米の政権の非難の声には、ものすごい隔たりがある。欧米
からは基本的には「他人事」である。中国は諸々の事情でスパッと現政権を切れないとなると、幾つかの点で、日本政府の役割は大きいように思える。
●過去50年間に総額6000億円以上というODAを供与
●現在60社の企業が進出し、家族共々の駐在員を含む650人が在住
●長井記者射殺事件(それも至近距離から狙い撃ち)という悲劇を抱え、政治的には強く出る立場にある
●相互の国民に親近感がある
とにかく独裁のメカニズムを理解することなく、原則論ばかりが横行するアメリカから見ていると、そんな期待感を持つのです。(冷泉彰彦氏のUSAレポートより)
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