見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの、見つけたとき、 それを作品にしたり、思わずなにかの形にして、人に 伝えたくなります。 見つけたとき感じた、しあわせ感覚が、ひとしずくでも 誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

September 18, 2007

インスリン マーダー


インスリンは糖尿病の特効薬としてよく知られています。脾臓で作られるタンパク質ホルモン。
でもこれで自殺しようと思ったり、これを注射して人を殺そうと思う人がいるなんて想像もしませんでした。
でも現実には、いるんです。映画「運命の逆転」もそうでした。以下、BBC News からお伝えします。

殺人兵器としてインスリンを使う
by医療保険リポーター、ジェーン・エリオット BBC News 10 August 2007

殺人や殺人の見込みで思いつくのは、銃やナイフがパッと出るだろう、ヒ素や窒息だって出るかもしれない。
糖尿病治療のインスリンを兵器とみなす人などまずないだろうが、この90年ずっと、たいてい鮮明な立場の事件の幾つかで、人殺しの兵器になってきている。
血流中の血糖値が高くなるのを止めるのに、人にはインスリンが必要だ。
糖尿病の人は十分なホルモンを創り出すことができないか、それにきちんと反応できないので、さらに必要になる。
◇殺人兵器
しかし、それが発見された1921年からわずか5年以内にインスリンは人を殺すものでもあった。
多すぎるホルモンは、脳が正しく機能できないレベルにまで、血中のグルコースの量を下げかねない。
公式の記録に残されるインスリンを使った最初の自殺未遂の事件は1927年に記録され、1963年までに全部で13件あった。
殺人兵器としての最初の使用は1957年に記録される、それ以降、世界で殺人または殺人未遂でインスリンが使われる事件が約50件あった。主として手に入れるのにそのクスリを見つけやすい医療スタッフによるものだ。
◇鮮明な立場の事件
アメリカのクラウス・フォン・ビューローとイギリスのビヴァリー・アリット事件といった幾つか鮮明な立場の事件があった。
さて、これらの裁判の幾つかで第三者として出席している世界的なインスリン専門家ヴィンセント・マークス教授が「インスリン・マーダーズ True Life Crimes」という本を書いている。
◇ビヴァリー・アリット
看護師ビヴァリー・アリットは、インスリン投与による13件の事件で殺人と子どもへの暴力で終身刑になった。「死の天使」とあだ名をつけられたアリットは1993年イングランド中部ノッティンガムシアにあるランプトン重警備病院に拘禁され、40年のおつとめを宣告された。
本の中で教授はビヴァリー・アリット「死の天使」殺人事件裁判中の体験について述べる。
看護師アリットは少なくとも4人の子どもを殺害し、他に9人を殺そうとした。
マークス教授はインスリンが実際に使われたのを促して不動のものにするよう求められ、彼の専門的な証人としての証言はアリットに対する事件の立証に決定的なものだった。
だが、その死が無作為のでたらめなものでなかったというのを、特別に招集した会議の他の医療専門家にまず納得させねばならなかったと彼は言った。

(最初に注意を引いたのは生後5ケ月の幼児の事件だった。3度目の発作の後に大人用注射器1本分のインスリンが検出されていた。これほど大量のインスリンが幼児の体内で自然発生するなどありえない。やはり誰かが殺意をもって投与したのは明らかだった。警察は13人の被害者が被害にあった当日の医療担当者を調べ上げた。そして、すべての被害者に共通する担当者を割り出した。ビヴァリー・アリットだ。逮捕されたアリットは拒食症になり、82キロだった体重が44キロまで落ちた。彼女は「ミュンヒハウゼン症候群」だった。語源は「ホラ吹き男爵の冒険」の主人公、ミュンヒハウゼン男爵で、周囲の関心を惹くために、自分を傷つけたり、病気を装ったりする症例のことだ。事件時も彼女の自傷行為は続いており、虫垂炎を偽って医者に手術させる、ハンマーで手足を潰して医者に通う、手術しないと摘出できないほどカテーテルを尿道に挿入するなどの症例が裁判で明らかになっている。ウエブサイト「理解できない動機」参照)

◇ウイリアム・アーチャード
看護師のウイリアム・アーチャードは他の多くのあやしいと疑われる殺しの他は、彼の甥と7人の妻のうちの2人の殺害で1968年有罪を認めた。
その殺しのひとつでアーチャードは、皮下注射器で武装した強盗が彼の家にやってきて彼と3番目の妻ゼラの両方に注射したと主張した、妻は後に死んだ。
「私を除いてはほとんど誰も、会議の冒頭で自ら身を危険にさらし確かにきたない殺人が犯されたと述べる準備をしてなかったのは明白だった」と教授は言った。
「3回かそれ以上、大量のインスリンを注射されていた生後5ヵ月のポール(命をとりとめた)を基礎として私はこれをやった。」
◇不当な判決
マークス教授は、社交界の淑女たらんとする妻を2度も殺そうと企てた男、フォン・ビューローの事件でも助言した。
◇クラウス・フォン・ビューロー
最初が1982年、次が1985年と、クラウス・フォン・ビューローは妻のサニーを2度殺そうと企てた。最初の殺人未遂で彼は有罪を認めて30年の判決を宣告された、これは後に破棄された。2度目の裁判で彼は無罪放免になる。
彼が一度は罪を認め、後に無罪になったのは当然と、マークス教授は感じる。
「単に専門知識に欠けるのと裁判官と陪審員に複雑な科学的事実を伝達する困難さのせいで、まったくメリットがなく、そもそも絶対に提出されるべきでない起訴事件が、どうやって実在しない犯罪で有罪と宣告される無実の人という結果に導かれるかを、フォン・ビューロー事件は強調する。」と彼は言った。
フォン・ビューローの妻は、検察当局が異常なインスリン注射によって引き起こされたと主張したコーマ状態(植物人間)に陥った。
だがマークス教授は、彼女の状態はそれよりもおそらく重度のアルコール消費と関係があると主張した。
インスリンは殺害に使えるが、実はとても不十分な殺人兵器だとマークス教授は言った。
使用したその正体を見破るのは困難だったが、多くが不可能と想定されたわけではない。
「たいへんけっこうな武器というのではない、インスリンで赤ちゃんや老人を殺すのは簡単だが、大人はそうはいかない。」

(クラウス・フォン・ビューローはデンマーク出身のイギリスの法律家で演劇評論家。妻マルタ・フォン・ビューロー、愛称サニーにインシュリンを過剰投与し殺害を図った容疑で起訴されたが、無罪となった。ビューローとは母方の苗字で、ドイツ貴族の家系。指揮者ハンス・フォン・ビューローは親類である。父スヴェン・ボルベアは劇作家でナチ共鳴者として知られた。
1982年、米国ロードアイランド州ニューポートの自邸で妻サニーの殺害を図った容疑で起訴される。クラレンドン裁判所で行われた公判でクラウスは有罪となり、懲役30年を宣告されたが、高名なハーヴァード大学教授アラン・ダーショヴィッツを雇って控訴。ダーショヴィッツとその弁護団は一審で最も有力とされた証拠や証言を覆し、1984年にクラウスは無罪になる。1985年の再審で陪審はクラウスを全ての容疑で無罪にした。
今、クラウスはロンドンに住み、美術批評や演劇評論で活躍している。サニーは今なおニューヨークの病院で植物人間として生き続ける。
ダーショヴィッツが事件について書いた本は、映画「運命の逆転」となる。クラウスを演じたジェレミー・アイアンズはこの演技でアカデミー主演男優賞を獲得した。「理解できない動機」参照)

写真は、これがインスリン!

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