6人のボブ・ディラン
ローリングストーン誌のこの秋の映画新作案内ーその2
◇I'm Not There
アメリカ公開は11月21日。
「軽蔑して責める歌」として判断されるのはボブ・ディランをおこらせる。ミネソタのロバート・アレン・ジンマーマン(ディランの本名)のようなカメレオンをなぜ社会的プロテストの人に制限するのか?ということで、オーレン・ムーヴマンと「I'm Not There」の脚本を書いたトッド・ヘインズ監督は、たくさんの人物を提供する。若い黒人逃亡者(マーカス・カール・フランクリン)、詩人(ベン・ウィショー)、男でも女でもない中性的なロッカー(ケイト・ブランシェット)、映画スター(ヒース・レジャー)、説教師(クリスチャン・ベール)、そしてアウトロー(リチャード・ギア)と。
ヘインズは、ディランを伝記映画のぬきさしならぬ羽目に追い込むようなことは絶対にしたがらない空想家だ。ディランの歌に見つかると期待する超現実的なイメージと暗示を含んだ言葉の中を飛行中の彼をとらえて表現する。奇妙な割には映画はまるで夢のようだ、さらにいっそうあでやかな幻覚のようだ。俳優すべてが幸福の絶頂(最高の時)になるが、境界を限定され支配されることから起こる創造性の死と闘うすべてのアーティストをディランが象徴するのを理解する煽動者、ブランシェットはずばぬけている。
以下は9月5日付AFPのニュースから:
第64回ヴェネチア国際映画祭の7日目、9月4日にトッド・ヘインズ監督のコンペティション部門ノミネート作品「I’m Not There」が上映された。
同作品は6人の登場人物を通じてボブ・ディランを描く野心作だ。ディランはどこにでも存在する人物として描かれる。監督は、映画は「夢のように頭をよぎる」作品で、観客にはディランの史実に固執せず、身を任せて観て欲しいと語った。
映画はマーカス・カール・フランクリン演じる自称ウディ・ガスリー、黒人孤児の登場で始まる。続いてケイト・ブランシェットが男役を演じる人気上昇中のミュージシャン、ジュード。ジュードは反戦歌を捨てロックに転向する。リチャード・ギアはなぞめいた人物ビリーを演じる。ディランの人生と時代をそれぞれの登場人物が対照的に演じ、ディランがミュージシャン、大スター、カウンターカルチャーの象徴、信仰を新たにしたキリスト教徒、ディラン自身へと大きく変化した時代を呼び起こす。
映画は脚色、ドキュメンタリー、テレビの放送映像を通じて、ディランの性格や音楽の変遷を描く。それはアメリカ文化の歴史30年間におよぶが、「ボブ・ディランを定義づけ、またディラン自身が定義づけた」時代なのだとヘインズ監督はいう。
主題歌の「I’m Not There」は、1967年の「Basement Tapes」の中の1曲だが、アルバムは現在海賊版しか残っていない。66年ディランがオートバイ事故から回復したときに制作された。監督はこの事故がきっかけで、ディランはスポットライトから逃れたのだという。サウンドトラックはほぼ全曲ディランの発表曲で、ディランの有名な曲を現代アーティストが演奏した新バージョンが数曲含まれる。
「この作品は(ディランが)誰が彼の人生を演じてもいいと認めた初めての映画だ」。ディランの人生を限定するのではなく、彼の人生を広げて描く開放的な構成がこの作品の誇れるところだと、ヘインズ監督はいう。「I’m not there」は「この映画を描くのに完ぺきな素晴らしい曲だ。彼に触れようとするといつも、彼はそこにいないんだ」と監督は語った。
トッド・へインズ監督には衝撃的な作品「ベルベット・ゴールドマイン」があります。最近は「エデンより彼方に」で注目されました。
写真は映画より、若い頃のディランに瓜二つに見えるケイト・ブランシェットです。
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