見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの、見つけたとき、 それを作品にしたり、思わずなにかの形にして、人に 伝えたくなります。 見つけたとき感じた、しあわせ感覚が、ひとしずくでも 誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

September 02, 2007

バワリー街のシットホール


ローリングストーン誌の「ロックデイリー」によると、ニューヨークパンク発祥の地、CBGB創始者のヒリー・クリスタルが肺ガンとの闘病後に昨日マンハッタンで亡くなった。75歳だった。当初は、カントリー、ブルーグラス、ブルースなどを特別公演するためクリスタルは1973年バワリーのバーをオープンした。意志の強いイーストヴィレッジのクラブは70年代のパンクロックの活動の中心に発展した、その後、90年代後半には新生バンドが才能を特に目立つよう示すためのスポットへと徐々に進化した。ここ数年クリスタルは彼の大切なクラブをオープンさせておくため、誰もが知っている苦闘に従事させられたが、彼と彼の地主は結局、同意に至ることはなかった。2006年10月15日、パティ・スミスが最後のステージを降りた後、クリスタルは苦心してバーを解体した、そして記憶すべきことの最も貴重な片鱗をラスベガスまで船で運び、そこで彼は行為の現場(悪評プンプンの汚いバスルーム=トイレなどのすべて)を再開しようと計画した。
数ヶ月前にローリングストーン誌はクラブの歴史についてクリスタルと話をした。「大金を稼ぐ目的でこれをやったことは一度もない」と彼は語った。「オレが発見したか、発見されたか、または互いに発見しあったのが、この新しいミュージックだよ。そしてオレはこの人たちや彼らがやってたことにほれるようになった、もちろん他の連中がやってたことは嫌いだ。特にこの独創的ミュージックを精力的にやっているこの連中に機会を与えることで、とてものめり込むようになる。」
以下は、何年にもおよび、クリスタルのクラブでチャンスをもらうことで得をしたアーティストの追慕の情だ。

デボラ・ハリー(ブロンディ):「ヒリーが逝ってしまってとても残念。彼は何年もブロンディやニューヨークのミュージックシーンには大きな助けだった。彼のクラブCBGBはニューヨーク伝説とロックンロール史の一部になっている。」

パティ・スミス:「ヒリーの死が物事をどっと蘇らせる。クラブでの最後の夜、私たちが彼を大事に思っていることが彼にはわかった。彼が立ち上がると私たちは彼に挨拶した。ある意味でそれはいけすかないから、私はロマンチックにしないようにした。音はうんざりするようなものだったし、常に人が取り乱していて、グラスが割れ、人々が吐いていた、それに裏ではネズミが走りまわっていた、でもそれは私たちのシットホールで、最高に重要なことだった。私はいろんなところで演奏してきている、そこは私たちの場所だ、みたいに感じて演奏した唯一の場所だった。彼はコミュニティを有名にしていた。世界のどこにいようと構わない、人々にはCBGBのTシャツがある。市場で売るとか買うとかってことではないの。CBGBは単にヒリーとか、そこやニューヨークシティで演奏した人たちに関するものではなくて、若者の自由を象徴した。自由を意味する点において、私にはCBGBの名はスラングになってもおかしくない。ヒリーは私たちに無条件の自由を提供してくれた。」

スティーヴン・ヴァン・ザント(2005年8月、NYワシントンスクエアーパークでのCBGBを救う慈善公演のバックステージで語る):新しいロックンロールバンドをサポートするというただひとつの理由で、ボクらはラジオ番組アンダーグラウンドガレージでスタートした。それがボクらが5年間やってきたことだ。CBGBは31年間ずっとそれをやってきている。新人バンドとして今でもクラブで演奏はできる、クラブの半分が人に負担させるからね、ほんとクールじゃないよ。新人バンドでラモーンズと同じステージに立てる。こいつはほんとクールだ。これをやりに日本やニュージーランドからやってくる。CBGBは歴史に残る現場ってだけでなしに、CBGBはボクに関する限りでは神聖な現場だよ。戻ってこない。」

トーキングヘッズのドラマー、クリス・フランツ(同じくCBGBを救う慈善公演のバックステージで語る):「ボクたちはCBGBが大好きだし、CBGBとヒリー・クリスタルがバンドとしてやる機会をボクたちに与えてくれたことすべてにとても感謝している。言わせてもらえば、CBGBはボクたちのバンドが生まれたところだった。それについてセンチになりすぎないで、ニューヨークにコネがなく経営の手腕がなくエージェントがいない若いファンには今でも実際すばらしい場所だと思う。CBGBに行けばそこでギグや演奏がやれるし、たぶん彼らもすばらしい成り行きになるかもしれないだろ。たとえ商売を主眼とした方向でならなくても、少なくともアーティスティックな方向ではなれる。彼らにはそれをする自由がある。ボクたちがあそこで演奏を始めたとき、誰もいなかった、たぶん10人くらいかな、そのうち8人はあそこで働いていた。」

B52のフレッド・シュネイダー:「CBGBがロッククラブの先端状態。演奏しなければならなかった当時に後戻りしろよ。ミュージックヴィデオはなかった、単独でやらなければならなかった、ラジオは曲をかけてくれなかった。CBGBはまさに無秩序な大混乱のおもしろみだった、世界で最悪のトイレとぴったり合体した、くすぶった酔いどれロックンロール。」

写真は、CBGBの前に立つヒリー・クリスタルと愛犬。なつかしいな、あの暗さといかがわしさと、臭いと。

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