力の誇示にはうんざり
「米イラク政策 単純化が過ぎないか」
25日の中日新聞社説が気持ちを代弁していた。世界に実に大きな影響力のある国を動かすトップらが本気でこう考えているなら、このでたらめさを上回るめちゃくちゃな世の中になる、いや、世界はもう幼稚園状態にある。
以下、中日新聞の社説より。
米軍のイラク撤退議論が高まる中、ブッシュ米大統領が戦前の日本軍をアルカイダになぞらえる演説を行った。日本が民主化できたのだから、イラクも可能だという。歴史を単純化してはいないか。
ブッシュ大統領が米ミズーリ州カンザスシティーの海外戦争退役軍人会で行った演説は、本論の主要部分を日本との比較に充てた。
「敵は自由を忌み嫌っていた。その敵は米国民の戦意をそぐほどの惨害を与えようと自爆攻撃をしかけた」。「といってもアルカイダのことではなく真珠湾奇襲、そしてその後、東アジアに帝国を築こうとした1940年代の日本の戦争マシンのことだ」。大統領はこう切り出し、いかに戦前の日本が今のイラクに似ているかを説いた。
日本は文化的に民主主義が根付かないと思われていたこと。女性は従順過ぎて政治的独立にはなじまないと思われていたこと。狂信的な国家神道が民主化を不可能と思わせていたこと、などが主な点だ。
その日本が戦後、米国最大の同盟国になり、女性の防衛相さえ誕生するまでになった。イラクに米軍が駐留を続ける理由は、日本の民主化を助けたアメリカの理念、権益そのものだ、と続けている。ベトナム戦争にも言及し、米軍撤退がその後の惨劇につながった、とも指摘した。
演説が、来月に発表される米政府のイラク報告書を前に退役軍人の会合でなされたものという事情は分かる。しかし、その歴史の比較はあまりにも単純過ぎないだろうか。
日本やドイツで成功した民主化過程が、歴史と文化を異にするイスラム圏で一律に適用できる、とどうして確信できるのだろうか。アフガニスタン、イラクでの民主化は確かに自由選挙を経て新生国家の誕生を見たが、その足元は危うい。イラクのマリキ政権は宗派抗争から大量の閣僚が引き揚げ、崩壊の危機に直面している。パレスチナでは選挙を通じて武装闘争路線を捨てないハマスが支持を得る皮肉な結果となり、分断を生んでいる。
テロとの戦いは、国家を超えた姿なき組織との非対称性の戦いだ。国民国家の枠を超えたグローバル化が進み、欧州連合(EU)に見られるように、世界的に新たな秩序が模索される時代。求められる「力の誇示」以外の紛争解決モデルは示されていない。
ブッシュ大統領は対テロ戦争を「イデオロギーの戦い」と主張し、この一点で一切の妥協を拒んでいるように見える。
多様であるべき歴史の比較には慎重でありたいと思う。
写真は、言わずとしれた911、日本もこれ以降、これにはずみをえて、根本から変わろうとしています。いまの国を動かす頭脳では、危険な方向にどんどん転がっていっているとしか言えません。アーティストも自分の持ち場で声を上げている人は上げているんですが、まだまだ足りません。すべての解決策は、人類が消えてなくなることでしょうか。
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