QUAKE 揺れるレバノンと中国
◇マグニチュード7.8の地震が中国南西部を襲ったとき、少なくとも1万人が死亡したと中国国営メディアは伝える。(BBC 12 May 2008)
◇国営メディアによると、四川省を震源とするマグニチュード7.8の地震により、同省では少なくとも学校8校、複数の化学工場、少なくとも1つの病院が倒壊、数百人が生き埋めになっているという。
中国にとって過去30年で最悪となるこの地震による死者数は、今後も増加する見通しで、四川省の省都・成都から約100キロにある震源地のブンセン県付近には、道路や鉄道の切断のために救援活動が届かない状態となっている。
同省の都江堰市では3階建ての学校が崩壊し、約900人の生徒が生き埋めになった。政府は救援活動のため軍隊や医療チームを派遣。温家宝首相も被災地入りした。
四川TVによると、死者数の7000人以上は同省北川県に集中し、同県では建物の80%が崩壊した。(ロイター2008年5月13日)
◇米国はレバノン国軍の向上に手を貸す用意があるのでヒズボラを無力にできるとジョージ・W・ブッシュがBBCに述べた。(BBC 12 May 2008)
ベイルート──レバノンのイスラム教シーア派原理主義組織ヒズボラ率いる反政府民兵は、与党支持者との市街戦を展開していた首都ベイルートから撤退したものの、11日に近郊の山地で新たな戦闘を開始した。
レバノン治安部隊によると、8日に始まった反政府民兵と与党支持者の衝突による死者は少なくとも44人、負傷者は140人以上にのぼった。11日の死傷者は含まれていない。当初ベイルートに集中していた戦闘は全国に拡大し、1991年の内戦終結以来では最悪の派閥抗争に発展した。北部の港湾都市トリポリでは停戦合意が成立したが、発効の可能性は不明だ。(CNN12 May 2008)
イスラム教シーア派民兵組織ヒズボラなど「親シリア派」と「反シリア派」の衝突が続いたレバノンの首都ベイルートに11日入った。政府軍の要求に応じ、ヒズボラなど各派武装メンバーは市内から撤退。だが、親シリア派が制圧後に政府軍に引き渡した反シリア派の拠点にはいまも親シリア派の旗がはためき、住民はシリアへの憎悪をあらわにした。
西ベイルート随一の繁華街、ハムラ通りの南の高台には反シリア派の有力指導者サード・ハリリ氏(イスラム教スンニ派)の邸宅がそびえ、北には同じく反シリアのシニオラ首相(同)が入居するマンションがある。反シリア派の牙城とも呼べる地域だ。
しかし、ハムラ通りには親シリア派の「シリア社会民族主義党」の党旗が残る。「衝突の初めからヒズボラはいなかった。シリアの連中ばかりだ」。文具店経営のハリルさん(78)はそうつぶやき、衝突はシリアによるハリリ氏攻撃だと示唆した。
裏通りには空の薬きょうが散らばり、雑貨店の店先には狙撃手に射殺された少年(16)の葬儀を知らせるポスターが張られていた。親シリア派の武装メンバーは姿を消したが、無線機を手にした若者たちが通行人に目を光らせる。
親シリア派は街頭からの撤退後も、空港へのルートなど主要道路の封鎖を継続。空港の機能はマヒし、レバノンに入る経路はシリアに接する北部国境しか残されていない。
国境に近い北部ハルバでは10日、反シリアのハリリ氏派支持者がシリア社会民族主義党事務所を襲撃し、14人が死亡。同日深夜から周辺の村の住民とハリリ氏派がロケット弾を撃ち合うなど激しく衝突した。この村はシリアのアサド大統領と同じイスラム教アラウィ派が多数を占める。
ベイルートでの衝突はいったん収束に向かっているものの、レバノン国内の反シリア派のシリアに対する憎悪は、野火のように燃え広がっている。
レバノンでは、75年の内戦ぼっ発後、隣国シリアが20年近く実効支配を続け、いまも影響力を維持している。国内政治勢力は反シリア、親シリアに分かれて対立。反シリア派はイスラム教スンニ派、ドルーズ派、キリスト教徒などからなり、現シニオラ政権の支持母体になっている。親シリア派はイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラが中核。(毎日新聞 2008年5月12日)
写真は中国四川省での地震のつめあと
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