戦犯法廷に引き渡されたカラジッチ
◇旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷は8月1日、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦時のセルビア人勢力指導者ラドバン・カラジッチ被告が7月31日の初出廷の際に示唆した米政府との「密約」を詳述した文書を公表した。
文書は同被告が出廷後に提出した。
文書の中で被告は、内戦の調停にあたった当時のホルブルック米国務次官補が1996年、被告に対し、公職引退などの見返りに訴追の免除を約束したと主張。後に、オルブライト米国務長官も、ロシアかギリシャ、セルビアのいずれかで暮らすよう提案したとしている。
同法廷が訴追断念に応じなかったため、密約の公表を恐れた米政府は被告を「清算(殺害)」する方針に転じたという。ホルブルック氏は米メディアなどに、密約説を全面否定した。
(読売新聞 2008年8月2日)
◇オリ裁判長は裏取引の具体的な内容に触れようとするカラジッチ被告を制したが、ボスニア和平をめぐっては以前から裏取引疑惑がささやかれてきた。内戦に終止符を打つ「デイトン合意」(1995年)をまとめたホルブルック米国務次官補がミロシェビッチ元ユーゴ大統領との会談で、「カラジッチ被告が政治指導者の地位から退けば戦犯法廷に引き渡さないと約束した」という内容だ。
ホルブルック氏は「全くのでたらめだ」と否定している。
(毎日新聞 2008年8月1日)
◇カラジッチ被告は30日未明、ベオグラードから空路オランダ南部ロッテルダムに到着し、ハーグ郊外にある国連管理下の拘置施設へ移された。空港から施設までの移送の際には、ヘリ2機とミニバン2台を同時に使う偽装措置がとられた。同被告を支持する勢力による妨害などを警戒したためとみられる。
カラジッチ被告は、元ユーゴ大統領ミロシェビッチ被告が2006年に獄中死して以来、同法廷が扱う最重要戦犯と位置づけられ、今後の公判でも厳戒態勢が敷かれる。
被告はボスニア内戦中の1995年、イスラム教徒を中心とする約8000人が犠牲となったスレブレニツァ虐殺などの民族浄化政策を計画、命令したとされる。
31日の初出廷では、集団殺害、人道に対する罪など11件の罪状について認否を問われる。
これに対し、被告は無罪を主張し、全面的に争う公算が大きい。被告は同法廷の正当性自体を否定し、弁護人も立てない意向とされ、審理に非協力的な姿勢を続けた場合、判決までに数年かかる可能性も否定できない。同法廷のセルジュ・ブラメルツ首席検察官は30日、記者会見し、「複雑な裁判になる」と述べた。
今後、最も懸念されるのは、ボスニア内戦終結から13年が経過した今も依然不安定な旧ユーゴの政治情勢への影響だ。ボスニアのセルビア系住民は、カラジッチ被告拘束に抗議行動を強めており、裁判をきっかけに「ボスニアが再び分裂する深刻な恐れ」(ボスニア・ヘルツェゴビナ和平履行会議元上級代表パディー・アシュダウン氏)も指摘される。
一方、セルビア政府は同法廷に協力することで、早期の欧州連合(EU)加盟を実現したい思惑だが、カラジッチ被告への断罪が、国民の民族感情に火を付ける恐れも捨てきれない。
同法廷ではこれまでに161人が起訴され、56人に有罪、10人に無罪判決が出ている。量刑は終身刑が最も重く、確定したものでは禁固40年が最長。
ハーグ郊外の拘置施設には現在、37人の被告が収監されている。セルビア民族主義勢力幹部らに交じってボスニア人やクロアチア人戦犯も同じ施設内で生活している。
(読売新聞 2008年7月30日)
写真は、カラジッチの主張をはねつけるUSブローカー、ホルブルック
米国と訴追免除の取引をしたとのラドバン・カラジッチによる主張は、米国外交関係者によって「けっさくだ」と一笑に付されている。
リチャード・ホルブルックはボスニア戦争が終わりになる協定をうまくさばいた。
次の写真は逮捕されたときのカラジッチとハーグの国際法廷に姿を現したカラジッチ。(写真とキャプションは、BBC NEWS 1 August 2008)
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