見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2009/08/02

テルアビブのビッグショック



◇最も寛容で自由な都市、テルアビブの大ショック:活動家Yaniv Weizman

テルアビブ市のゲイ支援センターで2人を殺害、少なくとも10人(時事通信によると15人)が負傷したガンマンをイスラエル警察が捜索している。

ゲイコミュニティに対するイスラエル最悪のヘイトクライムと、ゲイの指導者たちは言う。

犠牲者のほとんどが、ガンマンが入ってきて無差別に弾丸を浴びせ始めたときナチマニ通りのセンターで行き会っていたゲイのティーンエイジャーだった。

警察は一時的に街のゲイクラブの閉鎖を命じてきており、捜索についてほとんど詳細を発表してきていない。

自動小銃であらゆる方向に浴びせたと目撃者らが伝える、顔を覆った黒い装いのガンマンの戸別捜索に数百人の警官がかかわると伝えられる。

ある時点で3人の死亡が報告されたが、後にウワサは若い男性と若い女性の二人の死亡数についてだけ口に出される。

狙撃は地元のレズビアンとゲイの権利協会の本部で行われた。

・ショック

ガンマンは若いゲイの人たちを援助した場所を攻撃していたとセンター近くのゲイバー、エヴィータで働くAnon ShabtieはBBCに語った。

「私たちにはゲイであることを公表したかったり地域社会から支援を得たい人々のためのセンターがあって、毎日そこに来ると、彼らを支援する人々がいる」

「あいにく、土曜の晩はそこにやってくる10代の子たちがいて、彼らは、彼らを助ける男といっしょにそこに座ってるたくさんの連中はほとんど知らないらしい」

「そうしたら頭にヘルメットをかぶった男がやってきて、わけもなく彼らを狙撃していた。」

数百人のレズビアンとゲイのイスラエル人がこの狙撃に抗議してテルアビブで集会を行いキャンドルに火を灯した。

ある女性は、あまりにも予想外だったので、その攻撃に「たまげ、衝撃を受け、不意打ちを食らい、仰天した」と言った。

近くのホテルで働くYaron Aradは、ゲイ社会は街の一部だったと言った。

「テルアビブには絶えずたくさんの活動がめぐる非常に活気のあるゲイ社会があるのを私たちは知っています」と彼はBBCに語った。

「それは実に意外な問題です、テルアビブにはどんなホモ嫌いの活動もまったくありません」

「エルサレムはもちろんゲイ社会を受け入れませんが、ここテルアビブは違います、すっごく異なる顛末です。ここではたくさんのパーティ、たくさんの同性愛者がおもしろく遊びます。それが、今夜起こったことがひどく意外で不意打ちを食らう理由です。」

”内部の認識”

毎年恒例のゲイのプライド行進は、エルサレムの超正統派のユダヤ人による暴力的な抗議によく遭遇する。

攻撃の後、街のゲイ社会に支えられて集会が行われた。

イスラエルのゲイ・レズビアン・バイセクシャル・トランスジェンダー(性差を超えようとする者)若者協会の会長Yaniv Weismanは、「外を見ることができる場所ではないので」ガンマンはセンターを攻撃するつもりだったに違いないとBBCに語った。

なぜ標的にされてきたか知ることをゲイ社会は要求していたと彼は言った。

「イスラエル、テルアビブに、今日、もはや誰にとっても安全な場所はないというメッセージ、とても強いメッセージ、赤信号を、イスラエル、テルアビブのゲイ社会は受け取った」と彼は言った。

「そしてもし誰かが彼自身にたとえば憎悪のように言ってゲイ社会に反対することだと言う選択肢を与えられるなら、今日、彼はこの事態とこれらの言葉が導くことができる結果を見ることができる。」

かつてテルアビブはパレスチナの戦闘員によって攻撃の標的にされてきているが、土曜日の攻撃に政治的動機があったとの説明はなかった。

警察のスポークスマンは、攻撃を「民族主義的というよりは刑事上の犯罪」として説明した。

(BBC NEWS 02 Aug 2009)

◇イスラエル・テルアビブ中心部の同性愛者支援施設で1日、男が銃を乱射し男女2人が死亡、8人が負傷した。現地の救急当局が明らかにした。

警察によると犯人は現場にいた男女の同性愛者らに向け銃を乱射して逃走した。その後犯人は近くの同性愛者向けのバーを襲撃しようとしたが、ガードマンによって阻止された。

事件を受けてテルアビブの警察は市内すべての同性愛者向けバーに営業を一時停止するよう命じた。

同性愛者団体は、宗教団体が同性愛者を非難していることに言及し、今回の銃撃は同性愛者を狙ったものだと話している。

(AFP通信 2009年8月2日)

写真はニューヨークタイムズ紙 01 Aug 2009

このニュースを読んだとき、偶然、ボウイの「アンダープレッシャー」を聴いていた。これ、ボウイとフレディ・マーキュリーが何かでいっしょにやってたときできた曲(歌詞はボウイ)。1992年ロンドン、ウェンブリースタジアムでのフレディの追悼コンサートの時、フレディのパートをボウイと歌ったのがアニー・レノックス。アニーのメイクは「ブレードランナー」のレプリカント!でした。
衝動的にこの曲、テルアビブの10代の犠牲者たちに捧げたくなった。