見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの、見つけたとき、 それを作品にしたり、思わずなにかの形にして、人に 伝えたくなります。 見つけたとき感じた、しあわせ感覚が、ひとしずくでも 誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

May 05, 2014

乗っ取られた草の根抗議運動

◇エジプトの反抗的な運動がなぜシシ大統領職の道を開くのを助けたか
buzzfeed 15 April 2014
昨年モスリム同胞団を駆逐した抗議を導いた運動、Tamarodの5人の創設者のひとりが、運動が軍の指図を受けていたことを初めて認めた。「ボクらは未経験で愚直だった、ボクらには責任能力がなかった。」
2013年7月3日の夜、Moheb Dossは全国テレビで彼の名義で声明が読まれたとき、あまりのことに驚いて、静止したままテレビを見ていた。
プレゼンターの口から出てくる言葉は、Tamarodまたは反逆者運動の5人の共同創設者のひとり、Dossが、これより数時間前に起草するのを助けた慎重に選別された声明にまったく似ていなかった。それは、Tamarodの勝利の瞬間を、まさに5日後にモスリム同胞団政府を追放に導くグループが6月30日に開始した抗議と断じる声明だった。民主的進路に向かって平和的移行を求めるとして、エジプト国民を安定させる効果があればよいとグループが願う声明だったとDossは言った。

代わりにプレゼンターは、もしかすると荒れ狂うかもしれない期間、介入してテロリストによる”やみくもな侵略”から国民を守るよう軍に求めると、Tamarodを引きあいに出した。声明は軍の実力行使によるモスリム同胞団のリーダーや当時のモハメド・モルシ大統領の排除や逮捕を支持して、起こったことがクーデターだったとの告発を退けた。

「ボクたちが起草したのは大変革をもたらす声明だった。それは平和や民主的進路に前進することに従事した」とDossはBuzzFeedに述べた。「読まれた声明は、もしかして軍によって書かれたかもしれない。」

5日間、数百万のエジプト人が街頭に繰り出してモスリム同胞団の支配の終わりを要求した。その数は抗議を組織した当時、十分に知られてないグループ、Tamarodのでたらめな予想の限界も超えた。5人の創設者はたちまち有名人になった、そして彼らの勝利が今にも起こりそうに思われた7月3日の夜、次になにが起こるかで声明に向けてエジプトの全テレビ局が彼らに助言を求めた。

「国営テレビが読んだものは、まるで軍によって書かれたかのように必要なら武力を行使すると言ってモスリム同胞団をおどした」とDossは言った。「ボクはショックを受けた。その時、運動は完ぺきにボクらから取り上げられたのを了解した。」

何週間も前に始まった進行の果ては、軍と治安当局がゆっくりとだが着実にTamarodに対して影響力を行使し始めて彼ら自身のエジプト計画を実行するために草の根革命運動としてグループの評判に飛びついたことと、あとで彼は理解した。

「Tamarodのリーダーらは反対側から指図される気になった。彼らは反対側から命令を受けた。」

過去に、Tamarod運動がエジプト内務省とつながっていて軍から電話を受けたことをメンバーがオフレコのインタヴューで認めたとはいえ、Tamarodのメンバーはエジプト軍と情報部当局の直接の指導を受けたとはこれまで決して言わなかった。上級のエジプト当局者が手伝って進ませることがなければ、グループがそのような広範囲にわたる成功を享受することはあり得なかったとの、エジプトにおける多くの疑惑を告発は確かなものする。

7月3日の夜、軍がモスリム同胞団を政府から追い出して、モルシ大統領を逮捕し、彼を隠れた場所にさっと運んだとき、彼らはモスリム同胞団が占める政府に対する若干の不満を引き上げるために、Tamarodがエジプト全土で嘆願書を回したあと街頭に繰り出した数千万人の名にかけて行った。

「5人の男がエジプトを変えようとしている、そんな小さなことから、モスリム同胞団を厄介払いするために何千万という人々を街頭に連れ出す運動にまでボクらはなぜ成功したか?答えは、ボクらは成功しなかった。成功したのはボクらではなかったのを今はもちろんのことと思う、ボクらよりかなり重要な人が手に入れたかったものの顔としてボクらは利用されていた」とDossは言った、彼は今はTamarod運動またはエジプトの政治世界とは無関係だ。「ボクらは未経験で愚直だった、ボクらには責任能力がなかった。」

エジプトは6週間でモルシ追放以降最初の大統領を選ぶ選挙に打って出る。誰から聞いても、最近国防相を辞任した軍の有力者、アブデルファタフ・シシが勝つ。

「Tamarodを始めたときボクらはとても未経験で愚直だった」と言って、Dossはかつてグループの本部があったところから1マイル未満のカイロ中心部の歴史的なカフェ、Café Richeでコーヒーをちびちび飲む。グループの大部分は長期のエジプト大統領、ホスニ・ムバラクに抗議した草の根の連合、Kefaya運動から互いに知っていたと彼は言った。

Doss、Walid el-Masry、Mohammed Abdel Aziz、Mohmoud Badrは皆、Kefaya運動のリーダーだったし、Hassan Shahinはグループとずっと親しかった。

しかしながら、6月30日の抗議に先立つ何週間かに、Badr、Aziz、Shahinに対して大きな影響力をふるうらしい見慣れない顔で事務所が占められるようになるのを彼は思い出した。3人は当時国防相のシシと内務省で面会するようになった、そして3人が戻ると論点がシフトしているように思われた。
BuzzFeedは、Badr、Abdel-Aziz、Shahinと繰り返し連絡を取ろうとした、そしてDossやTamarodグループの他のメンバーによる彼らに対してなされた申し立てをEメール、ボイスメール、フェイスブックのメッセージを介して3人に繰り返した。3人全員がコメントするのを辞退した。

昨年発表されたロイターの特報によると、エジプト内務省の当局者らは、Tamarodを支えるために署名集めを手伝い、抗議に参加した。

「彼らや他の皆のようにエジプト人としてもちろん我々は運動に加わって助けた。モルシ現象全体がエジプトにとって役に立たないと各人皆が判断して、この男と集団を排除するために職場の各人皆ができることをした」と治安当局者はロイターに語った。

6月半ばまでにTamarodは内務省中から支援を受けており、彼らの抗議に備えて戦術的支援と兵站業務上の支援をグループが受け取るのを確かにする便宜を与えられたと、ある内務省職員がBuzzFeedに話した。

6月30日に数百万人が街頭に繰り出したとき、群衆にくまなく行きわたる水のボトルと何十万のエジプト国旗のミニチュアがあった。笑顔の警官がエジプトの赤ちゃんと一緒に写真にポーズをとった、エジプト人がアラブの春の抗議に加わって警察国家とホスニ・ムバラクの30年の統治の終焉を求めて街頭に繰り出したまさに1年前には想像できない光景である。

タハリール広場の上空では軍用機が入念なスタント飛行の実施を開始した、そして夏の青空にエジプト国旗のカラーまたはハート型を描いた。軍と警察の両方がTamarodの裏にいたとの明白なメッセージを送ることを除いて、スタントは簡単には行えないし安くもなかった。

辞任することで抗議者らが当時のモルシ大統領と妥協に至ったと、軍が最後通告をする準備を整えた7月1日の夕刻をDossは思い出した。

「誰がシシと一緒に席について交渉しに行くべきか議論を始めたときボクの疑いは高まった」とDossは言った。「ひとつは学生の代表、ひとつは女性の代表、ひとつは宗教的少数派の代表、その他を入れる人々の連合であることにボクらは前もって同意していた。いきなり、Badr、Abdel Aziz、Shahinの3人だけとなったときボクはショックを受けた。」

Tamarodの公式スポークスマンだったBadrは、メディアに対し、グループがもっと早くに話し合っていたこととまるで正反対の声明をし始めて、ますます軍を支持するように思われたとDossは言った。

7月1日夜に行われた記者会見で、Badrは激しいレトリックとシシや軍隊について繰り返された国民の支持の要請で多くの人を驚かせた、「我々は軍を迎える!我々は彼らに敬礼する!」「国民と共にあることを彼らは示した」とBadrは言った。
すごい署名キャンペーン、国営メディアからの支持、見たところでは無制限の資金をどうにか成し遂げることについて、彼が過度にうぶだったことをDossは認める。彼の共同創設者らがどんなふうに軍や政府当局者と会い始めたか詳しく述べるとき、今でも彼の声は信じられぬ思いをおびている。

「彼らは命令を受けている、そして政府機関に利用されていることを実感した」とDossは言った。

Badr、Shahin、Abdel-Azizは、もはやカイロ中心部によく出入りしない。彼らが後援者からクルマやアパートメントの贈り物を快く受け取っていたとの記事が出てきたあと、かつて3人がTamarodのリーダーとして称賛されたエリアは今は敵対的になっている。ほとんど何も確かめられないが、うわさは2013年10月にタハリール広場から1マイル未満のカフェにShahinが座ったとき暴徒が彼を襲うのを知るので十分だった。

「革命のムードを裏切ったとのわだかまりがある」とTamarodの元メンバーSarah Yasinは言った。「突然、ナイスな服を着て、財布はお金でいっぱいだった。どこから来たものか誰でもわかっていた。」

同じ申し出があったとDossは言った。7月3日の夜、Tamarodの5番目のメンバーWalid Masryと共に情報部当局者に会いに行く機会が彼にも与えられたと言った。
「彼らが何を持ちかけているかわかったのでボクは断った」と彼は言った。「その瞬間までイエスと言うかノーと言うか確かによくわからなかった、彼らの報酬をもらえば、まったく自分にあきれるので、もらわなかった。」

Tamarod がキャンペーン本部として使ったアパートの所有者Hesham Gobranは、「政府がTamarodのありかを見つけると決めるまで、グループはハッピーのように見えた」と言った。

Badr、Aziz、Shahinは、メディアのスポットライトに過度に興奮しているらしく、突然、現金でバラ色になるように見えたとGobranは言った。Tamarod運動の仕事仲間だった他の4人に加えて、彼のほかには、なにひとつ書類すらなかったと彼は言った、Badr、Aziz、Shahinは、突然、彼らに贈られたと思われるタブレット型コンピュータを持ってオフィスの周りに現れたとBuzzFeedに話した。

「この金の全部が収入として入ってきた、そしてそれは消えていた」とDossは言った。「金がどこに行ったか、誰も明言することができなかった。」

Tamarodのソーシャルメディアを運営したIslam Hamamは、「海外の裕福なエジプト人」からオフィスに送られた総額10万ドル以上の3枚の小切手に関して言い争いを偶然耳にしたのを思い出した。

「小切手が着いたことは確認された、だがそれから金は消えた、それについてボクらは一言も聞いていない」とHamamは言った。その時まで資金調達を担当していたMohamed Badiaという若い活動家が突然、Badrから別の仕事を与えられた。グループの唯一の資金調達役員を解任するという決定について尋ねたとき、Badrは彼に、「ボクらは互いに信頼しているし小切手は直接ボクらに達する、従って信頼がある限り、資金調達の人間は本気で必要ない」と話したとHamamは言っている。

Badr、Aziz、Shahinが寄贈者と会って資金をコントロールするのをますます熱望するようになることを除いて、グループの財源に関して透明性はまったくなかったと、HamamとGobranの両者は言った。「金が消えて、ボクらは理由を一言も聞かなかったし、どうなっているのか理解もしなかった」とGobranは言っている。

6月上旬にグループに加わったある女性活動家は、中心核の創設者らを堕落させる金と権力の組み合わせのようだと言った。

「彼らは、世界が彼らを受け入れるようになったのを突然悟った。たくさん力のある人たちによって彼らに使えるようにする万一の時の頼みや金が彼らにはあった」と彼女は言った、彼女は両親がどちらも政治運動に関与しているので名を挙げないでと頼む。「急に彼らはカフェにいるみんなになりたがって、誰でも皆の勘定を持った。そして政府が彼らに言って欲しいことを言ってる限り、すべてを入手できた。」

1年にもならない前、Yasmine TaltawyはTamarodのメンバーだった。今日、彼女はレジの上にシシのポスターを掛けて彼女の衣服店の店頭に小さなエジプト国旗をテープで貼り付ける。

「今日、正しい側を支えるとわかられることは重要です」と彼女は言った。「エジプト人はシシを通して軍に投票し、支援すべきだとのメッセージは明瞭です。」

軍はモルシを打倒して早期選挙を目指すとシシが発表した7月3日夜、彼女は声を上げて泣いたことを思い出した。「私は戦って、クーデターがあったとフェイスブックのウォールに書いたアレキサンドリアの従兄弟といっしょに泣き叫んだのを憶えている。このクーデターのほのめかしに私はとても腹を立てた」と彼女は言った。「誤りを認めて前言を取り消せと彼に言った。軍が私たちを手助けして新たな選挙を行ってどんどん進むことだと。」

彼女は「シシ立候補で構わない」と言ったが、従兄弟が軍の政権への生き返りについて満足かどうか彼女に尋ねるとき、今度は彼が満足そうにいい気味だと思って眺めると付け加える。

「これで君やTamarodの友人は満足かい?君はシシを助けて満足かい?と彼は私に言う。確かに私には答えられない」とTaltawyは言っている。

Dossもまた、この頃、答えに苦心している。 

「これはボクらが遭遇したかったことではない」と彼は言った。「始めに、これがボクらの運動の結果だと思っていなかったのはわかる。」

エジプトの大多数とは異なり、来たるべき選挙で誰に投票するかDossにはわからない。シシ、またはライバルの左派の大統領候補Hamdeen Sabahiには投票しない、そして唯一期待できるのは彼らに挑むため進み出る新たな候補だと彼は言う。Tamarodを始めたことに後悔しないが、それが至った結果には失望すると彼は強調する。

「ボクらは利用された。」

http://www.buzzfeed.com/sheerafrenkel/how-egypts-rebel-movement-helped-pave-the-way-for-a-sisi-pre

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