文明発祥の地 メソポタミア湿原
文明発祥の地、一部には「エデンの園」があったところとも言われるメソポタミア湿原は、2013年7月にイラク初の国立公園に指定された。
◇メソポタミア湿原の地獄
彼らに先立つサダム・フセインのように、ISISは、イラクの唖然とさせる生態学の部分に目を注いでいる、おまけに、なんと生活様式を5千年戻される状態に放置する。
写真:”mashoofm”ボートに乗るマーシュアラブ人(低湿地に居住するアラブ人)
匹敵することは見てわかる。テロリストグループISIS(イスラム国)による現代イラクのメソポタミア・マーシュランド(低湿地)の枯渇と破壊は、サダム・フセインのバース党政権がまさしくその土地を枯渇させた1991年3月の暗黒の時代へのうす気味悪い回帰だ。サダムの専制支配から脱しようと苦闘していたイラクのシーア派反乱軍を壊滅すると同時に彼はやった。長いあいだその湿地に居住した種族の年長者は、「歴史は再びそっくり繰り返されている」と断言した。
今から60年前、50万人までのマーシュアラブ人がチグリスとユーフラテス川のそばの湿地に住んでいたと推定される。1991年の枯渇前、彼らは多くの点で彼らの祖先の生活とも言えるものを思い出させる現代の生きる人だった。カヌー(mashoofmとして知られる)で出入りできる水上の葦の家(最も著しく印象的で独創的な美しいあり方で設計される)で生活し、コメ栽培と魚を捕ること、水牛を飼うことを伴う生活を送る。サダムは低湿地の生活様式の大部分を破壊した。
1991年の危機の後、湿地の人口は2万人にまで減った。一部の部外者が愚かにイラクをみなすもの(よって砂漠の国も同然と指名する欠陥のある認識は、1990年代の間ずっとイラク政権への色々なアメリカの軍事作戦名によってよくならない)と正反対であるような、みずみずしく茂った湿地は実質上不毛の乾燥した砂漠も同然に等しくなる危険にさらされるほど破壊された。それどころか排出された水はイラク領土の7500平方マイルが砂漠化に負ける原因になった。
写真:伝統的なマーシュアラブ人の家のなか。
英米軍事侵略による専制的サダム・フセイン政権排除の結果として、たとえ彼らが2003年に(難民となったマーシュアラブ人の多くがなんとか戻ろうとして改めて古い生活を始める気にさせる成り行き)再度殺到したとしても彼らは当初の規模の30%に決して及ばなかった。昔は繁茂する湿地の広い帯状の土地が「もはや生態系として存在しない」ことにどうしても排出された水が責任を持つことをロンドン大学「湿地生態系研究グループ」の調査が見つけ出した。そしてこれが、いわば世界最大の湿地生態系であったのを忘れないでください。イラク人にとってそして全く人類にとって甚大な被害をもたらす環境上の損害。それらは絶対にまるで同じ状態ではありません。自然の美しさに関してのみならず、イラクの環境に対するその恐ろしい攻撃の前にはよく生育していた野生生物がもはや見えないことに関しても。または、環境擁護基金のShannon Cunniffが簡潔に言葉で表すように、生態学的で犯罪的な人災の結果として、「メソポタミア文明が栄えたところからそう遠くないかつて生気にあふれる川の湿地はその植物相と動物相を失った。」
写真はマーシュ・アラブ人の村(abualsoof.comより)
今は夏であり、目下ISISがアンバル県のラマディ・ダムを支配する。水の供給を止めるまたは減らすでも干ばつの可能性のあるせいで、この沼地をさらにめちゃめちゃにしかねない。あるいは、救済や回復はもう少ししか残っていない線を越える局面に彼らをせきたてるかもしれない。
ISISは、十分正体をばらし、イラクの古代の遺産や文化に対するその冷淡な侮辱の態度を明らかに誇りとしている。彼らは文明の産物を打ち砕き、闇市場で外国人に売るために古代遺物を略奪した、そして世界遺産の遺跡をブルドーザーで片づけた、最も不名誉にもNineveh県の2000年経つハトラをこわすことだ。イラクの文化遺産に対する彼らの犯罪は、サダム・フセインによってイラクを苦しめたことよりずっと大きい。古代バビロンでのサダムの”刷新のための奮闘”は、1988年当時のユネスコにしかない世界遺産遺跡リストから実際にユネスコがそれを除去したのをみてきた。
現在、フセインよりも多くのイラク古代遺産を破壊してイラク戦争によって生じたカオスを結合させているISISは、フセインが湿地にしていたことの最後の仕上げをすることを公けにしている。それらを破壊して、彼らが最後の命取りとなる原因として求めるもの、より古風でシンプルな生き方の多くの世代を終わらせる。とことん古代シュメール文明にさかのぼる生き方だ。
ISISがいまイラクからさらに盗む方法として環境にその照準を合わせていることや生息動物(居住者)の生存をめちゃめちゃにしていることは道理に適うのかもしれない。イラクの豊かな古代文化の破壊に加えて、それは彼らが何を求めるかのさらにもうひとつの指標だ。イラクを文明や文化が欠けている、最も未開の野蛮人によって支配される荒涼とした荒野に変えること。
https://www.the-newshub.com/environment/the-murder-of-the-mesopotamia-marshes
△日本政府はイラク復興支援策の一環として、イラク南部に広がるメソポタミア湿原の復元に協力することを決めた。同湿原は70年代には四国より一回り広い面積があったが、旧フセイン政権時代の干拓などで乾燥が進み、4%ほどまで縮小している。政府は「環境分野での貢献は、自衛隊派遣だけではない日本の復興支援を国際社会にアピールできる」(外務省幹部)として、現地の治安の回復を待ち、国際機関と協力して事業を進める意向だ。
メソポタミア湿原は、四大文明で有名なチグリス・ユーフラテス川の下流域で70年代には約2万平方キロの広さだった。だがその後、乾燥化が進んだうえ、湾岸戦争後に反フセイン暴動を起こしたシーア派部族の根拠地ともなったため、政権側は環境を変えて強制移住させようと川をせきとめた。
その結果、湿原は破壊され、湿地部分は02年には759平方キロにまで縮小。塩害や生態系への悪影響が出ている。国連環境計画(UNEP)によると、このままだと5年以内に消滅する可能性もあるという。
また、環境が変化したため、農業で生計を立てていた住民らが次々と移住し、30万人いた人口が一時、10万人まで減少したとも言われている。UNEPや国連食糧農業機関(FAO)が詳細な調査や復元事業を検討していたが、治安の悪化で中断したままだ。
昨年12月に来日したイラク南部の主要部族長の子息で民主化運動の指導者アブドルアミール・アル・リカービ氏が小泉首相と会談した際、「イラク南部の民衆が最も望む復興支援策だ」としてメソポタミア湿原の再生を要請し、政府の支援策の一つに急浮上した。
政府は資金援助だけでなく、専門家による調査のうえ、植林、塩害除去、かんがいや水路作りのプロジェクトなどの対策を検討しているが、詳細な調査には現地の治安の回復が必要となる。干拓された土地に入植した住民も多く、環境再生とどう調和を図っていくかも課題となる。
(2004年1月21日)
http://www.asahi.com/special/jieitai/TKY200401210234.html
△イラクの自然保護活動家が‘エデンの園’の再建によりゴールドマン環境賞を受賞(2013年4月17日)
ゴールドマン環境財団が2013年度のゴールドマン環境賞の受賞者6名を発表しました。これは環境とコミュニティを守るためにあらゆる困難をものともせずに活動する恐れを知らぬリーダーに与えられるものです。今年の受賞者にはネーチャー・イラク(イラクのパートナー)のCEO、Azzam Alwashが含まれています。
イラク南部のメソポタミア湿地は多くの人に文明発祥の地として知られており、一部の人からは’エデンの園’があった場所と考えられています。チグリス川とユーフラテス川の間に位置するこの地方は、かつてはオアシスであり、世界で最も重要な渡り鳥のフライウェイの一つでした。
1990年代の中期にサダム・フセインはこの地域を焼き払い、干拓し、有害物質を流して、かつてはエデンの園として知られていた湿地を黄塵地帯に変えてしまいました。
フセインが権力の座に就くとAlwashは迫害から逃れるために米国に移住しました。フセイン体制が崩壊した時、彼は子供の頃お気に入りだった湿原を再生する時が来たことを知りました。2003年に彼はカリフォルニアでの快適な生活を諦めるという難しい選択を行い、いつか娘たちも彼が幼少期に愛した場所を見ることが出来るようにするという希望を抱いて戦乱で荒廃したイラクに戻ったのです。
2004年にAlwashはネーチャー・イラクを設立し、水力工学の経験を生かして調査を行い、湿原を再生するためのマスター・プランを立てました。彼はまた環境省や水資源省に接触をし、政府の役人に対して湿原の再生による環境、社会、経済的な利益についての教育を行いました。
色々な障害がある中で、Alwashのアドボカシーの結果、メソポタミア湿原は再び元気を取り戻し、再生した湿原は今年の春イラクで最初の国立公園になる予定となっています。
再生活動を続ける中で、Alwashは今イラクの環境への新たな脅威と戦っています。トルコとシリア国境に沿った上流域に23のダムが建設される計画があり、もしこれが完成するとイラクに流れる水量はわずかになってしまいます。彼は水資源の争いによる脅威に世界の注目を集めるため、船によるツアーを組織してこれらのダムを国境地域における水資源を守るために必要な保護活動の復活の機会に変えようとしています。
http://www.birdlife-asia.org/archives/news-and-world/world/1490.html
メソポタミア湿原は、四大文明で有名なチグリス・ユーフラテス川の下流域で70年代には約2万平方キロの広さだった。だがその後、乾燥化が進んだうえ、湾岸戦争後に反フセイン暴動を起こしたシーア派部族の根拠地ともなったため、政権側は環境を変えて強制移住させようと川をせきとめた。
その結果、湿原は破壊され、湿地部分は02年には759平方キロにまで縮小。塩害や生態系への悪影響が出ている。国連環境計画(UNEP)によると、このままだと5年以内に消滅する可能性もあるという。
また、環境が変化したため、農業で生計を立てていた住民らが次々と移住し、30万人いた人口が一時、10万人まで減少したとも言われている。UNEPや国連食糧農業機関(FAO)が詳細な調査や復元事業を検討していたが、治安の悪化で中断したままだ。
昨年12月に来日したイラク南部の主要部族長の子息で民主化運動の指導者アブドルアミール・アル・リカービ氏が小泉首相と会談した際、「イラク南部の民衆が最も望む復興支援策だ」としてメソポタミア湿原の再生を要請し、政府の支援策の一つに急浮上した。
政府は資金援助だけでなく、専門家による調査のうえ、植林、塩害除去、かんがいや水路作りのプロジェクトなどの対策を検討しているが、詳細な調査には現地の治安の回復が必要となる。干拓された土地に入植した住民も多く、環境再生とどう調和を図っていくかも課題となる。
(2004年1月21日)
http://www.asahi.com/special/jieitai/TKY200401210234.html
△イラクの自然保護活動家が‘エデンの園’の再建によりゴールドマン環境賞を受賞(2013年4月17日)
ゴールドマン環境財団が2013年度のゴールドマン環境賞の受賞者6名を発表しました。これは環境とコミュニティを守るためにあらゆる困難をものともせずに活動する恐れを知らぬリーダーに与えられるものです。今年の受賞者にはネーチャー・イラク(イラクのパートナー)のCEO、Azzam Alwashが含まれています。
イラク南部のメソポタミア湿地は多くの人に文明発祥の地として知られており、一部の人からは’エデンの園’があった場所と考えられています。チグリス川とユーフラテス川の間に位置するこの地方は、かつてはオアシスであり、世界で最も重要な渡り鳥のフライウェイの一つでした。
1990年代の中期にサダム・フセインはこの地域を焼き払い、干拓し、有害物質を流して、かつてはエデンの園として知られていた湿地を黄塵地帯に変えてしまいました。
フセインが権力の座に就くとAlwashは迫害から逃れるために米国に移住しました。フセイン体制が崩壊した時、彼は子供の頃お気に入りだった湿原を再生する時が来たことを知りました。2003年に彼はカリフォルニアでの快適な生活を諦めるという難しい選択を行い、いつか娘たちも彼が幼少期に愛した場所を見ることが出来るようにするという希望を抱いて戦乱で荒廃したイラクに戻ったのです。
2004年にAlwashはネーチャー・イラクを設立し、水力工学の経験を生かして調査を行い、湿原を再生するためのマスター・プランを立てました。彼はまた環境省や水資源省に接触をし、政府の役人に対して湿原の再生による環境、社会、経済的な利益についての教育を行いました。
色々な障害がある中で、Alwashのアドボカシーの結果、メソポタミア湿原は再び元気を取り戻し、再生した湿原は今年の春イラクで最初の国立公園になる予定となっています。
再生活動を続ける中で、Alwashは今イラクの環境への新たな脅威と戦っています。トルコとシリア国境に沿った上流域に23のダムが建設される計画があり、もしこれが完成するとイラクに流れる水量はわずかになってしまいます。彼は水資源の争いによる脅威に世界の注目を集めるため、船によるツアーを組織してこれらのダムを国境地域における水資源を守るために必要な保護活動の復活の機会に変えようとしています。
http://www.birdlife-asia.org/archives/news-and-world/world/1490.html
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