ゴンゾの息子の本
◇ハンター・S・トンプソンの息子:「父のよさはまあ何でもいいけど、彼は全く無力な者だった」
父親の機能不全に陥る人生を物語る新著でホアン・トンプソンは感情に屈服することなく「クレイジーなゴンゾ・ジャーナリスト」に人間性を与えようと試みる
逆上した筆致、銃が大好き、TarGardで知られるプラスチックフィルターでの喫煙と、ハンター・S・トンプソンはたくさんのことで知られた。そしてもちろん、キース・リチャーズの好みによってのみ匹敵しうる速度でアルコールを飲むことやドラッグをやること。それは必ずしも人が父親に望むものではないが、ホアン・トンプソンにはたいした選択の自由はなかった。彼は単にそれを我慢した。
父親が2005年に自殺したあと、ホアン・トンプソンは、躁病的などんちゃん騒ぎする人としてまったくの父の肖像画が重要な何かを見落としていることに気づいた。「メディア報道のほとんどが本当にこのいかれたゴンゾ・ジャーナリストに集中していました」と、著書「Stories I Tell Myself:Growing Up With Hunter S Thompson」発表後、先週の電話インタビューでホアンは言った。「人として、作家として、わたしは彼にはこの他の面があったと指摘したい抑えがたい欲望を感じました。」
子どもとしてなんとか仲裁しようとする、深夜になってからの長い言い争いがあった。たいてい、母サンディに味方することになったと彼は本に書く。「母が言おうとしていたことに父は関心を持ちませんでした、父が気にかけたのは母をくじくこと」と彼は言った。ホアンは本の中で、父親の「最大限の苦痛を負わせるじっくりと考え抜かれた歪曲と慎重に選ばれた言葉」を呼び戻す。
また息子に対する相当のつらく当たる言葉もあった。ハンター・トンプソンは、「知恵おくれのくそったれ(waterhead bastard)」と呼んでしばしばホアンをののしった。実のところは決してむち打つことにはならなかったとはいえ、彼はたびたびむち打ちの罰で息子をおどした。そして彼が大人になるやいなや、大学からのトンプソンの手紙の一通による息子はゲイだと思うというメモの憶測ですら、彼を理解するのに父が苦労したことをトンプソンは明らかにする。「くそ、まったく、サンディがつくったにもほどがある」とそのメモは続いた。
徐々にホアンは、自分自身を遠ざけることで唯一父親の激情とカオスに耐えられることがわかった。彼の変質のキーは、「作家、戦士、知恵ある者として、わたしの父の大功徳はまあなんでもいいけど、日常生活で彼は全く無能な者、または当時の語彙で機能不全(dysfunctional)だった」との実状を知ることだった。徐々に、いくぶん父と息子は和解してどうにか関係を築き上げる、父がそうでない誰かさんであると期待するのを止めたからとホアン・トンプソンは想起する。
二人の関係は小さなやさしさの行為で各々がもう一方の不意を突くちょっとしたことに発展した:ホアンは1996年に愛していると父に伝えて彼の業績を「マジック」と呼ぶスピーチをした、友人にいばってそのスピーチを上映する癖があるハンターは、ぶっきらぼうに息子に「マジックについて自己を偽るな」と言う。
父親のとはまったく異なったシンプルな散文でホアン・トンプソンはすべてこの激動を記録した。「ハンターの執筆の模倣は常におもしろくありません」と彼は言った。「いかなる時にでもうまくいきません。」(ショーン・ペン、メモを取ってください。)
現在51歳のホアン・トンプソンは、妻と息子と共にコロラド州デンバーで暮らす。彼はITプロジェクトマネージャーとして健康保険会社で働く。人生について「非常にノーマルに見えます」と彼は述べた。「多くの点で非常にノーマルです。父さんは生まれつき生きる能力のなかった寿命。ただ彼にはできなかっただけ。」
ホアン・トンプソンが本を書くのに9年かかった、感情に屈服することなく正確に父を描写するのに骨折った。初めは父をもてはやした本を引き抜くくらいのことだった。「これが絶対に堕落した父さんや彼がしたひどいことについての話ではないと人々が理解することがわたしには本当に重要でした」とホアンは言った。「その側面において実際になんであれ特別なことがあるとは思いません。お父さんが有名じゃないだけで、おそらく多くの父と息子が同じ類の過程を経験します。」
とはいっても、彼が本に入れた詳細の中にはそれによってトンプソンがどぎまぎしたかもしれないと彼が思うものがある。トンプソンの人生の終焉に向かって、さまざまな病気を患う父を記録する、そのひとつは彼を失禁状態にする。父の一部の友人がこれに狼狽したと彼は私に話し、理由を理解した。「でも、本の中でそれについて話すことが本当に重要だと感じました、なぜなら、実際… からだがバラバラにこわれていたこと、それが自殺するという彼の決断の要因のひとつだったと思っているので。」
本の最後の章は自殺とトンプソンのその後の記念の催し、大砲によって彼の遺骨が空に発射された時の顛末を語る。この珍妙な仕掛けに数千ドルもかかり、これをジョニー・デップが支払った、そしてふさわしく、長く騒がしいパーティがあとに続いた。
まさにその通り、彼のライフスタイルを社会的因習から解放されることだとわかったから多くの人々が彼の父を敬慕したのを、もちろん、ホアン・トンプソンは十分承知している。
「人々は、終局の人生を送り、社会規範を無視する彼の勇気について話します」とホアンは言った。「それが人々が本当に反応を示す重要なもの、彼がそのように象徴として見られる束縛のない自由な状態なのだと思います。」もちろん、彼にとってハンター・S・トンプソンはまったくほかの驚くべき人だった。
http://www.theguardian.com/books/2016/jan/12/juan-thompson-book-hunter-s-thompson-stories-i-tell-myself?CMP=twt_gu
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