見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2021/08/28

カブールから撤退

 


写真は死んじゃったチャーリー・ワッツ

彼がステージ裏で踊ってる動画 見たことありますか

クールなイメージとは異なり 子どもみたいでかわいかった

報道組織はどんな状態でアフガンの同僚がカブールから逃げるのを助けたか


ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストのような報道の発表の場のために働いた人々の避難はペンタゴン(国防総省)からカタールまでに広がる世界的な救助活動のあとに起こった。

New York Times Aug. 19, 2021


何時間も彼らは容赦ない暑さのなか、子どもやスーツケース、ベビーカーを引っ張って空港のエプロンで待った、そして手に入らない自由への飛行を願った。料理人、庭師、通訳、運転手、ジャーナリストなど、あらゆる活動領域の200人以上のアフガニスタン人がカブール空港の滑走路に集まり、政府が衝撃的な速さで崩壊した国からの脱出を得ようとした。


タリバン戦闘員が混雑した空港に押し寄せたとき、集団(ニューヨーク・タイムズ、ウォールストリート・ジャーナル、ワシントン・ポストの地元従業員とその身内)は発砲を耳にした。彼らは急いで四散し、結局、だいじょうぶでなかった家に戻った。


この集団のかなりの仲間がアフガニスタンからの輸送を確保できるようになるまでに数日かかるだろう。アメリカのニュース編集室からペンタゴンの本部、カタールのドーハの王族の宮殿までに広がる世界的な救助活動のあとに起こった敵中からの脱出である。あらかじめ避難させられていたがアフガンの同僚を手伝うために軍用機に戻った元海兵隊員、タイムズの特派員は脱出の手はずを助けるために空港内にとどまった。


集団の苦しい体験は、アフガニスタンで先週を通して使い切った多くの試練のひとつだった。何年も西側のジャーナリストと共に働き、彼らの国の苦難について情報を世界に知らせてきた市民が、今ではタリバンの支配をうけて自分の身の安全と家族の身の安全を危ぶんだ。世界中の報道の発表の場が、このように容赦なく、このようにあっけなく展開するとは誰も予測しなかった状況から従業員を助けて脱出させるように高位の外交官と現場の交渉のまとめ役に呼びかけている。


近日アフガニスタンの状況が悪化したとき、タイムズ、ジャーナル、ポストの新聞社主は撤退行動に向かって団結した。警備員と編集者は朝の電話で情報を共有した。新聞社主はアフガンの同僚の輸送を助けて容易にさせるようバイデン政権に呼びかけ、結果としてホワイトハウス、ペンタゴン、国務省の当局者との話し合いが起こった。日曜までに局は閉鎖され、カブールの街路は大混乱が増していた。アメリカ軍、請負業者、警備隊が国を離れるにつれ、ニュース編集室の職員は現場の状況をだんだん確認できなくなった。一部のアフガン人従業員は、タリバン兵が一軒一軒やってきてアメリカの報道の発表の場と仕事していたとわかるジャーナリストを脅迫したり、誘拐したりすることを恐れた。


アメリカ軍はカブールの中心地からわずか数キロのところにあるハミド・カルザイ国際空港の一部を護り安全にしていたが、そこに達してターミナルへの進入路に進むことはほぼ不可能になった。


日曜、従業員とその身内を含む3紙に関係する200人以上の集団がアメリカ軍と接触を始められればと期待して空港エプロンに進んだ。彼らはそれどころか、保護を求める他の恐怖に怯えたアフガン人で大混乱の場面に出くわした。


ニューヨークとワシントンに戻り、新聞の指導者らはアフガニスタンに大使館のある国々の外交仲介者に援助を求め、従業員の安全な避難所と輸送に繋がりうる手がかりを入手しようと努めた。「失敗かまたはばらばらに壊れるか、いずれにしても多くの計画と多くの奮闘があった」とタイムズ誌のインターナショナル編集長の助手であるマイケル・スラックマン(Michael Slackman)は言った。「夜に計画を立てると2時間後には現場の状況が変わっている。」


話し合いの要点をかいつまんで話す3人によると、元国務長官のヒラリー・クリントンがチャーター便の数席をアフガン人従業員に提供したとき1つの選択肢が出てきた。ヒラリーのチームは危険にさらされているアフガンの女性たちを助けるためになんとかチャーター機を手配しようと動いていた。最後には従業員たちは飛び立たないことになった。


火曜日、ワシントン・ポストの13人(2人のアフガン人従業員とその家族、そして1人のアメリカ人特派員)は、「異なる活動領域(立場)で調整する多くの人々」の助けを借りて、カタール行きのアメリカ軍輸送機で飛び立つことができた。ポストの新聞社主フレッド・ライアンはアメリカの国家安全保障顧問ジェイク・サリバン(Jake Sullivan)に支援を求めてEメールを送っていた。


ウォール・ストリート・ジャーナルの3人の特派員は火曜日に国を離れていた、そして新聞は十数人のアフガン人従業員の避難に取り組み続けていた。木曜にスポークスマンは「3人には前向きな進展があり、わたしたちの同僚は安全な輸送に近づいている」と述べた。


アフガニスタンとアメリカ合衆国の双方と結び付きがある国、カタールの政府が支援に同意したとき、タイムズの128人の集団に突破口が訪れた。カタールはアメリカ軍基地の本拠であり、カブールに大使館もある上、タリバン指導者と交友関係がある。


ニューヨーク・タイムズの社主A.G. Sulzbergerは、カタール政府に対して新聞社は「深く感謝している」と述べた。カタール政府は「アフガン人の同僚とその家族が無事に来られることで計り知れぬほど貴重でした。」


「同僚の苦境に個人的な関心を持ってくれた多くのアメリカ政府高官と国からの脱出を助けてくれたカブールの軍人にも感謝している」とSulzberger氏は声明で述べた。「今もなおその国のなかで危険にさらされる多くの勇気あるアフガン人ジャーナリストのために国際社会が働き続ける必要性をわたしたちは強く主張します。」


ニュースの発表の場は、ある場合には雇用が数十年前にさかのぼるアフガン人の支援に集中するものとなる。中にはカブール外の都市に閉じ込められ、空港まで進むことができないかまたはタリバンの検問所を通過できないでいる人たちもいる。タリバン兵がさまざまなゲートを封鎖しているため、カブール空港自体は国外への飛行を求めるアフガン人が波のように殺到したままだ。


木曜は夜通し、タイムズの従業員とその身内が新たに空港に進もうと試みた。最初はタリバンの検問所であふれんばかりの群衆と警備員によって引き返したが、集団はついに出入り自由の進入通路を見つけた。


この集団はタイムズ紙の在外特派員Mujib MashalとThomas Gibbons-Neffの二人組みに手助けされた。Neff氏は元海兵隊員で最初はアメリカ人避難者の一巡目でカブールを出発していた。だが、彼は後に軍用機でカブールに戻ってアメリカ軍が占拠する空港のウイングにとどまり、そこで同僚たちにいつどのように取り掛かるかについて助言した。


「ワシントンとカブールの双方の国務省官僚は、記者、従業員、系列会社を安全に連れてくるための取り組みについてアメリカを拠点とするメディア組織と絶えず24時間体制で連絡を取り合っている」と木曜、国務省は声明のなかで述べた。「それはわたしたちの優先事項であり、わたしたちは今日のニュースを歓迎する」と。


ニュースの発表の場にとって次なる手段は不確かだ。カブールに残っている英語を話す特派員にとって今なお展開している記事(ニュース)を報道することはさらに危険が増していた。


木曜日にロサンゼルスタイムズの報道写真家Marcus Yamと別のアメリカのニュースの発表の場の写真家が、撮影したどんな画像もカメラから消去せよと迫ったタリバン戦闘員によって打ちのめされた。写真家は英語を話す戦闘員が彼らが西側メディアのために働くことを十分に理解して釈放するまで、20分間拘留された。


一部の放送ジャーナリストは今は装甲車の代わりに人目につかないタクシーを頼みにする。せんさくや不必要な注目を避けるほうがよい。タリバンが政権を手にしたあと、CNNのクラリッサ・ワードは街路でアフガン人と話し続けるために床まで届くアバヤに着替えた。CBSニュースのRoxana Saberiは公の場で自由にインタビューを行うことが難しくなりすぎたとしてズームに切り替えた。


遠く離れて報告するほうがまったく報告しないよりましかもしれないが、報道の権利を擁護する団体はタリバンの断固たる措置が国の内部でなにが起こっているかを知ることから世界を遠ざけると心配している。「地元のことを知っているアフガン人ジャーナリストの情報はとって替えられない」とジャーナリスト保護委員会事務局長のジョエル・サイモンは声明で語った。


ある通信社がアフガニスタンでスタッフを増やしている。カタールを拠点とする報道機関で24時間放送のTVネットワーク、アルジャジーラだ。


アルジャジーラの編集長モハメド・モアワド(Mohamed Moawad)は、今週、彼の特派員はアフガニスタンでほとんど制約なく動くことができ、ドーハや近隣諸国から移動する者を含め、さらに多くの記者を派遣したと述べた。


「今まさにアフガニスタンに集中させることは、タリバンが公開して率直に言った言質について彼らに責任を負わせることで、アフガニスタンの人々にとって生きるか死ぬかにかかわり、極めて重要である」と彼は言った。


だが、モアワド氏は、状況が悪化して彼らのアフガン人の同僚といっしょに外国のジャーナリストがもはや安全でないと感じるとき、アフガニスタンの世界的な報道は姿を消すかもしれないと懸念を表明した。「だいじょうぶ、きっと報道は続く、手段を講じないといけない」と彼は言った。


https://www.nytimes.com/2021/08/19/business/afghanistan-news.html