見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2022/09/25

ベルベット革命

 


ルー・リードが、チェコのヴァーツラフ・ハヴェル大統領と、今年3月に死去したマデリン・オルブライト元国務長官(チェコ移民)をニューヨークのビートの溜まり場だったライブハウス、Knitting Factoryに連れて行ったそうです!これって、hugeすごいと思いませんか



ヴァーツラフ・ハヴェル大統領とルー・リード


◇ルー・リードがいたから、私は大統領になった


ホワイトハウスがわたしのために晩餐会を開いてくれるのであれば、ぜひとも、友人のルー・リードも招いてホワイトハウスで彼の演奏を聴きたい…


そんなリクエストをアメリカの大統領にした人がいた。1989年から92年までチェコスロバキア大統領、93年から2003年までチェコ共和国初代大統領、そして劇作家でもあるヴァーツラフ・ハヴェルだ。


アメリカの当時の大統領はスキャンダル渦中のビル・クリントン。彼はハヴェルのリクエストを快諾。1998年9月、ホワイトハウスで催されたハヴェル大統領のための晩餐会でルー・リードの演奏が実現することになった。


1998年9月17日のワシントンポスト紙(記事のタイトルInternational Velvet)によると:

「昨晩、ホワイトハウスはスキャンダル(ホワイトハウスの実習生モニカ・ルインスキーとの大統領の不倫問題)以外のすごいことですばらしい時を過ごした。わたしたちは本物のロックンロールスター、ルー・リードと本物のロックンロールミュージックについて話している。クリントン夫妻はいつも通り元気で申し分ない。ファーストレディは招待客に大声で挨拶している。夫妻はたくさんの励ましの言葉を聞いた、とはいえ、両方のクリントンを抱きしめたのはスティービー・ワンダーだけだった。」


「劇作家から政治家になったハヴェルを称える晩餐会はたくさんの劇的な気晴らしを提供した。配役には、行政官やスタッフに加えて、女優ミア・ファロー、陽気なヘンリー・キッシンジャー、作家カート・ヴォネガット、モデルのPaulina Porizkovaやチェスの名人Lubomir Kavalekが含まれていた。」


「共産主義支配に反対する1989年のビロード革命で中心的な役割を果たしたこの反体制の人は、今年初めにチェコ大統領として二期目5年の任期を決めている。61歳のハヴェルはNATO加盟を獲得するためや他の安全保障問題で自国の取り組みの最前線に立っている。だが、これらの努力は健康状態の悪化によって妨げられてきた。彼は1996年後半に肺がんの手術を受けて以来、何度か入院、生命を脅かす肺炎から回復し、医師と看護師を伴っての今回のワシントン訪問となる。」


「彼の答として、ハヴェルは両国間の関係について語り、友人のマデリン・オルブライト国務長官をあげた、彼女は旧チェコスロバキアで生まれた。“ヨーロッパ問題について彼女のすぐれた感覚により、彼女はとりわけヨーロッパ大陸で非常に必要とされているアメリカの存在の引き受けになってくれている”と彼は述べた。その後、ハヴェルはクリントンに向き直り、彼にチェコ共和国の最高位の勲章であるホワイトライオン勲章を贈った。」


「しかしながら、本当に格別の喜びを与えるものはエンターテイメントだった。30年来のファンであるハヴェルの特別のリクエストでヴェルヴェット・アンダーグラウンドの創設メンバーであるルー・リードは招かれた。ハヴェルはチェコ国民とベルベット革命に影響を与えたと考えてルー・リードを評価している。昨夜、非常に壮大なイーストルーム(ホワイトハウス複合施設の建物である行政棟のイベントおよびレセプションルーム、行政棟で最大の部屋)の片隅でルー・リードは彼のいつもの不遜でぶっきらぶうなスタイルでヴェルヴェットの傑作のヒット曲を演奏した。35分のパフォーマンスの間、ゴア副大統領を除いて、聴衆は集中していたがトーンを落としているように思えた、ゴア副大統領の椅子は絶えず揺れていた。」


「最後に、笑顔のクリントン大統領が、“わたしがたったいま愉しんだようにあなたが愉しんでくれたなら、ハヴェル大統領をさすがと認めるべきです”と言った。」


「ルー・リードは威厳のある周囲の状態に動じなかった。“ぼくらはただのミュージシャンですから、たくさんの場所で演奏します”と彼は普通でない会場について言うと、彼のバンドはもうひとつの“ニューヨークのバンド”にすぎないと、からかうように注を付けた。

街は違えど同じいつものギグ。」


https://www.washingtonpost.com/wp-srv/style/daily/reedhavel0917.htm


△劇作家ハヴェルは、まだルー・リードがヴェルヴェット・アンダーグラウンドとして活動していた頃にアメリカに行き、彼らの音源をチェコに持ち帰った。ヴェルヴェットに影響されたバンドPlastic People of the Universeの活動が政府によって弾圧されると、言論の自由、信教の自由、集会・結社の自由、法の平等を求めてハヴェルたちが抗議、Charta 77(憲章77)を発表する。仲間の投獄や弾圧にもかかわらず、ハヴェルたちの活動は続き、ついに1989年にビロード革命となった。


△音楽と宗教を解放した「憲章77」

「憲章77」の運動そのものは警察の力によって封じ込められたが、社会の中のエネルギーを二つの分野で解放した。音楽と宗教だ。ジャズ、フォーク、ロックなどの音楽は社会的閉塞感のなかで爆発的な人気が高まっていたが、当局はそこに危険な破壊的エネルギーを嗅ぎとり、人気バンドのコンサートを禁止した。公認の音楽家協会の一部門であった「ジャズ部会」も演奏が禁止されたが活動を続けたため、86年にバンドリーダーのカレル=スルプ以下が有罪となった。これらの動きは民衆の反発を強めるだけだった。宗教面でも牧師たちの中に「憲章77」に共鳴して人権運動に加わるものが現れ、「地下教会」で伝道が続いた。(木戸蓊『激動の東欧史』1990 中公新書)


ハヴェルたちの思想的背景になったのが、ルー・リードの音楽だった。

「それが、1970年代を通して徐々に吹き出した反乱の火種に火をつけ、1980年代に燃え上がる、そしてビロード革命(Velvet Revolution)の輝かしい花火に至る。」(エコノミスト誌)

http://www.economist.com/blogs/easternapproaches/2013/10/lou-reed-and-v-clav-havel


大統領になったハヴェルは、チェコを訪れたルー・リードのインタビューを受け、その夜、ルーはプライベートライブを行う。その対話については、「ニューヨーク・ストーリー ルー・リード詩集」(河出書房新社)に収められている。

音楽的な背景をもった静かな革命/ヴァーツラフ・ハベル/ルー・リード


ルー・リードのインタビューに応えてハヴェルが語り出す。

「私たちのこの革命は他のすべての面とは別に音楽的な面をもっています。特に音楽的な背景を持つ革命」であると。

ハヴェル大統領はルー・リードに今夜クラブで演奏するのか?と尋ねる。 

ルーはその夜クラブに向かう。すでにチェコのバンドが演奏している。 

「わたしは突然、曲に聞き覚えがあることに気づいた。彼らはヴェルヴェット・アンダーグラウンドの歌を演奏していた。」

「一夜漬けの練習でできるものではなかった。」

「編曲、強調されたライン、間の取り方、まるで時間を遡って自分自身の演奏を聞きに戻ったような感じだった。」

そしてルーはプレイして、彼らとのセッションを堪能する。

演奏が終わると、大勢の人たちがルーのもとにやってくる。

「私の曲を演奏して刑務所に入っていた者もいた。刑務所に入っていた時、自分を勇気づけ慰めるために私の歌詞を暗唱していたと大勢が言った。なかには、私が15年前に書いたエッセイの中の一行“誰もが音楽のために死ぬべきだ”を覚えている者もいた。それは私にはとてつもない夢で、私の最も遠大な期待をはるかに越えるものだった。」


◇ヴェルヴェット・アンダーグラウンドからベルベット革命(Velvet Revolution)へ

2013年10月27日に75歳で亡くなったミュージシャン、ルーリードは共産主義の打倒に貢献した

エコノミスト誌 Oct 30th 2013

https://www.economist.com/eastern-approaches/2013/10/30/from-velvet-underground-to-velvet-revolution