見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2023/02/04

He Was Tom Verlaine

 


  • パティ・スミスがInstagramに書いています
  • 70年代の彼女とヴァーレインの写真を挙げて
  •    “これは、すべてが可能に思えた瞬間。
  •      さよなら、トム、オメガの上空に。”
  • NYパンク、CBGBの音楽シーンを象徴するバンド、テレヴィジョンのトム・ヴァーレインが1月28日に亡くなりました
  • パティ・スミスの娘、ジェシーがローリングストーン誌にトムが亡くなったことを認めたとあります

   パティ・スミスはトム・ヴァーレインのギターの音を「千羽の青い鳥の鳴き声」と書きました


◇He Was Tom Verlaine

ニューヨーカー誌 January 30, 2023 by Patti Smith


一滴の水を、ともかくも音楽を生む詩に変えてしまう、子どもの才能を所有した友人のことをパティ・スミスは忘れずにいる。



彼は錆びた流しにぽたりぽたりと落ちる水の音で目が覚めた。下の通りは中世の月明かりにまんべんなく覆われ、静寂を響かせる。夜が中国のすだれのように広がるとき、彼は美の恐怖と格闘しながら横たわっていた。
“マーキームーン”の歌詞とメロディーが、一滴一滴、一音符一音符、静かながら不吉な興奮状態から生まれたとき、一瞬よぎるエイリアンと天使の動きに釘付けになり、彼は身震いしながら横たわっていた。彼はトム・ヴァーレイン、そして絶妙な鋭い苦痛、それが彼のプロセスだった。


トーマス・ジョセフ・ミラーとして生まれ、デラウェア州ウィルミントンで育った彼は親の家を出て名前を捨てた。ハイスクールではサックスを吹き、ジョン・コルトレーンとアルバート・アイラーを喜んで受け入れた。彼はホッケーもやり、飛んできたパックが前歯を折ったときサックスをしまってエレキギターに専念するしかなくなった。


彼はわたしが育ったところから28分のところに住んでいた。わたしたちはそれぞれフランス象徴主義者の詩の本を抱え、どこか田舎の直線コースで会っていてもおかしくなかった。でも、セントマークスの教会の向かい東10丁目(イースト10thストリート)で彼が立ち止まってわたしに「きみはスミスだね」と言った1973年までふたりは出会わなかった。彼は長髪で、わたしたちは互いに認め合った、どちらも未来を反響させていて、もう着ていない服を着ていた。わたしは彼の長い腕とそれと同じくらい長くて美しい手に気づいた、そうしてわたしたちは別々の道を行った。それは1974年4月14日イースターの夜までだった。レニー・ケイとわたしは、“Ladies and Gentlemen: The Rolling Stones”の初演を見たあと、Ziegfeld Theatreからタクシーでバワリーに向かった、“テレヴィジョン”という新しいバンドを見るために。


そのクラブはCBGBだった。ほんの一握りの人がいるだけだったが、レニーとわたしはビリヤード台と狭いバーと低いステージのあるそこがすぐに好きになった。その夜わたしたちが見たものは類似しているわたしたちの未来であり、詩とロックンロールの完ぺきな融合だった。トムの演奏を見て、わたしが男の子だったら彼になっていただろうと思った。


テレヴィジョンが演奏する時はいつでも見に行った。ほとんどはペールブルーの目と白鳥のような首をしたトムを見るために。彼は頭を下げて彼のジャズマスターを握っている。ギターをしめころすことを除いて、すべてが彼の長い指を通して変容する。


次の数週間でわたしたちは近づいていった。街の通りを歩きながら進行中の物語、ふたりの“アラビアンナイト”を即興で作る。ふたりとも、アルメニア系アメリカ人作曲家Alan Hovhanessの曲が大好きで、お気に入りは“Prayer of St. Gregory(聖グレゴリーの祈り)”であることに気づいた。お互いの本棚を吟味すると、なかなか見つけにくい作家の本であっても、ほとんど同じ本であることがわかって驚いた。Cossery、Hedayat、Tutuola、Mrabet。わたしたちはどちらもインディペンデントな文学の探索バチだった、そしてふたりの秘密の情報源を共有するようになった。


彼は詩をむさぼり読み、ダークチョコレートでおおわれたEntenmannのドーナツをむさぼり食い、コーヒーとタバコをのみほした。時々、彼は夢見るようで遠く離れているように見えると同時に突然、笑い声をあげた。彼は天使のようでありながら少し悪魔的で修道士の優雅さを備えたマンガのキャラクターだった。当時、わたしは彼とつきあい、彼を熟知していた。わたしたちは手をつないでFlying Saucer Newsの棚を何時間も眺めて過ごし、48丁目に行ったり、彼には絶対に買えないギターを眺めた、CBGBでの3セット後にスタッテン・アイランド・フェリーに乗り、東11丁目のアパートの踊り場までの階段6段を上る、マットレスに一緒に横たわり天井を眺めながら雨の音を聞いたり、なにか別の音を聞いていた。


トムのような人はいなかった。彼は一滴の水を、ともかくも音楽を生む詩に変えてしまう子どもの才能を所有した。最後の日々、彼には献身的な友人たちの無私の支えがあった。子どもがいなかった彼は、わたしの娘ジェシーと息子ジャクソンから受けた愛を喜んで受け取った。


最後の数時間、眠る彼をじっと見守りながら、わたしは時間を遡った。わたしたちはアパートにいて、彼がわたしの髪を切っている、髪の毛があっちこっちにつきだして、彼はわたしのことをWingheadと呼んだ。あとに続く数年間はただWingのみ。年をとっても、いつでも永遠にWing。そして、決して大人らしくふるまわない少年の彼は、鮮やかな紫の光の中のゴールデン・フィラメント、オメガの上空にいる。♦


Published in the print edition of the February 13 & 20, 2023, issue.

https://www.newyorker.com/magazine/2023/02/13/he-was-tom-verlaine