見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2023/08/04

勇敢なシンニード・オコナー

 



7月26日、ダブリン生まれのシンガーで勇敢な闘士でもあったシンニード・オコナーが亡くなった 彼女は56歳だった

ポーグスのシェイン・マガウアンは寂しくなっちゃうね

ふたりでクリスマスソングを歌って笑っていたのが忘れられない

シンニードはサンタクロースのコスチュームだった

Twitterで愛してると書いていた、気落ちして後追いしないといいけれど


画像はアカデミー・ダブリン


▽下記はヴォーグ誌の記事より

1990年にリリースされたセカンドアルバムにはプリンス作詞作曲のシングル「Nothing Compares 2 U」が収録されている。この曲は世界中を虜にし、「別世界のような声とバスカット、パンクなエネルギーを持ち、怒りと大きな瞳の無邪気さにあふれた若きアイルランドのスター」として賞賛された。その後のアルバム『Am I Not Your Girl?』(1992)と『Universal Mother』(1994)は、ともにイギリスでゴールド・ディスクを獲得した。

1992年、彼女はアメリカのテレビ番組「サタデー・ナイト・ライブ」でカトリック教会内で起こった児童への性的虐待事件に対する抗議の一環として、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の写真を破り捨てた。その後、突然の失脚を余儀なくされ、イギリスのマスコミからのバッシングは特に残酷なものがあった。2021年に出版されベストセラーとなった回顧録『Remeberings』の中で彼女は当時のことをこう振り返っている。「No.1レコードを手にしたことが私のキャリアを狂わせ、ローマ法王の写真を破いたことが私を正しい道に戻してくれた 」と。


その後の30年間、彼女は音楽をリリースし続け、さまざまなタイミングで多様なアーティストとコラボレーションしてきた。2005年のアルバム『Collaborations』にはマッシヴ・アタック、ピーター・ガブリエル、U2、モービーなどのアーティストが参加している。


2021年、音楽業界から引退するとツイッターで発表した。その理由として、BBCの『Women's Hour』でのインタビューで、自分にとって辛いことについて話すよう求められ、不当な扱いを受けたと感じたことを公表。そのときは2022年のツアー日程はそのままとしていたが、息子のシェーンを2022年1月に自殺で亡くし、彼女はツアーをキャンセルした。オコナー自身、メンタルヘルスの不調に苦しみ、精神科病院への入退院を数年間繰り返していたという。


オコナーが巻き起こした論争の多くにようやく社会が追いつき、今は別の観点から見ることができる。例えばカトリック教会での性的虐待事件が広く認知されるようになった現在、ローマ法王を巻き込んだ彼女の抗議はかつてほど非難の対象ではなくなった。彼女は先駆者であり、若い女性アーティストが社会的に議論が必要なことへの認知度を上げる真価を示した。


昨年、オコナーの半生を描いたドキュメンタリー映画『Nothing Compares』(2022)の監督キャサリン・ファーガソンのインタビューで、作家のテイラー・アントリムはこう綴っている。

「1970年代から80年代のアイルランドは、特に女性にとって厳しい場所でした。この映画では、オコナーが人生をかけて向き合ってきたテーマであるカトリック教会における児童虐待と人種的正義について、大胆かつ怒りを込めて語っています。今ならオコナーの言動は崇拝されるだろうという説得力のあるフェミニズムの主張で締めくくられています」


精神的に不安定な状態にあっても、彼女は常に一種の感情的な正直さがあり、それを世界に表現することを厭わなかった。

「私はポップスターではない。私は時々マイクに向かって叫ぶ必要のある、悩める魂にすぎない」そう回顧録に綴った。


https://www.vogue.co.jp/article/sinead-connor-obituary


▽ダブリン市民を代表してダブリン市議会は、「あなたとは比較にならない」とあるタラップを流し続けた



イスラエルの国家安全保障大臣イタマル・ベン・グヴィルがシンニード・オコナーに対して殺すぞ!と脅したそうだ、クソ!信じられない


画像には次のようにある

『殺すぞと脅されたあと、シンニード・オコナーがイスラエル国家安全保障大臣(極右政党ユダヤの力の党首)イタマル・ベン・グヴィルに彼のソウルは死に絶えたと告げる

イスラム教に改宗したアイルランドのシンガーは、極右政党から殺すぞと脅されたあと、党首である現国家安全保障大臣イタマル・ベン・グヴィルに書いた。』


▽パレスチナ・クロニクルの記事

“パレスチナ人にはただ共感するばかり”:シンニード・オコナーが56歳で死去

July 26, 2023


1990年にリリースされたシングル「Nothing Compares 2 U」で最もよく知られたオコナーは、ずばずばものを言う政治活動家としても知られた。アイルランドを象徴するシンニード・オコナーが7月26日水曜日、56歳で死去した。


“パレスチナ人への共感”

ガザ地区でのイスラエルの残虐な戦争からわずか数ヶ月後の2014年9月、グラミー賞を受賞したオコナーはテルアビブとハイファの中間に位置するカイサリアでのコンサートをキャンセルした。

当時、オコナーは彼女のスタンスを説明するためにホットプレスに次のように語った:

「わたし自身を含め、正気の人間ならパレスチナ人の窮状にただ共感するばかりだろう。」

「f**k(クソ)イスラエル当局がやっていることにとにかく制裁規定を設ける正気の人間が地球上にひとりもいない」と付け加えた。


Baroud:彼女は多くのパレスチナ人にとって象徴だった


「シンニード・オコナーはアイルランド人にとって象徴だったのみならず、多くのパレスチナ人にとっても象徴でした」とパレスチナ人ジャーナリストでパレスチナ・クロニクル紙の編集者、Ramzy Baroudは語った。

「この驚くべきアーティストに対するわたしたちの愛と感謝は、彼女がパレスチナにとった理に適ったスタンスのためのみならず、多くの点で彼女の個人的な苦しい闘いがパレスチナ人の集団的な苦闘を反映しているからです」とBaroudは付け加えた。

「オコナーは彼女の人生の多くの悲劇にもかかわらず健闘した。わたしたちは彼女の突然の死を悲しんでいるが、彼女が信念のある人で、あらゆる面で勇気のある人だったという事実に慰められてもいる。」

シンニード・オコナーは2018年にイスラム教に改宗し、名前をShuhadaに変えた。

オコナーは1年後、イギリスのTV番組グッドモーニング・ブリテンで、「わたしは生涯イスラム教徒でしたが、そのことに気づいていなかった」と説明した。

https://www.palestinechronicle.com/nothing-but-sympathy-for-the-palestinians-sinead-oconnor-dies-at-age-56/