見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2023/07/17

さよなら“ジェーンB”

 今朝飛び込んできたニュース

AFP通信によると、7月16日、闘病を続けていたジェーン・バーキンがパリの自宅で逝去した。76歳でした。


わたしにとってジェーン・バーキンはセルジュ・ゲンズブールと切り離しては考えられない存在です。とにかくキュートで、当時のlove&peace的なヒッピー文化の流行の先端を行くファッション・アイコンでした。


初来日した時にも、お気に入りの(なんでもかんでも放り込んである)籐のカゴを持っていました。それがエルメスのバッグ“バーキン”に生まれ変わるわけなんですが、そういう風を飄々と起こしていく人でした。


わたしが最初にジェーンを銀幕で知るのは1969年の「カトマンズの恋人」です。監督アンドレ・カイヤット、音楽はもちろんセルジュです。

1968年パリ五月革命の挫折感から父を訪ねてカトマンズへ向かう主役の青年が「地獄に墜ちた勇者ども」のルノー・ベルレー。ジェーンは愛と自由の化身、花飾りの似合うヒッピー娘役でした。


彼女の女優としてのデビュー作は端役でしたが1964年の映画「ナック」、そのとき18歳だったジェーンは音楽担当のジョン・バリーと最初の結婚をします。そして出演した1967年のミケランジェロ・アントニオーニの「欲望Blowup」がカンヌのパルムドールを受賞しました。

映画「欲望」には、ヤードバーズがライブハウスのシーンで「ストロール・オン」を演奏する奇跡のようなシーンがあり、ロック・ファンにはジェフ・ベックとジミー・ペイジがツイン・リードとしてバンドに参加していた時代の貴重な映像としても知られています。

また、1969年のアラン・ドロンとロミー・シュナイダーの共演でよく知られる「太陽が知っている」にペネロープ役で出演しました。



上の画像は、
盗まれたお金を盗むのは犯罪じゃない」という考えをもとに泥棒から泥棒する計画を立てるおしゃれな4人組の女の子の映画、1973年の「マドモアゼル a Go Go」(初公開時の邦題は『女の望遠鏡』)。

事実婚中のジェーン・バーキンとセルジュ・ゲンズブールの共演作です。


ジェーン・バーキンは、2011年東日本大震災が起きてすぐの時期、4月6日に来日し、震災支援のチャリティーコンサートを行いました。当時、東京都が運営していた避難者支援施設に彼女が現れて腰を丸めて人々に声を掛け慰めて廻っていたと、たまたまそこで受付業務をしていた都庁に勤める知り合いが後に教えてくれました。ジェーンのことを知らない人には思いやりのあるやさしいおばあさんに映ったようです。また、コンサート当日は直前まで渋谷の街頭で募金活動を行っていたとのことです。


彼女はシャルロット・ゲンズブールの母としてもよく知られています。

2023年、シャルロットは『ジェーンとシャルロット』というドキュメンタリー作品で監督デビューします。娘として母ジェーンを撮っています。


最後に、絶対に忘れられない映画、セルジュ・ゲンズブールの『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ

2021年5月29日にこれの4K完全無修正版が公開されています。

ショートカットのジェーンがそれはキュートでした。彼女のそばにはブルテリアがいます。ジェーンは実生活でも犬といっしょでした。

わたしの宝物、2003年のELEEのページを紹介します。ジェーンは当時イングリッシュブルを飼っていました。名前はDoraです。





それとセルジュのこと、

1985年9月、わたしはパリにいました。セルジュがカジノ・ド・パリでコンサートをやるというのでモンパルナスのフナックへ行きました、でも一カ月続くコンサートのチケットはすべてソールドアウト。発売から四日間で売り切れたそうです。57歳のゲンズブールはパリではポップスターと呼ばれています。仕方なくカジノ・ド・パリに写真を撮りに行くと楽屋口の扉が開いていて、そこにいた青年が「明日の9時にここのボックスオフィスが開くから来てみれば」と言って追加公演のことを教えてくれました。翌日、すごくいい席を手に入れることができました、しかも140フランで。しかし、公演はひと月先です。じゃー、ひと月、北アフリカのタンジールで過ごそう!そう決意した時です。目の前の坂道をすたこらアタッシュケースを手に持ってやってくる男がいます。セルジュ・ゲンズブールではありませんか!わたしはあなたの「Hugeファン」だと、思わず飛び出していました。セルジュとの握手はこれっきりです。