見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2023/09/12

映画のチカラ「福田村事件」

 


森達也監督の映画『福田村事件』見てきました

いつもがらがらに空いている小田原の映画館が「えっ!」って感じに埋まってます うれしいですね 

クラウドファンディングで砂粒くらいでもこの映画に関わりたかった

9月11日、水道橋博士が「やった!!良かった!!」とTweetしていますよ


先週43館3日間で動員1万7000人、興収2300万円、各地で連続満席と文化通信9月5日号で伝える。
上映は100館に拡大。この土日も大入り。

100年後の今も政府はタブー視する虐殺事件、メディアの取り上げ方を含め社会現象に。
まさに映画のチカラ。(JapanDocs@jdocs 9月10日)

https://www.fukudamura1923.jp/



@MintPressNewsのライター、Alan MacleodがTweetしている:

50年前の1973年9月11日、民主的に選ばれたチリの社会主義の大統領サルヴァドール・アジェンデがアメリカの支援を受けたファシストの軍事クーデターによって打倒され、数十年にわたる暗闇の到来を告げる。


ラジオで生中継されたアジェンデの世界に向けた恐ろしくもすばらしい最後の言葉は次の通り:

https://twitter.com/AlanRMacLeod/status/1700954026307649610


わたしはドキュメンタリー映画監督パブロ・ナヴァレッテ(Pablo Navarrete)と制作している映画『Britain and the Other 9/11』を予告することに躍起になっている。


映画は、サルヴァドール・アジェンデに対抗するイギリス政府の秘密のキャンペーンと、続いて起こるチリのアウグスト・ピノチェット政権への支援に関するものだ。


サルヴァドール・アジェンデ政権下のチリでの生活はどのようなものだったか?


『Los trabajadores no participan en el gobierno, son el gobierno』は世界中の人々に影響を与えた社会主義のUnidad Popularプロジェクトの様々な側面に焦点を当てている1973年のオランダ語とスペイン語の映画。映画は公平な社会を求める苦しい闘争の中でチリの労働者、カンペシーノ(農民)、アーティスト、近隣住民、学生、若者がどのように団結したかを示している。


50年前の9月11日に起こったことについて恐怖を示す代わりに、彼らが奪ったものを披露する場で効果的に対抗し、このピュアな変革の時代に存在したものを公開して記念しよう。

#50AñosDelGolpe #50AnosdelGolpedeEstado



9月10日の東京新聞で見つけた記事より

「権力のメディア支配どこまで」『ラジオと戦争』著者の元NHKディレクター大森淳朗が問う

https://tokyo-np.co.jp/article/276390


「権力がメディアを支配しようとすればどこまでやるのか。そして、メディアはどこまで腐り果てていくのか。戦時ラジオ放送は私たちに教えている」


著書の最後、大森さんはそう締めくくった。8章立てで、NHK放送博物館などに残る資料や当時を知る関係者の証言を基に往時のラジオ放送を検証。


「放送の公共性とは何か」との問いに向き合った。

「自分の足元である当時の日本放送協会が、国民を戦争に動員するためどれほど大きな力を発揮したか、ずっと頭の片隅にあった」


ラジオ放送が始まったのは1925年。翌年にNHK前身、社団法人日本放送協会が設立された。「当初は自由があった」と大森さん。軍備費増強を批判し、女性の権利も訴えた。

しかし31年の満州事変、37年の日中戦争、41年の太平洋戦争と、段階を踏んで軍・政府の締め付けが厳しくなる。「気付いたら後戻り不能」になったという。


教養番組のトップ2人はかつて「時代の空気にあらがうように戦争を憎む詩を書き、あるいは平和建設を訴える論陣を張っていた」が、太平洋戦争中に「国民を一つの思想のもとに結束させて戦争に動員することを自らの使命として語っていた。」別の職員は「国民を国策に導くことに全力を傾注する『放送人』にいつのまにか変貌していた」大森さんは著書でそう記す。


「あの時代にいたらきっと一生懸命、人々を戦争に動員するのに役立つような番組を作っていたと思わざるを得ない。当時の才能豊かな先輩たちでも、御用化していく組織の中で、いつのまにか気付かぬうちに変わった。自分がそうならない自信はない」


そして、こう戒める。

「気付いたら後戻りできないところにいるのではもう遅い。自分の立ち位置にいつも敏感であるべきだ」