しだれ桜のアティチュード
新幹線に乗るときに、「長崎市長が遊説先から戻ったところで撃たれた、心拍停止状態」だというニュースを知った。こういう暴力には無抵抗に押しつぶされるので、旅に出る矢先に知ったことが悔やまれた。特に今回のことが思想的背景の事件でなしに単なる逆恨みだと伝えられたときには、心なき暴力に対する怒りをとっくに通り越し、なんでもいいから人間(世界)はもう終わってほしいという絶望的な思いに駆られた。
そんな出だしで行った京都で、中年の修学旅行みたいなまちめぐりをしていたところ、思いのほか美しかった金閣寺の門前にこういうものを見つけて、少しだけ心が和らいだ。
五用心(五戒):その一、「生命(いのち)あるものを、ことさらに殺さざるべし」
個人でも、国の政策としても、人間はいのちあるものをことさらに殺すことをし続けてきている。
アメリカという国でまたひとつ銃乱射事件が発生した。これが銃規制につながるかと言うと、そうでもなさそうなのがなんとも不思議。逆にこういうご時世だからこそ、銃を持つ権利を守らねば!みたいな風潮にあるようなのだ。
今回の事件の現場ヴァージニア工科大において、もし銃の携行が許されていたなら、ここまで殺される前に犯人を阻止する(ぶち殺す)ことができただろうに、といった論調が現に堂々としてある。
アメリカ合衆国ではその数2億もの銃が市民の手に握られており、イラクで戦死した米国人の約10倍の数の、3万人を超える人々が毎年銃で殺されてきている。
昔(1966年)90分で15人を射殺したチャールズ・ホイットマンなる人物がいた。この犯行はもちろんアメリカ社会に大きなショックを与えたものだったが、その後のカウンターカルチャー全般に結びつく「現代生活者の得体の知れない怒り」を表す最大の事件ともなり、いろいろなアーティストに霊感を吹き込んだと言われてきている。当時、銃で殺される人の数は年間1万7000人程度だった。タイムズ紙は、チャールズ・ホイットマンのような凶暴な銃撃事件を評して次のように書いている。
「動機がどうであれ、いかなる品行も精神状態も問われることなくあらゆる種類の銃が入手できるという現実が、事件を起きやすくしているのは明白であろう。」
40年後、フォックスTV ではトークショーのゲス野郎が、銃を持つ権利が認められてない日本にあっても長崎市長が銃撃されるということが起きるのだから、たとえ規制をしても撃つやつは撃つ、というようなことを言っている。
写真は、毎年この時期に必ず行っていた沖縄のデイゴです。大好きな樹と花ですが、今年は京都に行くことにしたので見ることができません。代わりに、しだれ桜をたくさん見ました。その姿がなんとも低姿勢でやさしいんです。写真はクリックすると拡大版で見ることができます。
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