見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの、見つけたとき、 それを作品にしたり、思わずなにかの形にして、人に 伝えたくなります。 見つけたとき感じた、しあわせ感覚が、ひとしずくでも 誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

October 14, 2007

隣国シリアが国境閉鎖


他に生きのびる手だてがなく重い決断の末にイラクの人々は隣国シリアにたどり着く。シリアではこうした難民が200万人を超えた。最後の生きのびる道だったところが、今月から国境を閉鎖した。では、どこへ向かえばいいのか。この地獄のような状態を生んだ米国の戦争マシーンは、なんだってこの時期にシリアを刺激する行為に出るのか。

◇イラクの治安悪化で家を追われた200万人もの難民を抱える隣国シリアが、今月から国境を閉鎖し、イラク人に対する入国ビザ制限を始めた。背景には、シリアと米国との不協和音がある。故郷に戻れず、第三国への移住もままならないイラク難民たちは、「悪夢」を引きずったまま隣国で絶望の日々を過ごしている。
倉庫のような受付場所に、イラク人家族らの行列ができていた。ダマスカス郊外にある国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の難民登録センター。受付とは別に、長い廊下が30のブースに仕切られている。難民認定のための面接場所だ。
しかし、受け付けから面接までたどり着くには平均で半年待ちだ。難民登録までにビザが切れると不法滞在になる。就労はできない。イラクから持ち込んだ貯金を取り崩している人が大半だ。
そんな中、シリア政府は今月から、イラク人に対する入国ビザを商用目的などに制限し、国境を閉鎖した。ビラール情報相は「イラク難民受け入れで年間10億ドルもの負担をシリアは強いられている。軍事力でイラクを占領しながら、その結果追い出された人たちには何ら支援をしない米国へのメッセージだ」と語る。
バグダッドとダマスカスを行き来する乗り合いバスのイラク人運転手らによると、ビザ制限開始のうわさが広まった先月下旬には、通常の10倍にあたる1日約2万人が国境を越えてシリアに駆け込んだ。制限措置が始まった今月1日以降は、客のいないバスを運転している状態だという。
一方、ダマスカス周辺にはイラク難民たちが集まる「街」が出現している。最大規模の約70万人が暮らすとされるセイダ・ザイナブ地区のイスラム教徒女性アハラムさんは2年前まで、バグダッドの米政府関連事務所で英訳作業などに従事していた。通勤途中に武装勢力に拉致され、8日間監禁されたのを機に家族とともにイラクを脱出。ダマスカスで難民認定を受けた後、米国への移住を申請している。
しかし、管轄する米国土安全保障省からは「最終決定まで、どれくらい時間がかかるか分からない」と告げる紙切れが来ただけだ。
外交筋によると、シリアを「テロ支援国家」と名指しする米国とシリアとの不協和音が、米国への移住を希望するイラク難民の状況にも影を落としている。イラク難民と面接をする米政府担当者にシリア政府が入国ビザを発給しないため、手続きが進まないという。
UNHCRによると、イラクの人口の7分の1にあたる400万人以上が家を追われた。シリアには最大の150万〜200万人が滞在する。それに次ぐ50万〜75万人を受け入れるヨルダンはすでに入国制限を実施。
米国は今年初め、9月末までに7000人のイラク難民を受け入れると発表。その後、目標を2000人に下方修正した。米メディアによると、実際に受け入れたのは約900人にとどまっている。
(朝日新聞2007年10月14日)

ところで、イラクからとびきり新鮮でユニークな視点の情報を発信してくれていたブログ「バグダッドバーニング」の仮称リバーベンドの一家が9月にやはり重い決断の末に「わが心の故郷」を離れ、たどり着いた先がシリアでした。
以下、9月6日の彼女から届いた最も新しいブログから抜粋します。

◇国境を越えて最後のイラク国旗を見たとき、涙がまた流れてきた。国境を越える間、運転手が私たちに話していた彼が経験した突飛な行為の顛末のむだぐちを除いてクルマは寡黙だった。おまけに隣に座っている母をこっそり見ると涙が流れていた。私たちがイラクを離れるとき言うべきことはまったくなかった。私はしゃくり上げたかったけど、赤ちゃんみたいに思われたくなかった。過去4年半の間、地獄のような身の毛もよだつところだったものから出るチャンスに私が感謝を表さないと運転手に思われたくなかった。
シリア国境もほとんど同等に群れをなしていたが、雰囲気はイラク側よりずっとリラックスしていた。人々はクルマから出て手足を伸ばしていた。ある人たちは知り合いに気づいて互いに手を振った、またある人たちはクルマの窓越しにいたましい顛末やコメントを伝えた。最も重みがあるのは、私たち全員が同等だったことだ。スンニ派とシーア派、アラブ人とクルド人..... シリアの国境職員の前では私たちはみな等しかった。
金持ちも貧乏人も、私たちはみな難民だった。そして難民はみな同じように見えた。ほっとした安堵に悲しみが混じりどことなく不安げ、どの顔にも独特の表情があることに気づくはずだ。どの顔もほとんど同じに見える。
国境を越えて最初の数分は感極まって圧倒された。抗しがたい安堵と抗しがたい悲しみ..... たった数キロの範囲、たぶん20分くらいなのに、どうして死から生の分離がこれほど確固としているんだろう?
どうして誰も見たり触れたりできない国境がクルマ爆弾や民兵や死の部隊と平和や安全のあいだにあるんだろう?今でも信じがたいことだ。ここに座ってこれを書きながら、どうして爆弾の破裂する音が聞こえないのかしらと思う。
飛行機が頭上を通過するとき窓がガタガタいわないのはどうしてかしらと思う。黒い服の武装した人たちがドアを突破して私たちの生活に侵入する確率から、なんとか脱しようとやってみている。道路封鎖や不法逮捕やムクタダの肖像画や他の諸々.... のない通りに、自分の目を慣れさせようとやってみている。
ちょっと走った先にこのすべてが存在するというのはどうしてなんだろう?
(イラク人女性リバーベンドのブログ「バグダッドバーニング」より)

写真は、イラクの次にイランと表示されることになるのかどうか?オルタネットにあったバナーです(http://www.alternet.org/)

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