見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2008/02/19

クジラ問題は日本の「環境」問題


今日の朝刊の「鯨肉 さばけぬ悩み」というのが気になった。商業捕鯨が中止になって20年になるのに、なんたって日本のクジラ肉の在庫が「普通の企業ではありえない」6000トンまで増加しているというのだから。なんで? 政府が調査捕鯨を拡大したからだ。国策販売会社は赤字続き、国民になんとか食べてもらおうと農水省管轄でクジラ料理講習会などを開催して盛んにアピールをかけているというのだ。これっておかしくない?
水産庁捕鯨班と日本鯨類研究所が後押しする「合同会社 鯨食ラボ」のサイトを見ると、「鯨ルネッサンス 鯨肉の価値の再構築を実現します」と威勢がいい。日本鯨類研究所(鯨研)は、世界で批判くらってる調査捕鯨を行う財団法人だ。2月2日の朝日新聞によると、この実働部隊も懐はピンチ。国から無利子で借りていた36億円の運転資金のうち10億円が返せなかった。鯨研は05〜06年に、クジラの生態系調査を強化する名目で、南極海での捕鯨頭数を440頭から850頭に増やした。
以下、専門家の意見から抜粋ーー。

◇調査捕鯨をめぐり反捕鯨活動家の拘束事件が南極海で起きた。日本はここ数年、調査捕鯨を急拡大。国際会合では多数派工作を進めてきた。問題に出口はあるのか。
日本の調査捕鯨をめぐる南極海での緊張が、これまでになく高まっている。
1月15日、環境保護団体「シー・シェパード・コンサベーション・ソサエティ」(本部米国)の2人のメンバーがメッセージを伝えるため航行中の日本の目視採集船「第2勇新丸」に乗り込み、日本側はこれを拘束した。
シー・シェパードは国際環境保護団体「グリーンピース」(本部オランダ)の創設メンバーだったポール・ワトソン氏が1977年に組織した。過激な行動で知られ、アイスランドなどの捕鯨船を沈没させたこともある。シー・シェパードにしろ、グリーンピースにしろ、日本側関係者は彼らを「環境テロリスト」とあしざまに呼び、放水による排除活動を行うようになっている。
実は政府間でも調査捕鯨をめぐる駆け引きは昨秋以降にわかに慌しさを増している。発火点はオーストラリアでの政権交代だ。昨年11月の総選挙で勝利した労働党政権が掲げる重要公約の一つが「反捕鯨」。12月19日には外務・環境の両大臣が会見を開き、日本の違法行為の有無を監視するため税関巡視船を派遣することなど行動計画を公表した。(つい先頃、この税関巡視船が撮影した写真が海外のメディアで取り上げられ、大きな衝撃を与えた)
このなかで一つの焦点として浮上したのが「ザトウクジラ問題」だった。日本は今年から新たに大型種であるザトウクジラ50頭を捕獲する計画を立てていた。だがホエールウォッチングの対象となることの多いザトウクジラはオーストラリア国民にとって特別な存在だ。それもあって、同国での反捕鯨キャンペーンは過去最大のものとなった。
12月11日、議長国の米国がひとつの提案を示した。機能不全に陥るIWC(国際捕鯨委員会)の正常化と引き換えに、ザトウクジラ捕獲を見合わせろというのだ。日本政府はこれを受け入れ、21日異例なことに官房長官がこれを発表した。 
日本の譲歩には、オーストラリアでの反捕鯨熱を沈静化させる狙いもあったが、新政権はその後も「調査捕鯨は無意味かつ残虐な行い」との主張を前面に出し、反捕鯨外交の手を緩めようとしていない。
日本の調査捕鯨への国際的関心が高まっている背景には、その規模が年々拡大していることがある。
そもそも調査捕鯨とは何か。IWCは1982年、乱獲による資源量の激減や環境保護運動の高まりを受け、商業捕鯨のモラトリアム(一時停止)を採択した。そこで日本が87年末から始めたのが調査捕鯨だ。国際捕鯨取締条約は、IWC加盟国が自身の判断で資源量や生態を調査する目的でクジラを捕獲することを認めている。「IWCでの承認手続きは必要なく、他国からとやかく言われる筋合いのものではない」と水産庁捕鯨班は合法性を強調する。「殺さなくても調査はできる」と反捕鯨派の批判は根強いが、年齢や胃の内容物などを知るには「致死的調査が必要」として日本側は譲らない。
調査とはいえ、商業捕鯨時代と同じように母船を中心とする船団方式で行われており、必要経費は莫大だ。そのため捕獲調査後のクジラはすぐに約15キログラムの赤肉ブロックなどに解体冷凍、日本帰国後に「副産物」と称して売り出し、その収入を費用にあてている。全体の5割強が卸売市場、4割弱が加工会社、残り1割が学校給食関係などに販売される。副産物利用も前出の国際条約が定める義務なのだが、反捕鯨からは「擬似商業捕鯨」と反発が強い。
そうしたなか、日本は調査規模を拡大してきた。当初の対象は南極海のミンククジラ約300頭のみだった。乱獲時代に見向きもされなかったのが小型のミンククジラだったために資源量が豊富で最後まで商業捕鯨の対象とされた。18年間の計画で始まった南極海調査の一方、94年は北西太平洋でも大型のニタリやイワシ、マッコウの各クジラも対象となった。さらに南極海調査は05〜06年のシーズンから6年間の第2期計画に移行、ミンクの捕獲数は2倍超の最大935 頭に増え、ナガスとザトウの各クジラも対象に加わった。
調査捕鯨の実施主体をになうのは水産庁の関連公益法人「日本鯨類研究所」。そこが投じる費用は07年9月期予算で73億円にも上る。それを賄う副産物の収入は68億円(差額は国からの補助金を充当)、量にすると5000トン以上だ。これはモラトリアムに異議申し立てを行い93年から商業捕鯨を再開したノルウェーの捕獲量を上回る。
在庫増加に危機感を持った水産庁の後押しにより、販路拡大のため5年限定の新会社「鯨肉ラボ」が2年前に設立されたが、成果は上がっていない。流通量に限度があるため、大手スーパーが定番品として扱いにくい面もある。たとえば、イトーヨーカ堂は3年前から鯨肉の取り扱いをやめている。
民間の「クジラ離れ」はほかにもある。鯨研は調査捕鯨の船団を民間企業の「共同船舶」から用船し、副産物販売についても委託している。だが、一昨年6月に同社は「民間資本」ではなくなった。というのも、日本水産はじめ5社が、鯨研など水産庁の関連公益法人に保有株式を無償譲渡したからだ。この件に関する旧株主の口は重い。ある企業は「アンタッチャブルな問題」とささやく。「背景には海外での環境保護団体によるハラスメント(=不買運動)の影響もあった」と共同船舶は明かす。企業にとってはクジラ関連ビジネスは「経営リスク」なのだ。
そうした足元のクジラ離れをよそに、日本は調査捕鯨拡大だけでなく、IWCでの多数派工作を強力に進めてきた。ODA(政府開発援助)で関係が深い西アフリカ諸国などが捕鯨容認国としてIWCに次々加盟。賛成・反対ほぼ拮抗する状況となった。一昨年のIWC総会では捕鯨推進派寄りの「セントキッツネーヴィス宣言が1票差で決議され、日本代表団はモラトリアム採択から24年ぶりの勝利に沸いた。だが、直後から英国が反捕鯨外交を展開。欧州新興国など5ヵ国が加盟し、形勢は再び逆転した。
次の議長国には副議長を務める日本が就任することが確実。数年間は日本にとって捕鯨外交を推進する上でまたとない好機のようなのだが、IWC総会で4分の3以上の賛成が必要な商業捕鯨再開は現在の情勢から見てほぼ不可能というのが一致した見方だ。にもかかわらず、なぜ日本は「経済的に問題なし」の捕鯨推進にこだわるのか。「生物資源を持続的に利用しようとする原理原則の問題。クジラで一歩譲ると、次は (資源減少が指摘され始めた)マグロでも譲らなければならなくなる。そのためにも調査は必要」というのが日本政府の答えだ。
南極海遠征は必要か 関心の低さこそが問題
たとえば、調査捕鯨のあり方はどうか。日本が多額の費用をかけてはるか遠くの南極海で調査を続ける理由は、将来の商業捕鯨の想定海域としているからだ。
現実的選択肢からかけ離れた大規模事業は、ややもすると一部関係者による利権と化す。捕鯨は欧米に対して日本が自らを主張する数少ないテーマだけに、強行路線派、偏狭なナショナリズムのはけ口となるきらいもある。それらは結局、「国益」を損なうことになりかねない。これを機に日本人自身が捕鯨問題を見直す必要がありはしないか。
商業捕鯨が認められているノルウェーの捕獲量を上回る調査捕鯨の理論は、世界の反感を呼ぶ。世界に対してていねいにPRを行うべきだ。
(週刊東洋経済 2008年1月26日)

◇現在日本が行っているのは、IWCの規約上認められている「調査捕鯨」を拡大解釈した日本流の「調査捕鯨」だが、その実態は限定的「商業捕鯨」である。
また、「一部の鯨種」の中に、実際には絶滅危惧種のナガスクジラ、絶滅危急種のザトウクジラも含まれている。日本はそれを沿岸および北西太平洋だけでなく、IWCが保護区と定めた南極海という公海でおこなっている。
このいびつな「国営捕鯨」を支えているのは、水産庁捕鯨班とタッグを組む日本鯨類研究所である。「鯨研」は国庫補助金と調査捕鯨の副産物、つまり鯨肉の販売収入で運営されている。
「鯨研」の手足となって動くのが、かつての商業捕鯨最盛期を担った大手水産会社が統合された「共同捕鯨」を前身とする現・共同船舶株式会である。またその下で鯨肉消費促進を図るために去年設立されたのが「鯨肉ラボ」という合同会社だ。さらにこれらを自民党捕鯨議員連盟などが「官民一体」の名のもとで後押ししている。
だが、それでも鯨肉はだぶついている。なので、自衛隊や学校給食への導入も考えられている。かつて販売の主体であった民間の水産会社は、採算がとれないので、すべてクジラに見切りをつけている。
「捕鯨は日本の伝統」ということがたびたび言われる。だが、渡邊洋之氏の著書「捕鯨問題の歴史社会学」(2006年東信堂)のなかにおもしろい指摘がある。
つまり、近世までの局地的な沿岸捕鯨の伝統と、明治時代の「ノルウェー式捕鯨」導入後に形成された歴史とでは、あらゆる点で断絶があるというのだ。その一方で、昔は多くの漁村でクジラは大漁をもたらす「神」として獲ることを禁じられていたり、魚ではなく動物という認識があったため、その肉を食べることが倫理的(仏教観)によくないとされていた「伝統」もある。こうした日本人の意識の問題や、歴史の「複数性」に触れられないのはなぜなのか?という問題もある。
クジラ問題は「文化摩擦」などではない。まさしくメディアを含め、私たちを取り巻く「環境」の問題なのだ。
(ブログ「弱い文明」より抜粋)