見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2008/04/10

大規模なメディア操作のひとつ


◇写真が語る、これは大規模なメディア操作では?
なるほど、占領は始まっているーー2003年4月10日のNYC IndyMediaより

4月6日:イラク国民会議(INC)の創設者、アハマド・チャラビがペンタゴンによってイラク南部の都市ナシーリアに着陸する。「イラク解放軍」という彼の700人の戦闘員といっしょにチャラビは、ばかでかい4機の軍用輸送機C17で空輸された。新しいイラク政府を率いることでチャラビとINCはワシントンのお気に入りだ。写真はナシーリアに到着するチャラビとイラク解放軍の民兵仲間を撮ったものである。

4月9日:ファルダス広場にあるサダム・フセインの像を米軍部隊が引き倒したとき、「最も忘れられない戦争のイメージ」のひとつが作られた。妙な話だが、チャラビの民兵仲間のひとりにものすごく似ている男が写真に撮られる。彼は海兵隊を歓迎するためファルダス広場に近づく。サダム・フセイン像がでんぐり返って崩れ落ちたとき、いったい何人のアメリカびいきのイラク解放軍のメンバーがファルダス広場とその周辺にいたのだろ?

この像が破壊される一連の出来事に接近したヴィデオが大規模な蜂起の証拠として世界中で放送される。さらに、他より先に撮ったロイターの写真がファルダス広場のロングショットを示す。広場に人通りはなく、アメリカ海兵隊、国際報道機関、ほんの少数のイラク人のためにとっておかれる。広場にいるのはせいぜい200人だ。広場の海兵隊が立ち入り禁止にして戦車でガードする。米軍の装甲車がサダムの像を土台から引き抜くのに使われた。イベント全体はベルリンの壁崩壊と同等と認められているものの、ロングショットの写真をちらっと見ても、なにかもっとTVカメラ用に仕立てられた入念に構成されるメディアのなりゆきに類似したものを明らかにする。
(NYC IndyMedia 10 April 2003)

フセインの像が倒されるイベントに接近したカメラからの映像を見ているぶんにはイラク人の大衆が「解放されたと喜ぶ」記念すべき一幕に見えてもしかたなかった。でも、こうやって遠景で全体をながめてみると、ごく一部の、しつらえられたイベントであることがわかる。封鎖されて海兵隊と戦車で守られた広場で、米軍の輸送機でイベント用に運ばれてきたアメリカ人びいきの解放軍と名乗る民兵仲間が歓迎のお祭り騒ぎを演じている。
ちょうど5年前の今日(4月10日)の写真ですが、なんかイラク占領の全貌が見えるようで、思わず紹介したくなりました。
写真はクリックすると拡大版でご覧になれますのでぜひ見てください。

▲参考までに:チャラビ議長はイラクの富豪一家の出身だが、家族は1958年の革命で没落して亡命。チャラビは米国の大学を卒業後ヨルダンで銀行を経営しながらイラク帰還の機会をねらう。そして1992年、CIAの秘密資金を得てイラク国民会議を結成、亡命者グループのなかでも最も米政権に接近して影響力を拡大する。彼は現ブッシュ政権の中枢を占めるネオコングループと結びついて、98年2月ネオコンらが当時のクリントン政権に対して「イラクの体制変革」を求める公開書簡を出すきっかけを作った。
一方、米議会もチャラビ議長らの働きかけで98年10月「イラク解放法」を可決。イラク国民会議など亡命者グループのフセイン打倒運動に対して年間約1億ドルを支援することを決めた。それから1年後の2001年1月、ブッシュ政権が発足すると、ラムズフェルド、ウオルフォビッツなどネオコングループが、国防長官はじめ政権の要職に就いて「イラクの体制変革」を基本方針に据えた。