見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2008/05/14

劇場にはゴンゾの幽霊が


◇ゴンゾの映画が公開される 
昨夜、「Gonzo: The Life and Work of Dr. Hunter S. Thompson」を上映するサンフランシスコの歴史に残るカストロシアターに何千人もの人びとが詰め込まれた。映画はヴァニティフェア誌のエディター、グレイドン・カーターとオスカー受賞者のアレックス・ギブニー(受賞作「Taxi to the Dark Side」の監督)がプロデュースしたドキュメンタリーだ。

サンフランシスコ映画祭のクロージング作品でNRDCのために10万ドル以上を調達した映画は、鋭敏でまったくしらふのレンズ越しにハンター・S・トンプソンの知性と著作のひねりのきいたすぐれた才能を熟視する。りっぱなドクターの長年の友であるジョニー・デップがナレーターをつとめる。作家のトム・ウルフ、アーティストのラルフ・ステッドマン、伝記作家のダグ・ブリンクリー(ヴァニティフェア誌の寄稿編集人)を含め、ドクターの同僚と同時代人らがインタヴューを受ける。

目下のできごとに照らしてトンプソンのニクソン時代の嫌悪(と畏怖)のすべてがあまりにも予言的すぎるのに出くわして、この国の最もリベラルな都市のひとつ、ここサンフランシスコで実のところ共鳴に見舞われた。当惑させるほど類似したイラクとヴェトナムのイメージを映すフレームに画面が分割されるとき、どいつもこいつもパタゴニアのシャツを着たワインをがぶ飲みするヤッピー映画愛好家のその腕に痛みが走るほど、ぞくっと寒気を感じても不思議なかった。ゴンゾの幽霊が劇場にいた。

映画が終わり、ヴァニティフェア主催のひと組のクロージングパーティ会場、プラナレストランとテンプルバーに向かって映画好きがさわやかな海岸の空気のなかを進むとき、まだ鳥肌は立っていた、そのけば立ちはなにかと便利だ。

約600人のゴンゾファンがテンプルでパーティをした、同時に他の300人がハワードストリートを渡ってまっすぐ、なんかこうもっとプライベートなノリのプラナに向かった。プラナの参加者にはヴァネッサ&ビリー・ゲティ、デニス・ヘイル、フェスティバルディレクターのグラハム・レゲット、ステファニー&ピーター・コヨーテ、パブリッシャーのフィル・ブロンステインのようなベイエリア社会に長く居座っている人たちが含まれた。部屋がサンフランシスコSummer of Loveバンド、ジェファーソン・エアプレーンによるリミックス版の「Somebody to Love」をたたき出したとき、この有名なトンプソンの引用のことを考えるのは難しくなかった。「60年代は最高のリアリティの時代だった。オレは催涙ガスのニオイが恋しい。ぶちのめされる恐怖が恋しい。」そしてもうひとつ、「オレはディスコについて、ヘルペスで感じるのと同じように感じる。」
(ヴァニティフェア誌 May 9, 2008 by Claire Howorth)

◇ヤン・ウェナーとコーレイ・シーモアによって書かれる、このハンター・S・トンプソンの口述伝記は、ケンタッキーでの彼の幼年時代に始まり、2005年コロラド州ウッディクリークでの彼の死で終わる。
ある人たち、特に目に見えてトンプソンの2番目の妻は、この口述伝記はトンプソンを見苦しく描写すると不平を述べている。誤解させるトンプソンのイメージを与えることに関して、ボクは人材がゆがめられているかどうかを言う立場にない。トンプソンは型破りな人生を送った非凡な才能ある作家だったとボクは思う(ボクのお気に入りの本は1966年に出版された「ヘルスエンジェルス」だ)。そしてこの本を読むことでボクが学んだことが、彼は人間としてこうだったに違いないと想像するものと一致してないようには思えない。彼は友人たちにひどく忠実だったが、おそらく口ぎたなく、つらく当たりもした。彼の最初の妻、サンディは本のために広範囲にインタヴューされた。そしてあるときは愛すべき人物で笑わせていたのが次にはひどく軽率になる、きわめてカリスマ性のある男として、彼女のトンプソンの叙述は、本に彼らの顛末を提供した他の大部分のオピニオンをそのまま繰り返すように思える。
しかしながら、トンプソンと友達だった人たちのほとんどが生涯彼と友達のままだったと言及するのは興味深い。彼の欠点にもかかわらず、彼の気前のよさと愛とが、よくある行儀の悪いひと期間の埋め合わせをした。次にあるのはトンプソンの(むこうみずな)寛大さの一例だ。

ローリングストーン誌の元ニューヨーク支局長、ティム・フェリス:あの頃、ボクはデイヴィッド・ボウイとツアーに出ていてニューヨークを離れていた。ローリングストーン誌のエディター、ヤン・ウェナーはニューヨークだった、そしてボクらはミーティングをした。ボクは空港に行く途中に立ち寄ったからカバンを持っていた。そしてヤンはボクを首にした。景気下降の間中ずっと定期的にこういうことがあった。ボクがOwl Farm(フクロウ農場)に電話したとき、サンディーが出て、ウォーターゲートの自分の部屋にいたハンターと話をしていたところだと言った。仕事ははかどってるかと彼女に尋ねると、彼女は「ほとんど申し分なし、でもお金のことが心配だったの。それについて話していたところだった。私たち銀行に残金が400ドルしかなくて、次にどこから金が入ってくるんだかわからない。」と彼女は言った。もうちょっと話をしてから受話器を置くと、すぐにハンターから電話があった。彼は「どんなだい?」と言った。「ヤンに首にされたところだ。」とボクは言った。するとハンターが「金が必要だろ?400ドルなら貸せる。」と言った。

この本はトンプソンの的確な記述に限りなく接近すると、本能的な感触がボクに教える。ボクが正しいか正しくないか、いずれにせよ、それはまったく熱狂的傾向をもたらした。それを手に入れあけたとたん、どうにも読むのを止められなくなった。そしてボクは二日で一気に467ページを読破した。
(BoingBoing 14 January 2008)