ミッシングガールが見つかった
◇行方不明の少女「18年たって見つけられる」
1991年に少女として誘拐された後、発見された米国の女性は、誘拐犯と申し立てられる男性が父となる2人の子どもを産んだと警察は述べる。
ジェイシー・リー・ダガードと11歳と15歳の子どもは「裏庭内の秘密の裏庭」に監禁された。
誘拐犯と言われているフィリップ・ガリドー58歳とその妻ナンシー・ガリドー54歳はカリフォルニアで拘留されている。
ダガードさんの身元を立証するためDNA鑑定が行われているが、とりあえず、彼女は母親と再会させられる。
ダガードさんは11歳の1991年にレイクタホの自宅の外から姿が見えなくなった、2人の人間に連れ去られたのは明らかだ。
彼女は誘拐以降、サンフランシスコ近くのアンティオクの所有地で視界から隔離されて夫婦といっしょに暮らしていたとエルドラド郡保安官代理フレッド・コラーは言う。
「裏庭のテントと離れ屋は外を見るのを禁じるのと外の接触から犠牲者たちを孤立させることをねらった配置に置かれた。」
3人は「人生の大部分」をそこで過ごしたと彼は言い、学校へ行くことも医者に診てもらうことも一度もなかったと付け加えた。
カリフォルニア大学バークリー校でガリドー氏が二人の幼い子どもと一緒なのを警官によって見抜かれた後、彼らの身元が明かされた。
登録された性犯罪者として彼は幼い子どもと一緒にいるのを許されなかったので嫌疑を起こさせた。
カリフォルニア更正および社会復帰省によると、フィリップ・ガリドーにはレイプの有罪判決があり、1999年に仮釈放された。
彼は監察官によって疑いを差しはさまれ、二人の子どもとアリッサと呼ばれる若い女性を一緒に連れて来させられる。
尋問中に彼はアリッサが実はダガードさんであるのを明らかにした。彼女もまた警官に対して自分の身元を確認した。
また誘拐当初に説明された乗物と一致する裏庭に隠された乗物もアンティオクの所有地にあったとコラー保安官代理は言った。
「こんなふうに誰かを見つけるだなんて、かなりあっといわせる顛末です。われわれが事実と決め込んだ者は死んでいた」とエルドラド郡の首席検事ビル・クラークは言った。
ガリドー氏はまた未成年者とのみだらでわいせつな行為と性的挿入、暴力によるレイプに関する調査でも拘留されていると地元警察のジミー・リー広報官は言った。
ダガードさんの明らかな再現のニュースが広まるとき、彼女の継父カール・プロービンは彼女が彼らの元に戻ってくるといま家族は確信しているとABCニュースに語った。
ただもう責任を負っている人たちを見つけたいだけと言って、「個人的には希望をあきらめていた」と彼は言った。
1999年6月10日、明らかに幼い少女が誰ともわからぬ二人に連れ去られたとき、プロービン氏は注視していた。南部の町レイクタホの自宅からスクールバスのバス停まで歩いていたとき事件は起きた。
彼女の失踪で最初に疑いをかけられ、現在ダガードの母からよそよそしくされる継父は、見知らぬ人がクルマで進んできてダガードさんをつかむと、たとえ彼女が蹴りを入れて泣き叫ぶことで抵抗しようとも、彼女をグレーのクルマに投げ込んだのを説明してきている。
男性と女性が乗物にいたとプロービン氏は信じた。間にある年月、彼女を見たとの幾つかのニセの報告にもかかわらず、ダガードさんの姿は二度と再び見られなかった。
「彼女は大丈夫のように思われる」と彼は言った。
「彼女は妻と会話をしたし、事態をおぼえている。このまるまる18年うまく扱われてきていることを願う。」
「彼女を生きて取り戻せた、そして彼女が過去からものごとを思い出している、そして人びとが捕まっている、これが身に降りかかって勝利は3倍」と彼はサクラメントビー紙に伝えた。
(BBC NEWS 27 August 2009)
http://news.bbc.co.uk/go/pr/fr/-/2/hi/americas/8225621.stm
◇同州エルドラド郡のフレッド・コラー保安官代理は記者会見で、「女性の健康状態は良好だが、18年間監禁されていたことを考えると、体に負担はかかっているはずだ」と話した。
また、ダガードさんの義理の父親は、発見の知らせを聞いたとき、ダガードさんの母親と「10分間泣き続けた」と、テレビで話した。
ガリドー容疑者は、1971年の誘拐とレイプ事件によりネバダ州で服役している。地元紙によると、近所の人はガリドー容疑者について、テントで宗教の集会などをする奇妙な人物だったと話している。
(ロイター 2009年8月27日)
写真は逮捕されたガリドー容疑者の自宅。広大な屋敷の一角でジェイシーとその子どもたちは「奴隷のような状態(警察当局者)」で監禁されたと見られる(ロイター)
ガリドー容疑者は印刷業者とか
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