No.42
今日の試合はみんなが背番号42
ヤンキースタジアムでは42をつけた松井がホームランを打った!
◇「赤いマツイに気分はブルー」NYファン
エンゼルスの松井秀喜は15日、懐かしいニューヨークで古巣ヤンキースとの3連戦の最終戦。ここまで2試合、かつての僚友ポサダのリードの前に9打数0安打4三振と完ぺきに抑え込まれた松井は、二回先頭の第1打席で先制ソロ3号を放った。
15日は「ジャッキー・ロビンソン・デー」 初の黒人メジャーリーガーとして活躍した名選手をしのんで全員が背番号「42」でプレーした。松井もジーターもAロッドも、背中には「42」。ヤンキースタジアムのスタンドには、ヤンキースファンが掲げた「赤いマツイを見ると、ブルーになる」とあるボードもみられた。
(サンケイスポーツ 2010年4月16日)
◇4月15日は米大リーグにとって特別な日である。63年前のこの日、ドジャースのジャッキー・ロビンソンが近代野球初のアフリカ系アメリカ人、いわゆる黒人選手としてデビュー、人種差別の壁を破ったからだ。
▼その年の新人王に輝いた彼は1949年に首位打者と盗塁王を獲得、最優秀選手に選ばれた。人間的にも優れ、62年に野球殿堂入りを果たしたが、72年に53歳で死去。97年、彼の背番号42は全球団で永久欠番になった
▼彼が門戸を開いたことで黒人の若者たちが後に続き、名選手も数多く生まれた。黒人選手は70年代半ばに全選手の約4分の1を占めるまでになった
▼だが、その比率は年々低下。2008年のある調査では約8%にまで落ち込んだ。代わって台頭したのがドミニカ共和国をはじめとする中南米のラテン系選手だ
▼各球団は中南米諸国に養成機関をつくり、有望な選手を安い契約金で獲得してきた。一方、米国内にそうした施設はない。子どもたちの野球離れを指摘する声もある
▼大リーグは2004年、4月15日を「ジャッキー・ロビンソン・デー」と定め、09年からは全選手が42番を着けてプレーする。しかし、功績をたたえるだけでなく、黒人の子どもたちが野球を楽しむ環境を整えて育成に取り組まない限り、地盤沈下は続くだろう。
(河北新報 2010年4月14日)
http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20100414_01.htm
写真は1995年のルーキー以降42番をつけるヤンキースのリベラ投手、97年ジャッキー・ロビンソンの功績を讃えて42番は永久欠番になった、ヤンキースのリベラは最後の42番
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