見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2010/06/27

オバマ対モラレス




今年4月23日の「デモクラシーナウ!」の番組にボリビアのエボ・モラレス大統領が出演した。彼はオバマ大統領について、「黒人大統領がインディオ大統領に対してこれほど復讐の念を抱けるとは信じられない」と語った。

以下は、6月号のル・モンド・ディプロマティーク日本語電子版、「ボリビア政情不安についての但し書き」という記事。常にアメリカの政治的・経済的利権がらみ、思惑通りに流血のワナが仕掛けられてきている南米の実態を知る手がかりになる。

△写真はデモクラシーナウ!に出演したときのエボ・モラレス大統領

◇ボリビア政情不安についての但し書き
 by エルナンド・カルボ・オスピーナ特派員(Hernando Calvo Ospina)
   訳:土田修

2009年4月、米国のオバマ大統領は中南米の大統領を前に、「平和を増進するには歴史の教訓から学ぶべきだ」と表明した。だが、先のホンジュラスのクーデタのときに米国政府が示した態度からすると、中南米への介入の時代はまだ閉じられていない。しかも、それは時として予想外の形で現れる。[フランス語版編集部]

南方の近隣諸国の自立解放志向を抑え付けるために、米国は経済という「アメ」と軍事介入という「太いムチ」を使ってきた(このムチはホンジュラスのクーデタの際に思いがけず新調された)。だが、それだけにはとどまらない。これらの諸国では、進歩派政府の進める再分配政策によって「アイデンティティ」を脅かされているとする地方エリート層が、独立を要求する動きが見られる。そうした要求を支持することが、米国の手法の一つをなす。この戦略は1980年代初頭にニカラグアで、最近ではボリビアで使われている。

ボリビアでは、2005年12月にエボ・モラレスが大統領に選ばれた。社会主義運動(MAS)を率いるモラレスは、都市部のプチ・ブル層の支持を受け、アイデンティティを前面に出した選挙運動で先住民組織をも引き付けた。しかし、MASが推進した多民族国家という枠組みは、やがて思いがけない要求を呼び起こした。地方エリート層が「社会的『分離主義』」を唱えるようになったのだ。「先住民、市町村、地方といった様々な自治レベルを認め、それら相互の連携については定義していない」新憲法草案の下で、分離主義運動の道が開かれたというのが彼らの言い分だ。抑圧されたマイノリティの擁護を唱え、ボリビア政府に揺さぶりをかけるチャンスというわけで、米国が彼らの支援に乗り出したことは言うまでもない。

米国の戦略はすぐさまサンタ・クルス県に狙いを定めた。ボリビア経済は同県の天然資源(特に石油・ガス資源、金、鉄)に依存している。同様に天然ガスと肥沃な土地に恵まれ、サンタ・クルスとともにメディア・ルーナ(半月)と呼ばれる地域を成しているタリハ、パンド、ベニ各県が、間もなくサンタ・クルスの主張に同調した。同県の県都サンタ・クルスは、反大統領派の中心地と化した。

米国の駐ボリビア大使フィリップ・ゴールドバーグは、信任状を捧呈してから2カ月後の2006年10月13日に、メディア・ルーナ地域の反政府派と協議を始めた。この外交官は、バルカン戦争中の1994年から96年まで国務省でボスニア担当室長、2004年から2006年にはコソヴォの在プリシュチナ「米代表団長」を務めている。モラレスによれば、ゴールドバーグはプリシュチナで「分離主義を支援することで、多数の死者を出す結果を招いた」という(4)。彼のこうした経歴は、ボリビアに対する米国の姿勢が、「分離主義」を掲げる反政府政治団体への肩入れだけでは済まされないことを告げていた。

ボリビアでは「彼の仕事を知らぬ者はなかった」と、弁護士でラ・エポカ誌の発行人ウーゴ・モルディスは言う。「彼は隠しもしなかった。準備された計画の目標は、軍や警察も巻き込んで流血の暴力行為を引き起こし、統治不能な状態を生み出すことだった。そして大統領を辞任させ、選挙を実施させ、大使館お墨付きの候補者を勝たせることだった」

2008年9月、民兵グループが30人近くの無防備な農民を殺害し、タリハとサンタ・クルスの油田、それにベニ空港を占拠した。退役将校のセルヒオ・エスピナルはこう断言している。「彼らの行動様式は、外国の専門家の助言やコロンビア民兵の関与を窺わせる」。さらにひどいのは「油田に駐屯していた国軍部隊が武装解除に無抵抗で応じたことだ。その中に、陰謀に加担する者がいたということだ」

メディア・ルーナ地域のエリート層寄りの民間メディアも、手をこまねいてはいなかった。コカ栽培者から代議士となったサビーノ・メンドーサは当時のことをこう語る。「こうした事件をプレスは逐一報道した。それは、事件を糾弾するためではなく、不安と恐怖のムードを助長するためだ。プレスが流したメッセージは、『エボ』が辞任しないのなら戦争が起き、米軍の介入を招くかもしれないというものだ。私のような大統領支持者を動揺させる目的で、流言、嘘、誇張がまき散らされた」

「民主主義擁護」から暗殺計画へ

既に2007年7月、米国国際開発庁(USAID)は反政府派グループに資金を提供したかどで非難を浴びた。「民主的政府の回復」計画への資金提供が必要だと説いた文書をボリビア政府が押さえたのだ。周知の婉曲表現だと、社会学者のクリスチナ・グスマンは解説する。いわゆる「市民社会」の諸機構や、諸政党など、数々の非政府組織(NGO)に資金提供していた。それらの団体が、人権や報道の自由、事業の自由という旗印の下で、政府に対する敵意を助長するようにすることが目的だ」

この間ずっと、モラレス大統領の執務室には奇妙きわまりない隣人がいた。大統領府のただ中に、米国中央情報局(CIA)の出先機関があったのだ(ボリビア政府が自国の主権よりも米国との関係を懸念した時代の残存物だ)。「特殊警察活動センター(COPES)と呼ばれる部署で、警察の将官の管理下にあり、米国大使館に直属していた」と国営ボリビア通信(ABI)の総局長、ホルヘ・クーバは明言する。

右翼国際主義の風が国内の地方分離主義の熾き火を掻き立てていると見たモラレス大統領は、CIAの出先機関を解体した。大統領は2008年11月3日、「国家の威信」を理由として、最早ボリビアではCIAは招かれざる客だと宣言し、その直前には米国麻薬取締局(DEA)を追放している。DEAの職務が、分離独立を要求するメディア・ルーナ地域の反政府派の支援にまで拡大されていると察したからであり、そのようなことがDEAの公式任務のうちに入るとは言いがたい。加えて2008年9月11日、政府と反政府派の間が極端に張り詰めていた時期、大統領は米国大使をペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)であると宣言している。

大使が追放され、USAIDに制約が課され、CIAとDEAも退去させられると、奇妙なことに分離運動の高揚は鎮静化の兆しを示した。大統領が選挙で圧勝を続けたことは言うまでもない。反政府派のうち最も急進的な勢力は、あらゆる政治的要求をあっさりと放棄した。そして、いわゆる「民主主義擁護」から暗殺計画へと平然と移行した。彼らにとっての選択はただ一つ、あの「インディオ」大統領、およびアルバロ・ガルシア・リネラ副大統領にけりを付けることだ。

作戦の先頭に立つのは、実業家のブランコ・マリンコヴィッチだ。ボリビアに亡命したウスタシャ(クロアチアのファシスト勢力)の息子であるマリンコヴィッチは、サンタ・クルス市民委員会(5)の委員長を務め、メディア・ルーナ地域の「独立」を求めるカンバ国民解放運動(MNCL)を率いている。MNCLのインターネット・サイトにはこう書かれている。「血が川となって流れる前に、それぞれの民族が自分たちの資源を管理し、自分たち固有の問題を解決することができるよう、穏便に袂を分かつ方がよいのではないか」。先のクーバによれば、マリンコヴィッチの企図は柔和な言葉と裏腹に、「バルカン戦争の際の人種差別、宗教、分離主義のシナリオをボリビアに移植すること」にある。

マリンコヴィッチが呼び寄せたエドゥアルド・ロージャは、まさしくバルカン半島で活動していた。紛争時にはクロアチア民族主義者の部隊に加わっていたロージャは、マイケル・ドワイヤー(アイルランド人)、アールパード・マジャロシ(ハンガリー系ルーマニア人)、エレード・トーアーショー(ハンガリー人)、マリオ・タディッチ(クロアチア人)を連れて来た。そのほとんどはかつてバルカン戦争に加担していた。クーバは語る。「計画は完璧に進められていたが、グループ内部に1人の警官が潜り込んだ(そこでは『インディオ小僧』と呼ばれていたらしい)。2009年4月16日、彼らが滞在していたホテルに警察が突入し、ロージャを含めて投降を拒否した3人が撃ち殺された。ボリビア分割を狙った最新の計画もまた、この夜に息の根を止められた」。マリンコヴィッチは逃亡を選び、米国に高飛びした。

張り巡らされた財団とNGOのネットワークが、「市民社会」の堂々たるメンバーというイメージを利用して、政権に揺さぶりをかけようとしてきたと言えるだろう。エクアドル人歴史学者のアドリアーナ・ビジェガスはこう確信している。「それらが世界中の様々な状況の中で、NATO軍より効果を発揮できることは、十二分に立証されている」

ボリビアで試された方式は、エクアドルやベネズエラでも採用されているようだ。ビジェガスは次のように分析している。「ボリビアのメディア・ルーナ地域だけではない。ベネズエラではスリア州の独立を求める人たち、エクアドルではグアヤス州について同様の構想を描く人たちが鼓舞されている。スリア州には世界最大級の石油産業の一つがあり、グアヤス州は主要港を擁する経済の中心地だ。その上、サンタ・クルスが他の3県(ベニ、パンド、タリハ)を味方に付けたのと同様に、スリア州はタチラ州とメリダ州、グアヤス州はマナビ州の支持を取り付けるに至った」

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2010年6月号)
http://www.diplo.jp/