原発マフィア国家 ニッポン
◇日本が津波以後はじめて原子炉を再開する写真、津波が福島第一原子力発電所の原子炉建屋をのみこむ
日本の北方の原子力発電所が3月11日の地震と津波以後、フル操業を再開する最初の原子炉となる。
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/asia/japan/8708002/Japan-reopens-first-nuclear-reactor-since-tsunami.html
(UKテレグラフ紙 18 August 2011)
◇社説:泊原発運転再開 安全に「例外」は禁物だ
北海道電力の泊原発3号機が営業運転を再開した。東京電力福島第1原発の事故発生後、定期点検中の原発が営業運転を再開するのは初めてであり、国内では安全性をめぐってさまざまな意見が交錯している。
運転再開を容認した高橋はるみ北海道知事は、最終検査に原子力安全・保安院だけでなく、原子力安全委員会を関与させた国の対応について「二重チェックは評価できる」とした。しかし、今回の一連の動きを見る限り、安全性に関して国民の理解を得るには決して十分だったとは言えない。
福島原発事故の深刻な事態を受け、政府は7月に欧州諸国のストレステスト(耐性評価)を参考にした安全評価を実施する方針を決めていた。定期検査中で起動準備が整った原発は、1次評価で再稼働の可否を判断することにしていたのだが、泊3号機については1次評価の対象外としたのである。
確かに、泊3号機は東日本大震災前にほぼフル出力の調整運転に入っており、運転を停止している他の定期点検中の原発と比べれば例外的な存在ではあった。このため政府は「泊3号機は既に稼働中であり、再稼働には当たらない」との見解を示したのだろう。
しかし、電気事業法では調整運転も定期検査の一部と位置付けている。政府が新たに安全評価の実施を打ち出したのも、国民の安全確保のためには運転再開に関してより高いハードルを設けるべきだ、との判断に基づいたものだ。
1次評価を免除しての運転再開には「定期点検中の原発の早期再稼働に道筋をつけたい」という経済産業省の思惑も見え隠れする。いまだ原発事故の収束が見通せない状況下での初の運転再開という事案だっただけに、「例外的措置」とせずにしっかりと評価を行った上で判断すべきではなかったか。
原発の運転再開をめぐっては原発立地自治体の間でも意見が分かれている。北海道知事のように容認する首長がいる一方、新潟県知事は「福島原発事故の検証を先にやるべきで、再開を議論すべき段階ではない」と安全評価に合格しても再稼働を認めない方針を示している。
さらに、玄海原発(佐賀県)の運転再開に向けた「やらせメール問題」、シンポジウムで原発容認に誘導しようとした保安院の「やらせ依頼問題」などで、原子力行政への信頼は著しく低下している。
こうした中での泊原発の運転再開である。地域事情は理解できなくもないが、事は国全体に影響を及ぼし、日本のエネルギー政策の根幹に関わる問題だ。泊原発の今後の安全対策に万全を期すのはもちろん、政府と北海道電力は運転再開について地元住民だけでなく国民が納得できるように説明責任を果たさなければならない。安全確保に「例外」は禁物である。
(秋田魁新報 2011年8月18日)
http://www.sakigake.jp/p/editorial/news.jsp?kc=20110818az
◇北電「新規風力買わぬ」 風車新設困難に
北海道電力は、風力など自然エネルギーによる発電の全量買い取りを電力会社に義務づける「再生エネルギー特別措置法」が施行されても、風力発電の新たな買い取りをしない方針であることが12日、明らかになった。電力の安定供給のため同社が独自に定めた風力発電の買い取り上限(風力発電連系可能量)である36万キロワットが既に満杯のためで、同法の下でも新規の買い取り拒否は例外規定で認められるとしている。
同法成立を前提に、通信大手のソフトバンク(東京)が留萌管内苫前町で国内最大級の風力発電を計画するなど、道内では風車建設に向けた動きが出ているが、北電の方針が変わらない限り、新たな建設は困難となる。
(北海道新聞 2011年8月13日)
◇個人献金:北電役員が毎年、高橋知事に
高橋はるみ知事の政治資金管理団体「萌春会」に対し、北海道電力役員が毎年、個人献金していることが分かった。29日の道議会で共産党の真下紀子道議(旭川市)の一般質問に対し、高橋知事が明らかにした。北電役員の個人献金を巡っては、07年の道議会で共産党道議が「形を変えた企業献金」と問題視していた。
政治資金規正法は企業が政党以外に献金するのを禁じているが、高橋知事はこの日の定例会見で、「企業献金ではないので、(今後の献金も)誤解のないような形で受け入れていく」と話した。ただし、献金した人数や金額については「手元に資料がない」と述べた。
また、道は同日、05年3月~11年3月に退職した部長級3人と課長級1人が、北電と関連会社に再就職していたことを明らかにした。道の再就職要綱では、退職前5年間に在籍した職場と密接な関係にある企業への再就職は退職後2年間自粛すると規定しているが、道は「4人は抵触していない」と説明している。
(毎日新聞 2011年6月30日)
◇世界のどの国よりも早く原発再開に踏み出した「事故当事国」日本
高橋はるみ知事は17日、道庁で記者会見を開き、調整運転中の北海道電力泊原発(後志管内泊村)3号機の営業運転再開について「異議はない」とコメントし、容認する考えを正式表明した。知事は会見後に海江田万里経済産業相に再開に同意する考えを伝達し、これを受け海江田氏は検査終了証を北電に交付。同日中に3号機は営業運転に移行する。
東日本大震災後、定期検査中の原発が営業運転に移行するのは全国で初めて。3号機は1月から定期検査に入り、3月7日に調整運転に移行。調整運転は通常は1カ月程度だが、震災の発生により、営業運転移行前に必要な最終検査を受けないまま、調整運転を5カ月余り続けていた(北海道新聞 2011年3月17日)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/312306.html
実は、地元の北海道新聞がこう報じた直後の18日夕方、早速、営業運転が始まった模様だ。
チェルノブイリを経験した欧州の伊・独の判断
3.11の福島第一原発事故以来、原発を持つすべての国の政府が原子力発電所の再検証や見直しを迫られている。
そうした中でイタリアは再稼動の停止を国民投票によって、ドイツでは原発の将来の廃止が決まった。
25年前のチェルノブイリの惨事を、身をもって体験している欧州では、そもそも原発事故への危機意識が高い。極東の島国の日本のこととはいえ、人類史上最悪の原発事故を同時代に体験しているという認識の欧州では、こうした判断は当然のことなのだろう。
ところが、こうした世界の趨勢の中、驚くことに事故当事国である日本だけが、異例の対応をみせている。
菅首相自らが求めていたストレステストや他国のような国民投票もなく、いきなり営業運転の再開を決めたのである。しかも、地方自治体の意思による決定である。
福島第一原発の事故はいまだ収束していない。日々、放射能汚染水を海洋に流出させ、夜な夜なベントらしき水蒸気を発生させているのが事実だ。にもかかわらず、日本は原発再開へ、どの国よりも早く踏み出してしまった。いったい政府は何を考えているのだろうか。
国や国民の関与がないまま再開決定を下した高橋知事
高橋はるみ知事は経産省出身の元役人である。地方にありがちな中央とのパイプを旗印に2003年、北海道初の女性知事として自民党推薦で初当選を果たした。
もちろん、経産省だからといって全員が原発推進派というわけではない。だが、かつて知事の献金先リストに「北海道電力」の文字が記されていたこと、さらには最多献金先が建設業界という事実は、彼女の政策を規定するのに十分な根拠となった可能性が高い。
いずれにしろ、高橋知事は原発再開へ舵を切った日本で最初の「政治家」となったのである。
きょう、筆者がMCを担当する東京FMの番組「タイムライン」に北海道大学大学院の吉田文和教授が電話で出演した。
吉田氏は、営業再開の決定直前の15日、道内の学識経験者による泊原発再稼動の反対署名を集め、そのアピールを行なった代表者でもある。その吉田氏はこう話した。
「明確な安全基準と原発再開の規制を国が決めないまま高橋知事は判断を下してしまいました。近くにあるとされる活断層に対する第三者機関の判断も、60キロメートルしか離れていない札幌市を含めた周辺自治体の参加もないまま、泊村周辺の4自治体のみの賛成で決定されてしまったのです。それは大きな問題です。とくに来年以降のプルサーマルの開始は、充分な話し合いと安全対策がなければ容認できないのです」
実は、今回営業運転を開始した3号機では、MOX燃料によるプルサーマル発電を行うことが決まっている。
来春にも稼動する見込みだが、そもそもプルトニウムを使ったプルサーマル発電の安全性は世界中で疑問視されているものだ。同じプルサーマル発電機の福島第一原発3号機の事故を鑑みれば、到底、簡単に再開というわけにはいかないはずだ。
原発交付金の札束で頬を叩くような仕業
にもかかわらず、北海道、いや日本は原発再開へ強引に舵を切った。いったいそれはなぜか。
15日、北海道のローカル番組「U型テレビ」(UHB)のキャスター大村正樹氏は、当日の生放送の中で、その理由を次のように解説している。
「原発立地による地方交付金が232億円も泊村に落ちているんです。そのおかげで、漁業しかなかった過疎の村は道内でももっとも裕福な自治体になったのです。医療費は無料、子ども手当ても国からとは別途支給、ゴルフも無料、村民は道内でももっとも裕福な生活を送ることができるのです」
まさしく札束で頬を叩くような仕業である。だが、タダより高いものはない。それはチェルノブイリやフクシマが証明しているはずだ。
それでも、日本は原発マネーから脱却できそうもない。
東京電力が事故処理の失敗と情報隠蔽を繰り返し、人類史上最悪の人災事故を起こしても、政府は損害賠償を求めないどころか、むしろ国費で東電を救済しようとさえしている。
霞ヶ関はいわずもがなである。経産省、原子力保安院は事故の過小評価に終始し、これだけの犯罪を犯しながら、検察当局は捜査どころか証拠保全さえ行おうとしない。
また、電気事業連合会から年間800億円以上の広告費で「買収」されているテレビや新聞の大手メディアは、東電の腐敗の本質をなにひとつ追及できずに、「安全デマ」を流すことで汲々としている。
もはや日本は民主主義国家ではない。先進国とは言いがたい原発マフィア国家に成り下がったのである。いや、とうの昔に、その内奥まで原発マネーに冒された犯罪国家だったのかもしれない。
だから、泊原発の営業運転再開という世界の認識から180度遊離しているような判断が普通にできてしまうのであろう。
日本人はいったいいつになったら、世界の厳しく冷たい視線に気づくのだろうか。
(ダイヤモンドオンライン 週刊"上杉隆" 第188回 2011年8月18日)
http://diamond.jp/articles/-/13612
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