見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2014/05/30

ニューヨークとマイルス


◇5月26日、生きていれば88歳の誕生日だったとし、77丁目はおなじみのマイルス・デイヴィスの有名なトランペットの音であふれました。
このミュージシャンにちなんで、この一街区が名前を変えたことに大勢が気づきました。
通りの標識の除幕式を行う間の一続きの混乱状態のあと、ひとりの冒険心に富むスポーツファンがリバーサイドとウエストエンドのあいだの範囲がマイルス・デイヴィス・ウェイになったのを確認するために電灯のポールによじ登りました。
デイヴィスはこの街区に住み、アッパーウエストサイドの住人として最も忘れられない曲を作りました。
デイヴィスと演奏するチャンスを得たジャズの伝説的人物らは、これは彼には当然の名誉だと言います。
「マイルス・デイヴィスは伝説であるばかりか、限界に挑む点からみると彼は流行を創り出す人(trendsetter)だった」とジャズミュージシャンのボビー・ハンフリー(Bobbi Humphrey)は言っています。
「彼は音楽における変化のパイオニアだった。彼は進化し続けた」とジャズミュージシャンのジミー・ヒース(Jimmy Heath)は言っています。
「ここでうまくやり遂げればどこでも成功するからと言ってニューヨークは誰もが来たがる場所だ。まさにマイルスはここに来て大成功した」とドラマーのジミー・コブ(Jimmy Cobb)は言っています。
彼はこの都市の生活にインスパイアされて、たとえここで生まれなくてもここは常に彼が故郷と呼んだ場所だと、デイヴィスの子どもたちは言います。
「これはニューヨークでマイルスについて考えるときといったところで、ボクらは77丁目について考える」とマイルス・デイヴィスの息子、エリン・デイヴィス(Erin Davis)は言っています。
「ニューヨークの音楽は彼には特別で、彼の曲や職業にそれをいかに活用するかだと彼は思っていた」とマイルス・デイヴィスの娘、チェリル・デイヴィスは言っています。
ファンにとって、これは彼の人生を祝福するため一緒になって彼の曲が決して忘れられないことを確認するチャンスでした。
「彼は決して立ち止まったままでいなかった、彼の曲は感動させ続ける」
「これはニューヨークの本質についてのこと。ニューヨークはマイルス・デイヴィスだ」
それならば、都市と伝説のミュージシャンとのその有名な関係を永遠に思い出させるものがあります。
http://www.ny1.com/content/news/209300/upper-west-side-street-renamed-in-miles-davis--honor