見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2018/10/16

シングルマザーのコミューン

◇一緒に同居を始めたシングルマザーたち:「それは結婚のようでした、ただしもっとまし」
夫婦関係がこわれたあと、ジャネット・ホガース(Janet Hoggarth)と他のふたりの母親はいっしょになって「コミューン」を創ることにした

ガーディアン紙 29 Sep 2018

ジャネット・ホガースは1年間子育てをする離婚した片親、5歳と3歳と1歳の子の母親で、彼女はもがいていた:「アドレナリンを使い尽くしていて永遠に終わらないことで打撃をうけていた。悲嘆と元のところに戻されることで苦闘していた。わたしは半減期を生きていた」と彼女は回想する。

次に友人のヴィッキーに電話した。ヴィッキーの夫婦関係もこわれていた、そして生後10カ月の娘と売りに出された家と彼女には経済的に割くことができない家賃をあとに残される。当座の措置としてジャネットはヴィッキーと娘のデイジーを彼女の予備の寝室に引っ越すよう勧めた。

その後まもなく、ジャネットは赤ちゃんグループの一連の会合から見覚えがあった女性、ニコラに出会った、彼女はサウスロンドンの近くに住んでいた。ふたりはチャットして電話番号を交換し、コーヒーでも飲みましょとなった。ニコラが週末がいいと言ったとき、彼女もまた最近離婚したシングルマザーであるとジャネットは正しく結論を導き出した。

また、目論むというよりほんの偶然に女性たちはアメリカで“mommune”と呼ばれる新しい家庭の構成を思いつく。そして次の2年間、3人のシングルマザーと6人の子どもたちは生活を共にした。ヴィッキーは予備の寝室で生活し、ニコラは週末居住者で毎日泊まりに来る客だ。「わたしたちは家族でした」とジャネットは言う。「わたしたちは一緒にスーパーへ行き、一緒に料理して一緒に食べ、育児を分担しました。わたしたちの親は知り合いになりました。」子どもたちは「片親が同じ兄弟分のようになった」と彼女は付け加える。

7年続ける現在、「ママ・ハウスがわたしを救ってくれた」とジャネットは言う。「壮大な計画ではなかった、それはほんの実用的な解決のように見えました。わたしたちは、とてもうちひしがれた気分をすぐにやめました。」

ジャネットにとって、彼女が経験していたことを理解する人たちと一緒に暮らすことの影響は甚大だった。11年間連れ添ったあと、ジャネットと夫が別れたとき、彼女の社会生活は夫婦関係と共に消えた。カップルがどんなに一生懸命に接近する手段を共有し、敵味方につくことをやめるよう説得しようとも、状況は気まずかった。「たとえなにかに行ったとしても、友人たちはいつもパートナーと一緒でした、そしてわたしはひとりで子どもといた。元夫が新しいパートナーと一緒にいるのを誰かが見たとしても、彼らはわたしにはとても言えないと感じました。」

共同で使う家では、「説明を必要とすることなく残りの全員がどんなことを経験しているかわたしたちみんながわかっていた。わたしたちは苦悩を共有した。もしかするとわたしたちはすごく頭にきてたかもね」とジャネットは言う。「誰かにこの気持ちを表明することができないときはいつでも次には常に人の面前でまさに過去のことを思い出させていた。」

ヴィッキーにとって日常的なおとなの交わりと会話は彼女の感情の興奮状態のみならずまた全く予想外に彼女の家族という解釈を変容させたと彼女は言う。「ひどく急に、まるでわたしたちが異なる家族構成を築いているかのように感じました」と彼女は言う。「それは分け合い、互いを支えることに基づきます。それが実際、家族を作ることです。目標感がありました。まるで大きな欠落があるように、わたしたちがこの時にまるで他の誰かを必要とするように感じなかった。」

少なくとも週に一晩と週末ごとに家で子どもたちと一緒のニコラにとって、家にいることはほっとした気持ちと楽しみのよりどころでもあった。「ジャネットにばったり会ってわたしたちがどんなに互いをそっくり再現するかが見えるまで、わたしが知る離婚した人はわたしだけでした」と彼女は言う。「子どもたちが変と感じるのを止めるのにわたしたちがしっかり落ちついていることがとても重要でした。他の人も同じ苦境にあることを知ることも重要でした。そしてわたしたちはただぶらぶら過ごしたり、お茶を飲んだり、公園に出かけたり、普通の家族のやってることができました。」

ジャネット、ヴィッキー、ニコラ(無人の家に戻るのを避けるため、彼女の子どもたちが不在の時ジャネットの息子の二段ベッドで眠った)は家事の日常業務に落ちついた。「それは結婚のようでした、ただしもっとまし。わたしたちにはいわば目に見えない当番がありました。わたしたちは毎晩ちゃんとしたディナーを互いのために料理した。わたしたちには役割があった。」ジャネットは事務処理をした。ヴィッキーはパンを焼いた。ニコラは日曜のディナーを作り、パーティーの後片付けをしたと彼女は言う。

彼女たちは互いを同居者以上とみなしたので、つまらない学生のハウススタイルの口論はなかったとジャネットは言う。「わたしたちは全員とてもきちんとしていてきちょうめんだが、また肩の力を抜いてくつろいでもいる。だから、たとえちょっとした混乱が存在したとしてもきちんと片づけた。離婚と同じくらいひどいことを終えてきているとき、その種のことは何でもないように見えます。」

大人たちはこの家庭の取り決めを選択したとはいえ、もちろん、子どもたちは選んでいなかった。子どもたちを偶然会わせることは面倒な原動力を引き起こしかねなかった。

「子どもたちがプラス思考の経験をしたのを確信することは最高でした。しかも、わたしたちは子どもにとってうそのない心からの家庭を作らなければならなかった」とジャネットは言う。「でも、まさに互いを支え合うことが実のところわたしたちによりましな親であるための感情的な余地をもたらしてくれました。」

大量の戸外の散歩、「リッチモンドの川でボートを漕ぐかまたはハイドパークに行くこと、わたしたち自身では機会を見いだせなかったほどよい昼間の外出」があっていつかは子どもたちがきずなを築いた。取り決めが終わって7年後、このきずなは強いままだ。「うそのない心からの強さがあったので、常に遊びのデートの相手の友愛以上でした、でも混合家族の強制はありません。子どもたちは突然、兄弟分になる必要はありませんでした」とジャネットは述べる。

大人と同様に子どもたちは経験を共有する仲間がまわりにいることから得をした。「特に年長の女の子たちはどのように感じたかについてたくさん話をしました。」

論争点の潜在的原因、しつけに注意が向けられた。「わたしたちは同じ育児のやり方ではありませんでした。ヴィッキーが一番ゆるかった、でもわたしたちは基本について同意しました、そして必要なら誰でも休みの人に話すことで不安なく快適でした。」

全員子どもたちが父親のもとに行っていたので一週早く祝った2回目のクリマスは本物の雪に注目された。「びっくりするようなクリスマスでないこのクリスマスはたぶんこれまでで一番しあわせな日でした」とジャネットは言う。

だが、このあとまもなくしてジャネットは次の夫ニールと出会った。「たくさんあきらめなければならないと感じました。関係を必要としなかったので非常にゆっくりそれを受諾しました」と彼女は言う。

ついに家庭は自然のコースをたどった。ジャネットは婚約;ヴィッキーとデイジーはもっと場所を必要とした;ニコラは新たなキャリアを始めた。「わたしたちはみなとても複雑な気持ちを抱きました、でもそれを自分自身を繭にくるまない申し分のない機会のように感じました。」

彼女たちの人生は密接につながれるままであり女性たちは今でも毎週お互い会っている。ヴィッキーの電話は今でも電話帳に「妻」と載せたままだとジャネットは言う。「わたしたちの友情は互いを必要としたとき、そこにいることにまったく束縛を受けていた。それは関係の合計以上になりました。」

https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2018/sep/29/it-was-like-a-marriage-only-better-the-single-mothers-who-moved-in-together?CMP=twt_gu

上の写真:ニコラ、ジャネット、ヴィッキーとその子どもたち