見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2022/04/14

暗殺国家ロシア

 


アンナ・ポリトコフスカヤのこと憶えていますか

わたしは彼女の取材手帳でもある著書『ロシアン・ダイアリー』(2007年)を読みました


2018年7月18日に西日本新聞が海外ニュースとして、おそらくロシア当局の手にかかって自宅マンションのエレベータ内で射殺されたアンナ・ポリトコフスカヤの記事を載せています


“ロシアのプーチン政権の批判を続け、2006年に殺害された女性記者アンナ・ポリトコフスカヤ(当時48)を記念した庭園「アンナの庭」が18日までに、生前所属したモスクワ中心部にあるロシア紙ノーバヤ・ガゼータの本社前に設けられた。

同紙幹部によると、ゴルバチョフ元ソ連大統領と懇談する中で、ロシア国外にはポリトコフスカヤの記憶をとどめるための庭園や広場があるが、国内では本社入り口に石碑がある程度だとの話になり、名前を冠した庭園設置のアイデアが生まれたという。

庭園は道路に面した花壇の中の木に「アンナの庭」との掲示を掛けた質素なもの”


下記は、国際人権NGOアムネスティ日本の2014年10月5日の追悼記事です


◇追悼 ロシア当局に敢然と挑んだポリトコフスカヤの死から8年

アムネスティ・インターナショナルはポリトコフスカヤの遺族や同紙の編集者、事件の黒幕を裁くために闘う人びとを支援してきた。

 

モスクワのクレムリンから2キロほど離れた高級住宅地。ひっそりとした裏通りの一角に、ノーヴァヤ・ガゼータ紙は本社を構えている。

この新聞社は、元大統領のミハイル・ゴルバチョフ氏がノーベル平和賞の賞金を基に1993年に創設した。以来、独立系を貫き、今日のロシアでは数少ない「表現の自由」を標榜する日刊紙である。ロシア社会に深刻な影響を与える人権問題を調査し、正確に伝えるメディアとして、国内外で認められている。

しかし、その役割には犠牲がつきまとってきた。今まで記者や寄稿者が4人殺害されている。脅迫を受けたり襲われた者もいる。

殉職した記者の中でも特に有名なのはアンナ・ポリトコフスカヤだ。彼女は紛争が続く北コーカサス地域に足を運び、長年にわたり精力的な取材で数多くの賞を受賞した。根っからの人権活動家として、チェチェン共和国での戦争に激しく反発し、紛争の裏に隠れる事実を暴くことを天職としていた。

そして2006年10月7日の白昼、モスクワ市内の自宅アパート前で襲われ射殺された。この日は皮肉にも、彼女が非難の矛先を向けていたプーチン大統領の誕生日だった。彼女は、報道記事や著書の中でプーチン大統領のチェチェン政策を痛烈に批判していた。

裁判所は今年6月、殺害の実行犯の元警官2人とチェチェン人3人に有罪を言い渡した。しかし、暗殺を命じた人物は依然として逃走中で逮捕には至っていない。


■「人殺しの思考回路」


笑顔と穏やかな人柄。エレナ・ミラシナの外見から常に身の危険にさらされている様子はまったくうかがえない。

ミラシナは、ポリトコフスカヤ亡き後、チェチェン問題担当の主任記者のポストを引き継いだ。現在は北コーカサスを担当する記者3人のデスクを務めている。前任者同様、ミラシナも職務上、極めて危険な人物を敵に回し、時には身に危険が迫る状況に出会う。

これまで取材した人物についてこう語る。

「彼らは人殺しで、人殺しの思考回路を備えている。彼らにとって問題解決の一番手っ取り早い方法は、殺すこと。仲間が何人も殺されているので、誰よりもよく分かっている」

この発言は単なる誇張ではない。本社の会議室には殉職した同僚たちの肖像写真が掲げられている。

身の危険にもかかわらず、記者たちはチェチェンのカディロフ首長下で横行している人権侵害を定期的に告発している。

「調査と報道を止めるわけにはいかない。亡くなった仲間たちのため、そして2つの戦争を経験したチェチェンの人びとの復興を助けるため、私たちにはその義務がある。チェチェンは、いまだに一党独裁国家だ。でも、それを記事にする人はいない。チェチェンを変えることができるのは報道しかない。」


■弾圧を受ける独立系メディア


ロシア当局が国内メディアを攻撃する理由は、悪い評判が広がることを恐れるからだ。ノーヴァヤ・ガゼータ紙は独立性を失っていないとミラシナが断言する一方で、ますます多くの独立系メディアが攻撃の的になっている。

2011年12月にメディア規制を強化する法律が採択されて以来、ジャーナリストやブロガーの「表現の自由」が侵されている。多くの独立系メディアが活動を規制された。閉鎖に追い込まれたところもある。その結果、今では国営のメディアが電波を独占している。政権に関する自由な討論や批判は封じ込められ、放送される番組は自己検閲済のものばかりだ。

メディアに対する弾圧は、今年(2014年)3月、ウクライナへの軍事介入が始まる直前に強化された。

その手段は、旧ソビエト連邦による無線信号の妨害工作を彷彿とさせる。2月に「情報、情報技術および情報保護に関する連邦法」が改正され、独立系オンライン・ニュースサイトが相次いで閉鎖された。

法律や他の検閲手段でメディアを統制できない場合には、暴力が使われることも少なくない。

つい先月、BBCの取材班が南ロシアで隣国ウクライナの武力紛争の影響を取材していたところ、何者かに襲われた。記者たちはひどく殴られ、カメラは壊された。警察に被害届を提出して車に戻ったところ、車内に残しておいたメモリーカード内のデータが消されていることに気づいた。

同じ月、テレビ局「ド-シチ」のプロデューサーがモスクワ市内の自宅近くで襲撃され病院に運ばれた。

ポリトコフスカヤ暗殺後も、政府にとって目障りな記事を報道した記者数人が殺されているが、事件の捜査は行われていない。


■正義を追求する政治的意志の欠如


ポリトコフスカヤ暗殺の真相を追及する点で、ノーヴァヤ・ガゼータ紙は事件直後から率先してスクープを報道してきた。

しかし熱心な報道にもかかわらず、当局を動かし司法を正常に機能させることは、かなわなかった。ポリトコフスカヤの息子イリヤは言う。

「誰が暗殺を命じたのかいまだにわかっていない。けれどもロシアの国営メディアは、事件が解決したかのように報道している」

これまでに5人を有罪にしたことには異論はない。ただ、実行犯は金銭のために暗殺を請け負った警察官に過ぎず、ターゲットが誰だったのかも知らなかったのだろうと、イリヤは考えている。

「真実が明かされるのは、新しい政府に変わってからだろう。事件の真相解明には、制度を変えるという意志を持って取り組むことが必要だ。プーチンが去れば、捜査が進み黒幕が誰なのかがわかるだろう。今の政権では望めない」

ポリトコフスカヤ暗殺事件は数多くの疑問点を残したままだ。暗殺を命じた人物が特定され裁判にかけられて初めて正義が全うされる。

(アムネスティ・インターナショナル日本)


https://www.huffingtonpost.jp/amnesty-international-japan/russia_b_5926080.html


そして、つい先日の朝日新聞の記事


◇ロシアの独立系リベラル紙「ノーバヤ・ガゼータ」編集長で、昨年ノーベル平和賞を受賞したドミトリー・ムラトフ氏(60)が4月7日、列車内で何者かに襲われ、赤いペンキをかけられた。ロシアによるウクライナ侵攻後に活動停止を余儀なくされた同紙の記者らが同日発足を発表したプロジェクト「ノーバヤ・ガゼータ・ヨーロッパ」がSNSで報じた。

ムラトフ氏が襲われたのはモスクワからロシア南部サラトフに向かう列車内。インタファクス通信が伝えた警察の話によると、襲ったのは男性2人組で、うち1人がムラトフ氏がモスクワの駅で列車に乗り込んだ直後にペンキをかけ、そのまま車外に逃げたという。

「ノーバヤ・ガゼータ・ヨーロッパ」は、上半身が真っ赤に染まったムラトフ氏の写真とペンキで汚されたコンパートメントの座席の写真をSNSに投稿。ムラトフ氏は「目がひどくヒリヒリする。彼(襲った男)は『おいムラトフ、ガキどものためだ』と叫んだ」とコメントした。


https://www.asahi.com/articles/ASQ482FWLQ48UHBI008.html


JBpress 2021年10月12日の記事『暗殺国家ロシア、白昼に射殺されたジャーナリスト』より

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/67273?page=2


2021年のノーベル平和賞は「表現の自由」のために戦う二人のジャーナリストに授与されることになった。その一人、ドミトリー・ムラトフ氏は1993年にロシアで「ノーバヤ・ガゼータ」紙を発刊、95年から編集長を務めている。


「ノーバヤ・ガゼータ」は政権のタブーに切り込む独立系新聞としてプーチン大統領と鋭く対立を続けてきた。特に第2次チェチェン戦争でのロシア政府軍による人権侵害を伝えた同紙記者、アンナ・ポリトコフスカヤの殺害事件が国際社会に大きな波紋を広げ、この事件には黒幕の存在が指摘されつつも、いまだに真相が明かされていない。


「ノーバヤ・ガゼータ」紙の特派記者、エレナ・ミラシナは言う。

「結局、この国では、軍服を着た人間や権力者はやりたい放題です。何をしても責任を問われない。反対にジャーナリストは、国家からまったく守られていない存在なのです」


「ノーバヤ・ガゼータ」には、ジャーナリスト襲撃事件をとりわけ熱心に報じるある理由があった。この2008年までに同紙のジャーナリスト3人が次々に悲劇的な死を遂げていたからである。


2000年5月、評論員(日本で言えば、論説委員あたりに相当する)のイーゴリ・ドムニコフが、自宅アパートの入り口でハンマーで頭を殴られ2カ月後に死亡した。03年7月には、副編集長のユーリー・シュチェコチーヒンが、毒物によると思われる奇怪な死を遂げた。


06年10月には、チェチェン戦争の真実を報道することに文字通り命を賭けた評論員のアンナ・ポリトコフスカヤが、白昼、モスクワ中心部の自宅アパートのエレベーターの中で射殺された。この事件は、「ロシアの言論の自由の危機」を象徴するものとして、全世界に衝撃を与えた。


↑ポリトコフスカヤ以外にも2009年には同紙の顧問弁護士でチェチェンの人権問題に取り組んでいたスタニスラフ・マルケロフ氏と、彼を取材中だったアナスタシア・バブロワ記者が白昼の路上で射殺されている。

https://www.jiji.com/jc/bunshun?id=52373