見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの、見つけたとき、 それを作品にしたり、思わずなにかの形にして、人に 伝えたくなります。 見つけたとき感じた、しあわせ感覚が、ひとしずくでも 誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

June 14, 2007

Dylanesque


ブライアン・フェリーが4年ぶりにアルバムをリリースしました。それも全曲、イーノとフェリーが好きだったボブ・ディランの曲なんです。すでに試聴版で聞けますが、最近はちょい鼻声のフェリー節「Positively 4th street(寂しき4番街)」も「All Along The Watchtower(見張塔からずっと)」も悪くないです。
アルバムタイトルは「Dylanesque」一度でなしに何度も繰り返し聞いてください。2002年「Frantic」には昔の仲間イーノが参加して、ファンにはうれしかった。フェリーがブライアン・イーノを訪ねたのがロキシーミュージックの始まりだと言われています。今回もイーノが参加しています。
フェリーのカヴァー曲、「煙が目にしみる」はバツグンです。何度かライヴを見てきましたが、腕まくり、といってもスプリングスティーンの労働者風とはまったく違います、やはりそこはダンディズムのおしゃれになっちゃうんですが、このスタイルが大好きで、年下の子たちに「かっこいいとはこういうこと」だと力説したことがありました。でもすでに中年期に入っていたし、若い子にははてな?だったんだと思います。でもね、そのひとりがジョグジャカルタあたりをバスで移動中にー当時国境を越えるバスなんかではスクリーンにMTVを流していたものなんですー彼女、バスの中のスクリーンでフェリーを見たんですって、「おお!これかー!かっこいいじゃん!」と思ったそうなんです。ほらね、時代を超えたかっこよさなんだって。でもね、最近、なんの映画だったか忘れましたが、タクシーの運ちゃん役(ちょい役)で出ていました、彼こそが、実はシリアルキラーだったんです!
最近は以下のようなトラブルもあったようです。

フェリーの個人的声明

私のことをファシズム、そしてもっと悪くナチズム崇拝者と叙述しているメディアでの、最近の新聞記事に応じて私は誤解をただしたい。

ボブ・ディランの歌で構成するニューアルバム「Dylanesque」を進めるうち、私は数ヶ月前のドイツ紙の45分のインタヴューのなかでスタイルとデザインにおける私の長いキャリアについて質問された。

このインタヴューで、私がナチズムを「驚くばかり(すばらしい)」と説明し、私のロンドンのレコーディングスタジオは「独裁者の隠れが」として知られていると言ったと、広範に報じられてきている。そしてまた、ドイツの二人のモダニスト、映画作家レニ・リーフェンシュタインと建築家アルベルト・スピアーの作品についてのたまたまある形式にこだわる面に関心があるのは、政治とヒットラー統治下のドイツ第三帝国を私が容赦する証拠であるとも言われている。

これらは間違った言いがかりだ。現に、そして本質的に、個人にあてつけて気を転倒させているのと同じく、ばかばかしい(非常識)。

私はこういった言葉でファシズムを描写しなかった、これまでにもないし、このインタヴューのなかで私はファシズムを論じてさえいなかった。私のスタジオを「独裁者の隠れが」と言及したことは一度もない。このインタヴューに起因する記事は私の感情、私が使った言葉を誤り伝えている、私が言ったことの意味をねじまげ、ひどく新解釈して、文脈からすっかり省いてしまっている。

ニューキャッスル大の美術学生として私はヨーロッパの現代主義を学んだ。他の多くの展覧会に加えて私は昨年ロンドンのヴィクトリア&アルバートミュージアムで開催された「モダニズム」展に行った。それにはスピアーとリーフェンシュタインの作品も含まれる。

アート史の視点から、ドイツ現代主義者の作品はすこぶる承認されている;彼らの作品への審美的興味そして歴史的関心が創作者の政治の是認に同意する証拠だと、あるいは彼らが尽くした人々について同意する証拠だと示すことは、率直に言って、ばかげている。

シンガー&ソングライターとしての私の全キャリアーには、アメリカの黒人とユダヤ人のアートの流儀とアーティスト(ソウルミュージック、ジャズ、ブルース、そしてハリウッドとブロードウェイ・ミュージカルのすばらしい作家とパフォーマーたち)に対する絶賛がある。

正気な人だれでものように、私は嫌でたまらない政治的駆け引きとファシズムのやり方とナチズムに気づき、私のコメントがメディアで誤り伝えられたときに故意でなく傷つけてしまった方々に深くお詫びをする。

ブライアン・フェリー

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