見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2008/01/19

look back at 2007 地獄に堕ちたイラク


デモクラシーナウ!が、昨年一年間に取り上げた「特に気になるニュース」を振り返る特集を組んでいます。実際には一昨年の12月30日になるんだけど、こんなもの見るなんて!と、どうしても心に引っかかっていたサダム・フセインの処刑のことが一番に挙げられていたので、もう一度振り返ってみることにしました。
番組でこれを取り上げたのは2007年1月2日です。フセインの処刑について個人的に気になったコメントと、そもそも処刑にいたるフセインの罪状とはなんだったのか?これについてラムゼー・クラークが書いた書簡の一部も加えます。こういうこと知ってましたか?

◇Our look back at 2007 by DemocracyNow!
サダム・フセインの絞首刑(国際法円卓討議、米国の役割、クルド人の反応と米国のサダムとの絆について言いつくろうメディア)
エイミー・グッドマン:身の毛のよだつような光景でした。土曜日の日没後、イラクの元独裁者サダム・フセインはバグダッドで絞首刑に処せられました。携帯電話で撮影され、インターネット上に公開されたヴィデオがサダム・フセインの処刑を準備する男の人たちを見せました。

◇サダム・フセインが「人道に対する罪」で処刑されたけど、理不尽な戦争を発動して多数を死に追いやった米大統領とその支持者たちに反人道罪はないのか問いたい。世界の不条理を嘆き、怒る眼と心が必要だ。
(作家「辺見 庸氏が語る」から抜粋)

◇英BBCなどによると、現地時間30日午前6時(日本時間午後0時)ごろ、イラクのサダム・フセイン元大統領の絞首刑が執行された。1982年に同国中部のドゥジャイル村の住民148人を殺したとして「人道に対する罪」に問われた同大統領は、先月5日に一審にあたるイラク高等法廷で死刑判決を受け今月26日、控訴院が判決を支持したことで死刑が確定していた。

◇ドゥジャイル事件
ドゥジャイル事件の罪状は、1982年夏イラン・イラク戦争最中にドゥジャイルという村でサダム・フセイン大統領および他の場所でタリク・アジスを含むイラク指導部の暗殺が試みられたことへのイラク政府の反応に関するものだ。
イランはイラクの3.5倍の人口と1972年から76年に米国から購入した240億ドルの武器でイラン領内からイラクを攻略しイラク領に侵入するのに成功した。イラン国境にもバグダッドにも近いドゥジャイル村は、イランで創立されイラク政府打倒を公約したダーワ党の地下組織の中心だった。ダーワ党は、共産党と同じくイラク国内では非合法とされていた。
フセイン大統領の乗ったクルマはドゥジャイルを通過中に発砲され被弾した。何人かがイランに向かって逃げるのが目撃された。その地域では数日間にわたって銃撃戦と小規模の戦闘が続いた。イラクのヘリコプターは暗殺者が隠れた道に隣接した果樹園を爆撃した。その道は、バグダッド北部からドゥジャイル、ティクリート、サマッラ、モスル、そして戦時中重要な輸送ルートだったトルコ国境へとつながる幹線道路だった。
数日してドゥジャイルで数百人が逮捕され取調べを受けた。村の人口の2%に満たないとても限られた数だった。逮捕された人々はバグダッド近くのアブグレイブに移送された。現在のアブグレイブ刑務所はその後に建設されたものである。ほとんどの収容者は子どもが両親と切り離されないように数ヶ月以内にドゥジャイルとイラン国境の西の砂漠の中の拘置所に家族丸ごと移された。彼らのほとんどは解放されてドゥジャイルに戻る2003年までそこに留められた。

米国は、1941年12月7日の日本軍の奇襲攻撃後、1942年の2月から3月にかけて西海岸の日本人と日系アメリカ人11万人を逮捕した。彼らの所持品はすべて没収され、1945年まで不毛な拘置所に彼らを監禁し続けた。

ドゥジャイルの道路に隣接した果樹園は、イラン人やイランに同調する人々が将来隠れる可能性があるため、伐採された。皮肉にも容疑者のドゥジャイルの住民2人は破壊された果樹園の所有者だった。所有者全員が損害を補償された。
イラクの司法制度に基づき2年間の調査を完了した後、ダーワ党と自白した148人が、戦時中イランに武力支援を提供するため武装蜂起した反逆罪で告発された。2週間以上かけてイラク法廷は調査記録と自白を照査し、有罪判決を下した。彼らには死刑が求刑された。
1985年、法に基づく大統領署名による執行命令によって死刑が確定した。容疑者の何人かが処刑された。刑務所で死んだ容疑者もいた。また何人かは当時18歳未満だった可能性もあった。フセイン大統領の弁護側証人は、最近ファルージャで当時の容疑者数人に会ったと証言している。

ジョージ・W・ブッシュはテキサス州知事時代に、女性、発育障害者、ウィーン条約に違反した外国人、犯罪を犯したとき18歳未満の人など152人の死刑執行に署名した。ブッシュは刑の執行を容赦することも軽減することもいっさいしなかった。

ドゥジャイル事件が持ち出されたのに、おおむね失望した。それは司法の問題であり、100万人が死んだ戦争中の事件だったからだ。暗殺計画はイラク国外では知られておらず、国内では忘れられた事件だった。イラン・イラク戦争での指導、クウェート侵攻、湾岸戦争勃発の際に蜂起したシーア派とクルド人に対するイラク政府の反応、1984年から86年にかけて北部クルド人居住地域でのイラク軍とイラン軍の毒ガスの使用こそが、どれも数万人規模の死をもたらす主要な事件であり、国際的にも認知されたことだった。ドゥジャイル事件を最初の裁判に選ぶとは信じられないと法学者に広く批判された。
(国際行動センター、ラムゼー・クラーク)

◇イラク高等法廷のサダム・フセイン大統領ならびに他の容疑者に対する非合法で不公正な審理は国際法を脅かしているーー。
ドゥジャイル事件が最初の裁判に選ばれた理由は政治以外の何ものでもない。バース党のメンバーが排除され、フセイン政権に反対する候補者だけが公職につくことができる選挙を米国が支援していると同時に、米国の一部となっているシーア派とクルド人指導者は資金を供与され表の顔になり一般国民に知られるようになった。
新しい議会でダーワ党は他の政党より大きな権力を握った。選挙後、最初のイラク首相ジャファリ、そして次の首相マリキは、いずれもイランで創立されバース党を打倒すると公言して20世紀最後の10年間と21世紀初頭にイラク政府に対する暴力闘争(今の定義で言えばテロ行為)に従事していたシーア派政党ダーワ党の指導者だ。
この裁判はイラクに対する米国の侵略戦争と不法な占領で現在権力を握ったダーワ党がその力を誇示し、復讐を実行するための、復讐劇に他ならない。
米国が保護している刑事被告人たちを保護するはずのないイラク現政権に引き渡す前に、国連の適切な機関がISTイラク高等法廷の適法性と公正さを再調査し決める必要がある。
公正さで国際基準に深刻な損害を与え、国際法の屈辱的な失敗とすでに人々を耐え難い恐怖や暴力や死でもって苦しめている内戦という二重の厄災を取り返しがつかないほど悪化させる危険に直面している。
国連総会で、ドゥジャイル事件の審理の適法性に助言的意見を与えるよう国際司法裁判所に要求すべきだ。 
(2006年10月10日、ラムゼー・クラークが各国国連大使に宛てた書簡より抜粋)
http://www.iacenter.org/Iraq/hussein-2-102006.htm