ブッシュの言葉に意味はない
◇では狂気はどこで終わるのか?
内戦の集団墓地に埋められたあらゆるモンスターが掘り返されている
by Robert Fisk
なにが今週の最悪部分だったか私には確信がない。レバノンでの暮らしか?ジョージ・ブッシュのけしからぬ言葉を読むことか?幾度か私はこの疑問を自問している。言葉はその意味を失っているのかと。
そういうわけで、ベイルートのコクトーレストランでランチといこう。そう、そこはジャン・コクトーにちなんでつけられた、そしてそこは町で最もシックな場所のひとつだ。テーブルには堂々とした花、完ぺきなサービス、すばらしい食事。そうとも、前日、20ヤード離れたソデコで銃撃があった。レバノン政府の事実上の崩壊と、ヒズボラの勝利として認めなければならないこと(ジョージ・ブッシュにこれを理解しろと求めるな)をものともしないイスラム教スンニ派(そしてサウジ)と、さらに多くの通りでの銃撃の危険に、私たちはすでに気をもんだ。だが私は、些細なこと、10人か12人の民兵が捕まってレバノン軍に引き渡される前に殺された、レバノン北部での重要でない皆殺しを持ち出した。彼らの死体は、どうもこれは正しいようだ、死後手足をバラバラに切断された。
「彼らはそうなって当然だった」と私の左のエレガントな女性が言った。私はぎょっとし、当惑して、むかつき、深く悲しみに沈んだ。そんなことがどうして言えるものなのか?だが、ここはレバノン、多数の人、私のカウントでは62人がこの数日に殺されてきており、内戦の集団墓地に埋められたあらゆるモンスターが掘り返されていた。
私はコクトーでescalope du veauを選んだ。私がどれほど早くこれに決めるかにうんざりさせられる。そしてレバノンで目撃していることにどんなに激怒するか、親愛なるレバノン人(そして彼ら全員が私には貴重だ)の友人たちに説明するのに私は精力的だった。
3日前、アベド(長年のフィスクの運転手)がクルマで私を国の北部まで進ませたとき、弾丸がトリポリの壁に突き刺さっていて、それを見てぎょっとしたシリアとの国境の税関職員のひとりが私に、彼や彼の友人たちといっしょにとどまるよう求めた。私はとどまった。彼らはオーケーだ。
だが、逆の宗派の出身であることがまた突然決定的になる。君の運転手が誰で、君の大家の宗派がなんであるかが、突如として計り知れない重要な問題なのだ。
昨日の朝、海に面した私の一室の界隈で学校が再開し、見晴らしのよい断崖沿いの道路を自転車で下りていくヒジャーブ姿の女性を見た、そして今度のヨーロッパへの短い旅のことで旅行会社から電話があった。ベイルートの空港が再開した、そして私はレバノンが「平常に戻った」のを実感した。
道路がまた通れるようになった。目隠しをしたガンマンどもの姿はなかった。政府はヒズボラとの対決を断念していた。空港のシーア派イスラム教徒の警備主任の解雇(その人が一年前にシャンペン1本くれたのをどうやら私は憶えているらしい、彼がヒズボラの「スパイ」だと!)とヒズボラの秘密通信システムを解体するとの政府の要求は失敗の最後のしるしだった。そうして新聞を広げた私がそこで読んだのは?
「その地域全体のイスラム教徒らが、テロリストのビジョンのなさと彼らの大義の不正を認めるに従い、アルカイダ、ヒズボラ、ハマスは負かされるだろう。」と、エルサレムでジョージ・ブッシュが宣言したものだ。
狂気はどこで終わるのか?言葉はどこでその意味を失うのか?アルカイダは負かされてきていない。ガザのハマスの戦争と同じく総体で、ヒズボラはレバノン国内の戦争に勝ったばかりだ。アフガニスタン、イラク、レバノン、そしてガザは地獄の災難である。1948年パレスチナのチャーチルに関する記述をまた引用することで謝罪するまでもない、そしてこの愚かでバカで悪意のある男がまたもや世界に対してウソをついている。
どんな中東「和平」を指揮するにもずばぬけて不適任な男、Kut al-Amaraのブレア卿と、彼は「秘密」の会合を催した。思うに、このことが、会合が秘密である必要があった理由なんだろう。だが、彼はイスラエルの民主主義に世界の賛意を述べる。代々所有してきたパレスチナ民族の土地を彼らから奪い続けている民主主義から、まるでパレスチナ人たちが恩恵を受けるかのごとく。
私たちはこれを本当に受け入れる必要があるのか?「国連が、中東で最も自由な民主主義に対して世界の他のどこよりも多くの人権決議を採択するのは、恥さらしのもとだとわれわれはみなす」とブッシュは述べる。
パレスチナの土地を盗むことで、国連がイスラエルに足かせをはめられていない許可を与え続けることが、恥さらしのもとだというのが真実だ。これが、中東における唯一のアメリカの同盟国に対して国連が人権決議を採択することが(ワシントンにとって)恥さらしのもとであるその訳なのだ。
そして私が暮らすこの国でワシントンがなにをしているか?ワシントンはレバノン軍司令官に会いに行き合図で知らせるため、トップの軍司令官のひとりを送っている。レバノン政府へのワシントンの支援をなげうってきているのではというのが増大するフィスクの感づきだ。
なるほど、常に中東の軍隊にはいっそう多くの装備、武器、弾薬なのだが、もう一度言っておく(軍隊が好きではない私が繰り返すのだ)、レバノン軍が今週もっぱら私たちを救ったのだ。その軍の最高司令官、ミッシェル・スレイマン将軍が次期大統領になることになり、アメリカ人たちは彼を支持して、彼らが常にするように、担当するひとりの将軍を有して安全だと感じることだろう。レバノン人ならこう言うはずだ、「Chehabism(チェハブ主義)」が戻っていると。
だが、私はそれほど確信しない。スレイマンはダマスカスとうまくやっていく。彼が親米・ヒズボラとの戦いに彼の兵士たちを導くつもりはないだろう。そしてレバノン人は、ブッシュの正気でない「世界のテロ」との「ジハード(聖戦)」に仲間入りするつもりはない。
今週、レバノン北部でうれしい瞬間があった。チェックポイントのレバノン兵士がクルマの中にいる私を見つけて道路に走り出てきたとき、私の勇敢な友人アベドをことさら励ましたのだ。
「あなたはロバート氏ですよね!」彼が大声で言った。「TVで見ています!あなたの本を読みました!」そうして彼は親指をあげて「いいぞ!」の合図を送ってよこした。そして私はこの男を喜ばせなければならない。そして彼はきっとレバノンのために戦うだろうと私は考える。だが、アメリカ人のために彼が戦うとは思わない。
(UKインディペンデント紙 18 May 2008)
▲ロバート・フィスクの新著「The Age of the Warrior: Selected Writings」が、Fourth Estateから出版される。ロバート・フィスクは、現在レバノン在住の中東専門のイギリス人記者、インディペンデント紙などにコラムを掲載。
写真は、監督、プロデューサーのシドニー・ポラックです。5月27日亡くなりました。73歳。
映画「マイケル・クライトン(邦題:フィクサー)」に出ていたのが最後となりました。彼は40年間、ハリウッドをリードするスターたちと仕事をしてきています。
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