見つけた 犬としあわせ

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2009/02/21

コロンボの街が警戒態勢



◇タミールイーラムの虎の飛行機がコロンボを急襲
そのうち一機がコロンボの国際空港近くに落ちた

スリランカの反乱軍タミールの虎が首都コロンボを攻撃して、2人を殺害、約45人を負傷させたと当局者は申し述べる。

どちらの飛行機も撃墜され、一機が内国歳入庁を攻撃して犠牲者が生じたと当局者は述べた。建物はひどく損傷を受けた。

もう一機は首都の空港近くで撃墜され、空港が閉鎖された。

スリランカ軍がタミールの虎をスリランカ北部の尻込みするジャングル地帯に追い込んでいるところへ、この急襲が起こった。

反乱軍支援のウェブサイトTamilNetは、タミールイーラム解放の虎(LTTE)がこの攻撃を実行したと言った。

反乱軍の隠されたすべての滑走路を破壊して、反乱軍の小さな空軍の戦闘力を失わせたと主張してきているスリランカ政府にとって攻撃は大困惑に等しいと特派員らは言う。

昨夜21時30分、供給電力が絶たれて高射砲からのサーチライトと曳光弾が夜の空を通り抜けるとき、コロンボの街は完全警戒態勢に置かれた。

(BBC NEWS 20 February 2009 記事の前半部分のみ)

写真はコロンボの国際空港近くで撃ち落とされた飛行機の残骸

▲2008年アムネスティインターナショナルの報告によると、スリランカでは人権侵害が悪化しつづけている。数百人の強制失踪、人権擁護活動家の殺害、意図的逮捕が行われてきており、スリランカ全土で拷問が蔓延していると結論づける。

▲タミールイーラム解放の虎(LTTE)について:
 人口の約74%がシンハラ人、約13%が古くから住んでいる「スリランカタミール人」、約5%がイギリス植民地時代にプランテーションの労働力として移住させられてきた「インドタミール人」と、スリランカは多民族国家。
 植民地時代、シンハラ人(主に仏教徒)はイギリスの支配に対立・抵抗を続けたのに対し、比較的従順だったタミール人(主にヒンドゥー教徒)がイギリス政府に重用されていた。
 1947年の議会選挙で1人1票制が採用され、シンハラ人が当時のセイロン政府で多数派を得た。だが高地ではシンハラ人よりもインドタミール人が多数派で、独立直後の政府にとって脅威であったため、受け入れられなかった。
 インドタミール人は1948年制定の「セイロン市民権法」により公民権を失い、1949年の「国会選挙法」により選挙権を失った。
 さらに1956年、バンダラナイケ政権は「シンハラオンリー法」を採択し、タミール人への差別が始まった。
 1965年にはシンハラ人による反タミール人キャンペーン、民族浄化を提唱する人民解放戦線が創設された。
 一方、タミール人の穏健派は政治的手法を用いながら、インドのタミールナドゥ州およびスリランカのタミール人居住区からなる統一タミール人国家の創設を主張した。
 1975年5月5日、タミールイーラム解放の虎(LTTE)が設立される。1979年になると、タミール人に著しく不利な「大学入学の標準化政策」の阻止を目的に、武装した若者による過激派が形成されていく。
 1980年代、スリランカ政府は穏健タミール政党を非合法化し、タミール人との対話を完全に断絶する。LTTEはゲリラの訓練をインド南部で行い、訓練キャンプを各地に設立、本格的な武装闘争を展開し始める。
 LTTEのテロ活動として、1991年5月21日元インド首相ラジーヴ・ガンディーを、1993年5月1日プレマダサ大統領を暗殺した。
 LTTEのテロにより治安情勢は顕著に悪化、1998年には非常事態が導入された。1999年12月18日クマーラトゥンガ大統領の暗殺未遂が起きる。
 2000年以降はノルウェーの調停で停戦していたが、LTTEの爆弾テロはやまなかったため、2006年スリランカ軍が北部拠点の空爆を開始、LTTEは停戦崩壊を宣言した。これを受け政府側も2008年1月3日ノルウェー政府に対し停戦破棄を通告、同16日に失効した。
(Wikipediaより抜粋)