見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2010/03/09

イラク戦争支持は国際法違反



◇イラク戦争は違法と2001年にブレアが警告

チルコット審問(イラク独立調査委員会のこと:議長の名を取ってそう呼ばれる)によって差し控えられる秘密文書が侵攻について外務省の不安を明らかにする



侵攻は違法になる、「多数の犠牲者」とイラクの崩壊に導きかねない、と主張する外務省の有力な官僚の警告に加えて、イラク侵攻は軍事行動が取られる2年以上前に政権内で議論されたことを、インディペンデント紙は明らかにできる。

ゴードン・ブラウンが侵攻という政府の決定での彼の役割を説明するよう求められるイラク審問に出廷するちょうど3日前、結局はトニー・ブレアによって支持された政策にある程度まで抵抗する英国政府の政策が出現する。

2000年の終わりに上級公務員によって作成された秘密の外務省戦略文書はこの新聞によって入手され、本日初めて公表される。イラク:将来の戦略文書は好戦的なイラク指導者サダム・フセインと交渉する選択肢を考慮する。それはジョン・チルコット卿のイラク審問が発表を辞退してきている欠かせない重要文書のひとつだ。

「政権打倒」の政策は提案されるが、きびしく糾弾される。軍事行動を取ることの結果についてびくびくおびえた不吉な査定でこう述べる。「そのような政策は有益な国際的支持を少しも集めません。成功する表だった攻撃はたぶん国土侵略を含める大規模な軍事行動を必要とするでしょう。これは多数の人的損害と、ひょっとしたらサダムによる抑止力かまたは大胆な抵抗の、最後の最後まで戦う極端な行為の危険を冒すことになります。」

有力な官僚が付け加える。「それはまた違法でもある。これに反して、内密の攻撃が成功するようにはとても思えないしイラクをばらばらにする危険を冒す、それは明らかにその地域の私たちのもっと広い利権と相容れないものとなる。」2003年3月の侵攻の結果としてイラクは暴力に身を落とした。100人以上のイギリス軍に加えて数十万のイラク人が侵略直後の時期に殺された。

文書はまた、サダム・フセインを倒すのに軍隊を使うことはもっぱらニューヨークの9.11テロ攻撃後に議論されたとのブレア氏の主張に疑いを差しはさむ。そしてこの夏、さらなる公開証拠を示すためにブレア氏を再び審問にかけることで審問への圧力を強めることだろう。

自由民主党の党首ニック・クレッグは、それは英国をイラク戦争へ持っていくブレア氏の決定に反対して「さらにいっそう有罪を証明する証拠」だと言った。彼はまた、文書がチルコット審問によって公開されなかったという事実が、国家機密などにかかわる微妙なデータを明らかにする能力に関し「重大な疑問」を起こさせたと警告した。政府は機密文書の公表を差し止める権限を保持してきている。チルコット・チームと英国政府との間で合意した冒頭の定式文は、異議を唱えられる文書の公表では最終決定権を行政長官ガス・オドネル卿に与える。
 
情報自由法を使って文書を確保する要求は最初拒否された。しかしながら、インディペンデント紙が内部調査を要求した後、ついに外務省は米国と他の国々の見解を黒で塗りつぶした編集版を公表することに同意した。「文書の公表は政府をもっと説明できるようにさせて信頼を増させる」と外務省は容認した。「大臣やその後の意思決定に与えられる忠告の質を査定できるという公益がある。」

戦争に頼る決定を批判する者たちは文書に乗じた。「私たちを戦争に従事させる政府の核心における彼の役割をゴードン・ブラウンが擁護しようとする数日前、これはイラク侵攻を正当化しようとの試みに反対して、さらにいっそう有罪を証明する証拠である」とクレッグ氏は言った。「政権交代は違法で私たちの国益に反すると、外務省は、はっきり忠告されていた。」

ジョージ・W・ブッシュをホワイトハウスに導いた2000年11月の大統領選より先に、戦略文書は、当時の外務省中東政策の指揮者William Patey卿によって依頼された。

兵器査察官のイラクへの出入りを許すよう求める1999年の国連決議は、「瀬戸際でほころびを見せ始めて」おり、「威信を失う」のはわけない、査察官との協力でサダムを見捨てる、という話だ。しかしながら、それはサダムを「牽制する(封じ込める)」政策を勧め、できたらバグダッド政権に押しつけられる制裁を緩めることを忠告して「イラクの方に向かう私たちの政策目標達成のため最良の選択肢」を残す。それはこう結論を下す。「この段階で他の代案はパッとしない」ままであると。

(インディペンデント紙 02 March 2010
by Michael Savage, Political Correspondent)
 
▲写真は問題の文書(インディペンデント紙)
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◇イラク戦争検証 欧州から学ぶべきもの

イラク開戦から7年ーー。米国と連携した英国は戦争遂行の是非をめぐる検証を進め、5日にはブラウン首相が証人喚問に臨む。“大義なき戦争”に向き合おうという姿勢には見習うものが多い。

イラク戦争はブッシュ前米政権が英国と始めたが、大量破壊兵器の開発や国際テロ組織アルカイダとの関係という疑惑は“幻”だった。開戦以来の死者は、米軍が中枢同時テロ犠牲者数を上回る4千人を超え、英国兵士は200人近く、イラク国民に至っては約10万人にも上る。歴史的汚点だろう。

目下国家再建が進行し、オバマ米政権は米軍撤退にかじを切ったが、戦争を客観的に総括するほどの余裕はない。

ところが英国は違った。戦争の正当性や占領政策に疑問を持つ世論や野党の突き上げからにせよ、ブラウン首相が昨年7月、歴史学者や元外交官ら5人からなる独立調査委員会を設立。政府の機密書類を精査し、公聴会で政治家、外交官、軍、情報機関幹部を喚問し、世界の耳目を集めてきた。

「イラクは生物化学兵器を保有し45分以内に攻撃できる」。開戦前のブレア首相報告だ。ブッシュ政権も「イラクのウラン(核兵器の燃料)入手を英政府が突き止めた」と断じた。だが公聴会で外務省元幹部は「その情報は精度の高いものではなかった」、元法務長官は「開戦の合法性は疑問」と首相に伝えたと証言した。

これに対し、1月末に登場のブレア氏は「フセイン政権の危険性を放置できなかった。開戦判断に誤りはなかった」と反論。開戦当時、ナンバー2の財務相だったブラウン首相も5日証言する。

実は復興支援で部隊派遣したオランダがやはり独立調査委員会をつくり、同様の検証を先行させ、このほど「イラク戦争への政府の支持は国連決議に基づかず国際法違反だった」と結論づけている。

日本では自民党小泉政権が開戦を早々と支持、復興支援への自衛隊派遣をめぐる議論などが国会でなされはしたが、第三者的な委員会で検証する動きは見られない。

国柄や歴史観の違いは当然あるにせよ、民主主義を標榜(ひょうぼう)することは同じである。民主主義は国家のしたことを国民が知り、省みることができてこそ成立する。日本の地域紛争への対応や支援は今後も予想される。憲法や国際法を踏まえた検証の不可欠なことを欧州は教えているのではないか。

(中日新聞社説 2010年3月5日)