見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの、見つけたとき、 それを作品にしたり、思わずなにかの形にして、人に 伝えたくなります。 見つけたとき感じた、しあわせ感覚が、ひとしずくでも 誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

August 23, 2010

既成事実になる景色



◇エルサレムで防壁が解体される

エルサレム:日曜日イスラエル軍は、以前騒然としたエルサレムのふちの街の住民をパレスチナの狙撃兵の発砲から保護したコンクリートの防壁の解体に取りかかった。

2000年に勃発する激怒したパレスチナ人の反乱、第二次インティファーダの絶頂で、防壁の法外なコンクリートブロックは、峡谷の反対側、ヨルダン川西岸地区の村の家や屋上を接収したガンマンから、大部分がユダヤ人のGiloの住民を守ってきていた。

一時しのぎの防壁はすぐにイスラエル・パレスチナ闘争の地理的な親密関係のシンボルになった、そして紛争のきずあとによる人生の不確かな実態のシンボルになった。それの解体が今度は空間にはびこる静けさに生々しい表情をもたらしている。

平素は峡谷だけが圧倒的にキリスト教徒のヨルダン川西岸地区の村Beit Jalaとベツレヘムに近い反対側の山の一面にむやみに広がる他の場所からGiloを隔離した、Giloは1967年戦争でヨルダンからぶんどった土地にイスラエルによって築かれる。エルサレム全市内の境界は戦争後イスラエルの指導者らによって輪郭をはっきり示され、Giloは、大部分のイスラエル人によって市の南の居住区のひとつに見なされる。けれども、大部分のパレスチナ人はそれを占領地に建てる入植と見なす。

第二次インティファーダ初年を通じて、以前の聖書の含みのある呼び物の光景のHa’anafaやHashayishのような最前線の中心地区が戦場になった。パレスチナ人闘士は渓谷越しに銃弾や幾つか迫撃砲を発射して、数名が重症を負う。山の背に配置されるイスラエルの戦車が撃ち返した。

2001年、イスラエル軍は少しの間、1990年代半ばパレスチナ当局の出現以来初めて、Beit Jalaの一部を掌握した。2002年、コンクリートブロックが数区画でいくつかの通りづたいに立ちあがり、合計で約600ヤードに及んだ。

美学生がグレーのパネル盤の壁に絵を描いた、壁が覆い隠した丘やオリーブの木や家屋を描写した。それは、スーサイドボンバー(自殺爆弾犯)を中に入れないとの公然たる意図でイスラエルがその後まもなく組み立て始めたヨルダン川西岸地区の防護壁の規模を小さくした局地的バージョンのようだった。フェンスと壁から成り立つそんな防壁の広い区間もまたGiloの地からはっきりと肉眼で見える。

数年間の静止あとに、ある人々は反スナイパー・バリケードを取り払うよい機会だと判断した。居住者がエルサレム市当局を相手に論争を起こして、治安当局者が保護区画を除去してもよいはずだというのに承諾を与えたと、市役所のスポークスマンは言っていた。

「私たちは2002年の私たちではない」と軍の工学技術兵団の将校、Yoram Bitonは言った。彼はクレーンがブロックをトラックに吊り上げるのを見守った。「パレスチナ当局はしっかりしてきたし、きちんとした警官隊を持っている。」

居住者のRicki Peretzは、「恐怖を取り除く」よい時期だったと言ってバリケードの撤去を称賛した。

多くの居住者が確信できないらしい。

「必ずまた狙い撃ちが始まる」と、Hashayish通りに住む4人の子の母、30歳のRacheli Aroetiは言った。「当局者は失策をしている。」

Hilda Aharoniはパレスチナ人を信頼していなかったと言った。「私たちの安全が肝心です」と彼女は言った。「光景には関心がなかった。」

コンクリートブロックはほど近い陸軍基地に向かっている。必要なら、いつでも戻すことができるだろうと軍当局者は言った。各ブロックは番号を付けられていて、ある日Giloのバリケードが再び組み立てなければならないとして、ひとつひとつ正確に順を追って置くことができる。

(BBC 15 August 2010 by ISABEL KERSHNER)

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