見つけた 犬としあわせ

ニュースのファンジン、世界のニュースのサンプリング。 一枚のCDを聴くように一枚のコラージュを眺めるようにこれを体験して欲しい。

2011/04/23

東京も風下の人間たち


◇チェルノブイリの被災者が来日 「原発 考え直すべきだ」

1986年のチェルノブイリ原発事故から26日で25年になるのを前に、被災した非政府組織(NGO)メンバー、パベル・ウドビチェンコ氏(59)が22日、来日。東京都内で記者会見し、福島第1原発事故について「チェルノブイリと同じく世界を震撼させた。どんな楽観論者でも原発の存続について考え直さなければならない」と指摘した。

同氏が住む町はチェルノブイリ原発から約180キロ離れているが、土壌が放射性物質で汚染され、今でも木の実やキノコ類、魚などは食用禁止。甲状腺ガンなども多発しているという。

教師として汚染地域に住み続けNGOを結成、子ども向けの医療などに取り組んでいる同氏は「ロシア政府は事故による病気の調査に消極的だ。なぜ原発を造るのかという大きな問題に広がり、政府にとって危険な動きになるから」と指摘。「問題は山積しているが、政府はあてにできない。自分たちで行動するしかない」と訴えた。

医師や教師が離れてしまい、医療や教育の水準が低下したとして「子どもたちは満足な医療が受けられず、差別的な目でも見られている。苦しみは続いている」と話した。(共同)

(引用元:東京新聞 2011年4月22日)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011042201001209.html

チェルノブイリ原発事故から25年、当時汚染地区で処理に当たった人たちの子孫が科学的に立証されていない放射能被害の遺伝におびえ、精神的な圧迫感に悩まされているという

◇次世代に受け継がれた「不安」と「おびえ」

ウクライナの首都キエフ市西部にある放射線臨床研究所。3階にある小児科の入院施設には、3~17歳の子供たちが生活する一角があった。...大半の子が原因不明の複数の病状を訴えている。

原発事故の後始末に当たった人々は「リクビダートル」(ロシア語で処理人の意)と呼ばれ、その数は事故後の5年間で30万人に上るという説もある。彼らの血を引く子には特別な証明書が発行され、中には健康の異常を訴えて入退院を繰り返す子もいるという。

原発事故から10年以上経って生まれた子供たち。しかし、放射能による疾患の遺伝を立証するデータはない、と研究所のガサノフ副医長はいう。「リクビダートル本人に関しても、どの疾患が放射能によるものか科学的に断言できない。遺伝についてはなおさらだ」

半面、精神的な不安は小さくない。「チェルノブイリの場合、ストレスという別の要素が病気の原因の一つだ。人々はもう25年間も、遺伝による病気になるのでは、という不安を抱き続けている」(副医長)

同研究所を管轄する放射線医学調査センターのバジカ副所長は、「被曝した人から生まれた子供たちは病弱だという統計があるが、遺伝しているのは病ではなく体質だ」と話し、何世代もの追跡調査を行う方針を示す。

(引用元:MSN産経ニュース 2011年4月22日)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110422/erp11042219510005-n2.htm

チェルノブイリ原発事故では原発から30キロ圏内が「放射線危険ゾーン」だった。
1986年、放射線生物学者としてチェルノブイリ事故の汚染除去作業を指揮したナタリア・マンズロヴァは、事故処理作業チームに加わった科学者14人の中で唯一の生存者だ。彼女はこう言っている、「政府発表を鵜のみにせず、自分の身は自分で守れ」と。
以下、ダイヤモンド・オンラインの特別レポートから彼女のインタビューの引用ーー。

福島原発の放射能汚染による健康被害はどこまで拡大すると思うか。
福島原発の原子炉からの放射能漏れが完全に止まった時点で汚染地域の放射線量などを測定してからでないと、全体的な健康被害の規模を予測するのは難しい。
たとえば、一定量の毒物を入れたコップの水を一気に飲めばすぐに死ぬかもしれないが、それを毎日少しずつ飲めば、しばらくは元気でいられるかもしれない。しかし、それでも毒は少しずつ体に蓄積され、いずれ命の危険にさらされるだろう。健康被害が早く出るか遅く出るかの問題である。
放射能の影響を受けた子供や妊娠中の女性がこれからどうなるかを真剣に考え、対策を講じることだ。

国民にとって大切なのは政府発表を鵜のみにするのではなく、自ら学び、考え、主体的に判断をして行動することである。

(当時、チェルノブイリの)科学者チームメンバーのほとんどが体調不良を起こした。インフルエンザにかかったときのように高熱が出て体が震え、全身の筋肉が痛んだ。また、突然の眠気に襲われたり、異常に食欲が増して常に何かを食べていないと我慢できないような状態になったりした。体のなかの良い細胞がどんどん減り、悪い細胞が増殖しているのを実感した。

作業チームに加わった科学者14人のうち、あなたを除いて全員が亡くなったというが。
その通りだ。私たちはみなチェルノブイリ事故によってすべての国民が放射能汚染にさらされることを懸念し、作業チームに加わったのだが、不幸にもガンなどにかかり、命を落とした。
私自身も作業を始めて3年後に甲状腺ガンが見つかり、甲状腺の半分を切除して摘出した。その後3年間はひどい体調不良で仕事はできず、ほぼ寝たきり状態だった。
甲状腺ガンも再発し、2度目の手術で甲状腺をすべて切除してしまったため、今はホルモン剤治療を受けながら、なんとか生きている。

チェルノブイリ事故の死者は4000人と報じられているが、実際には100万人が死亡しているとの報告書も出ている。どちらが正しいのか。
真実は誰にもわからない。しかし、どちらが真実に近いかと問われれば100万人の方だろう。当時、ロシア、ウクライナ、ベララーシ各共和国では医療制度はモスクワ政府の管理下にあった。多くの医師は、患者が放射能汚染が原因と思われるガンなどで亡くなったにもかかわらず、死亡診断書にそれを書かなかったことがわかっている。

http://diamond.jp/articles/-/11970

◇微量放射能による被害は10年後にやってくるーー「東京も汚染地域」

4月14日、渋谷アップリンクにてイラク、広島と長崎、アメリカの被爆者たちに焦点を当て、目に見えない微量放射能による被害とその関係者を取材した社会派ドキュメンタリー映画「ヒバクシャ 世界の終わりに」(2003年)上映後、鎌仲ひとみ監督によるトークショーが行われた。

映画に登場するアメリカ最大の核施設でプルトニウム製造工場があるハンフォードでは原爆の製造から何十年間におよび、放射性物質が環境にばらまかれ、放射性ヨウ素131を気象観測用のバルーンを使ってばらまく実験まで行われた。風下に広がる広大な農村地域の住民が被ばくした。ハンフォードの「死の1マイル」と呼ばれる地域の説明には、一家全員がガン、奇形児を出産後に自殺、甲状腺機能障害と続き、1マイル四方に住む28家族のほとんどの女性に甲状腺障害があり、全員が流産を経験していた。

「テレビでは、安全です、大丈夫です、と繰り返している。わたしはそれを犯罪だと思います」、12年間、原子力問題と向き合い続け、被ばくに苦しむ人々を取材してきた鎌仲ひとみ監督はトークショーできっぱり言い切った。被爆した多くの子どもたちが白血病やガンに苦しむ姿を見てきた。放射性物質の影響が大きい小さな子どもたち、妊婦たちはどうだろう。彼らが微量の放射性物質を浴び続けるとどうなるのか、悲劇はすでに始まっている。「一刻も早く、福島から、子どもたち、妊婦たちを避難させたい」と鎌仲ひとみ監督は訴えた。

また監督は、東京も例外ではないと警告した。「風や、雨に乗って半減期30年の放射線セシウムが東京に降り注いでいます。土壌は汚染され、小学校のグラウンド、公園の砂場も汚染されます。東京だって、"汚染地域"です。ハンフォードと同じ、風下の人間たちになってしまったんです。」

目に見えない放射性物質は、ゆっくりとわたしたちの体内に蓄積していき、10年後、15年後、ガンや白血病となってわたしたちに襲いかかる。そのとき、政府は安全だと言っていたのにと声をあげたところで、2011年の福島原発による放射性物質の被爆によってガンになったという因果関係は立証できない。「東京に住む人々は、福島原発に無関心過ぎた。加害者でもあると同時に、わたしたちは被害者になってしまったんです。」
「プロパガンダの罠にはまらず、自分で調べて、考えて」と監督は訴えた。

△鎌仲ひとみ監督のその他の作品:六ヶ所村核燃料再処理施設の問題に焦点を当てた「六ヶ所村ラプソディー」(2006年)、エネルギー問題をテーマとした「ミツバチの羽音と地球の回転」 (2010年)

(引用元:シネマトゥデイ・映画ニュース 2011年4月17日)
http://www.cinematoday.jp/page/N0031748

△上のマンガは、21日、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙に掲載された白雪姫と毒リンゴの一コマ(共同)