見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの、見つけたとき、 それを作品にしたり、思わずなにかの形にして、人に 伝えたくなります。 見つけたとき感じた、しあわせ感覚が、ひとしずくでも 誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

May 05, 2011

オサマ殺害の映像はとだえた


アシュクロフト長官が倫理監督だって、それも傭兵事業でだよ!恐れいるね

◇ブラックウォーターの「倫理」取締役としてアシュクロフトが雇われる

民間軍事会社ブラックウォーターが、会社の新しい「倫理」責任者として米国元司法長官ジョン・アシュクロフトを雇ってきています。声明でブラックウォーターは、説明責任を監督して倫理とプロ意識を促進することに割りあてられる"独立した取締役"としてアシュクロフトはつとめてくれると言います。17人の民間人を死なせ20人余りを負傷させた2007年バグダッドでの無差別銃撃殺人に関与のため、現在ブラックウォーターは取調べ中です。会社はまた、無許可の兵器を手に入れるため書類を偽造したこと、 政府をだまし取ったこと、さらに蔓延したステロイドとコカインの使用で告発されてきてもいます。アシュクロフトはジョージ・W・ブッシュ大統領の1期目で司法長官として務めました。ブラックウォーターは現在「Xe Services」の名前でまかり通ります。

(引用元:デモクラシーナウ!ヘッドライン 05 May 2011)
http://www.democracynow.org/2011/5/5/headlines

オバマ、ヒラリーをはじめシチュエーションルームでジョン・ウェイン流のビンラディン殺害シーンをじっと固唾をのんで見守る高官らの映像が見事に公開されているが、ネイビーシールズの特殊部隊のヘルメットにつけたカメラが肝心のところで20分から25分間ブラックアウトしてライブ映像が途絶えていたことをPBSとのインタヴューの中でCIAのパネッタ長官が明らかにした。つまり、建物の中で何が起きていたか、大統領もその補佐官らもほとんど見ていなかったことになる。またパネッタ氏は、ビンラディン殺害の最終決定は大統領というよりむしろネイビーシールズが下したとPBSに話した。

◇オバマ米大統領は1日夜遅く、アルカイダの指導者で2001年の同時多発攻撃の首謀者とされるウサマ・ビンラディン容疑者を米主導の作戦により殺害したと発表したが、内容に不審な点があるとして、発表直後から「陰謀説」が続々と浮上している。

米政府は、ビンラディン容疑者は米海軍特殊部隊SEALS(シールズ)の隊員に頭部を撃たれたと発表。ただ同容疑者の遺体が直ちにアラビア海で水葬されたことや、政府が遺体の写真公開に消極的であることが、数々の「陰謀説」の発端になっているようだ。

最も話題となっている説は、ビンラディン容疑者は数年前にすでに死亡していたが、米国のアフガニスタン戦争を正当化する道具として、米中央情報局(CIA)が容疑者のイメージを象徴的に利用したというもの。

2005年にテキサス州にあるブッシュ前大統領の農場前で反戦キャンプを行った反戦活動家のシンディ・シーハンさんもこの説を信じる一人。自身のフェイスブックに「最近発表されたビンラディン容疑者の死を信じているなら、あなたはおろか者だ」と書き込んだ。

シーハンさんは、米国が容疑者のDNA鑑定をどのようにしてこれほど迅速に行えたのか、なぜ遺体がただちに水葬されたのか、そしてなぜいかなる映像も公開されないのか、などの不審点を挙げたほか、暗殺されたパキスタンのブット元首相が2007年にビンラディン容疑者はすでに死亡していると主張していたことに言及した。

米国外でも、イランのメヘル通信は「ウサマの死はうそ」と明言。イランの国営テレビは、ビンラディン容疑者の遺体が水葬されたことで「不可解さが増した」と伝え、米国によるアフガニスタン占領の理由として同容疑者の存在が利用されていたと報じた。

アフガニスタンのタリバン勢力はウェブサイトに声明を掲載し、ビンラディン容疑者の死は確定した事実ではないとの見解を発表。米国は「確固たる証拠」を提示していないと述べた。

(引用元:ロイター 2011年5月3日)
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-20938920110505

◇ビンラディン容疑者殺害:悪の権化、英雄…反米でカリスマ
 
1991年の冷戦崩壊後、米国が単独主義的な傾向を強めるのと軌を一にして、ビンラディン容疑者は「反米闘争の英雄」になった。その存在は世界での米国に対する反発や憎悪を映す鏡であり、「民主主義」や「人権外交」を掲げつつ強引な世界戦略を推し進めた米国の「もう一つの顔」をも投影していた。

同容疑者は元は反米ではなく、むしろ米国の側にいた。79年のソ連のアフガニスタン侵攻に伴い、ムジャヒディン(イスラム聖戦士)を助けるアラブ義勇兵として参戦する。ゲリラ勢力を支援したのが米国だった。

91年、米国が湾岸戦争に乗じてイスラム教の聖地があるサウジアラビアに進駐したことに反発、反米に転じる。アフガンで共に戦い世界に散ったアフガニ(アフガン帰還兵)との連携がアルカイダのネットワークとなった。

98年、「ビンラディン」の名が一躍、世界に知れ渡る。アフリカで起きた米大使館同時爆破事件で、アフガンの当時のタリバン政権に保護されていた同容疑者を米国が首謀者と断定、巡航ミサイルで「報復攻撃」したからだ。標的は、かつて米中央情報局(CIA)の資金支援で同容疑者が建設したとされる軍事訓練キャンプだった。若き日の同容疑者が「CIAの先兵」の役割を果たし、同時多発テロにCIAやユダヤ人が関与していたという陰謀論の根拠にもなって いる。

サウジ最大のゼネコンのオーナーだった父親から引き継いだ膨大な資産を闘争の原資にしたとされる。だが本人の生活は質素、物静かでイスラムの戒律に厳格だったと多くの関係者が証言する。息子の一人は英紙に「食事はパンとホウレンソウに少々の肉」と語った。大富豪の地位を投げ捨て反米闘争に身をささげた姿が、イスラム教徒の純真な若者たちを引きつけた面もあったに違いない。

重病説や死亡説が絶えなかった。98年に単独会見したパキスタン紙のラヒムラ・ユソフザイ氏は「つえをついて足取りがおぼつかず、背中に痛みがあると言った」という。会見場所はアフガンの暗闇の砂漠の中。少人数でテントでの移動生活をしていた。「つえの写った写真は使わないよう念押しされた」と振り返る。

同容疑者の用心深さはともかく、偵察衛星などハイテク機器を駆使して追跡していた米国がどうしてかくも長く捕捉できなかったのか。米国は世界での覇権を強めるため、「正義の米国」と対決する「悪の権化」を必要とし、追跡に真剣でなかったとの見方もある。米国をテロ国家と見る向きにも一理ありとすれば、両者の関係はコインの裏表だったのかもしれない。

(引用元:毎日新聞 2011年5月2日)
http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20110502k0000e030060000c.html


最初の写真は世界の新聞のトップ(アルジャジーラの記事より)
最後の写真はとにかくもうこの世に存在しないオサマ・ビンラディン

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