Tepco 危機にお手上げ
◇日本の原子力の最上位:東京電力(Tepco)は福島第一原子力発電所の放射能汚染水すべてをまさか貯蔵できるわけではあるまい、結局は太平洋にどっと投げ出すんだろう
(引用元:ENENEWS 08 August 2013)
◇日本原子力庁・東京電力福島第一原子力発電所事故対策室の金城慎司室長が、「放射能汚染水が福島第一原発から太平洋に流出したことから、福島は緊急事態に陥っている」と語った。
ロイター通信が東京から伝えたところによると、金城室長は「東京電力は、放射能汚染水の流出を防ぐために地中に遮水壁を設けたが、汚染水の水位がこれを上回り、法定基準を超える汚染水が海洋に流出している可能性がある」と述べている。
また、「東京電力による地下水くみ上げ計画は一時的な解決策に過ぎない」としている。
日本政府は、福島原発事故の発生直後に東京電力に対し、緊急措置として放射能汚染水を太平洋に放出することを認めたが、日本の漁業関係者や近隣諸国はこの措置を強く非難していた。
(引用元:イラン日本語ラジオ)
◇日本の原子力のお目付役によると、放射能汚染水が福島第一原子力発電所近くの海水に漏れ出るのを防ぐ戦いに失敗したとして戦いの最中にあるTepco(東電)が"危機感に乏しい"と非難されている。
「福島原発の放射性廃棄物処分をただ東電に任せるわけにはいかない」と原子力規制庁事故対策室の金城慎司(Shinji Kinjo)室長がロイターに語った。「まさに今、私たちは緊急事態にある。」
2011年3月11日の地震と津波によって多くを破壊された福島第一原子力発電所の最下部に毎日400トンの地下水が浸透する。浸透した水は、たまって、太平洋に漏れ出る前に、損傷した原子炉を冷却するのに使われた水と混ざる。
過去2年間、東電は特別がんじょうな造りの貯蔵タンクに超過した水をどうにかうまく吸収させたと主張した、だが、先月末に有毒な水は封じ込められていなかったことを認めた。
福島の浄化に110億ドルの請求額を手渡されたあと財政難に迫られるエネルギー会社は、同時に特殊な化学薬品で発電所周辺の土壌を固めて、海に隣接した発電所の側に突き通せない壁を造る。 だが、硬い外壁は完ぺきではない。その技術が役に立つのは地表より1.8メートル下のみ。
従って、毎日くみ出される以上に増えるので、水は発電所の建屋内にたまり続け、結局は保護されていない下層土と表土に到達することになる。
「壁を造る場合、もちろん水はそこにたまることになる。そして水が上にも横にもいかないし、結局、海に行かないようにする方法は他にない」と幾つかの東電の発電所で働いた核エンジニア、Masashi Gotoはロイターに語った。「従って今、問題は、私たちにどれくらい時間があるか?です。」
有毒な水は三週間以内にあふれ出る可能性があると朝日新聞は報じた。
金城室長は正確なタイミングについて推測するのを拒否した、だが、どんな放射能汚染水もそれが漏れ出る過程は「非常にすみやかに流れ出るもの」だと述べた。
東電は発電所への地下水の流入を減少させるバイバスを建設している。
東電はまた、水位が上がるのを止めるために週末までには放射能のしみ出る量を必要なだけくみ出し始めると約束した。だが、放射能汚染水の貯蔵タンクが85%満タンで、さらに造るでも現在の間に合わせの施設を永久のものに変えるでもはっきりした計画がまるでないとき、会社は限界に直面する。
「新たな処置は汚染水が海に流れ込むのを止めるのに必要です」と金城室長は強調した、彼は2年以上にもおよび続いてきている危機に向かって長期的解決を実行しそこなったとエネルギー大会社を非難した。
東電は、なかなか調査を実施しないし結果を公表したがらないので、太平洋に放出されている放射能汚染水の影響は見積もるのが難しい。
先週、東電は放射性同位元素トリチウムの放出を検査したと発表し、法定限度内だったと言っている。現在、東電は海水のセシウムとストロンチウム検査をする予定で、それは人や環境にとってもっとずっと危険とみなされる。
http://rt.com/news/fukushima-emergency-radioactive-groundwater-073/
写真は、8日に他界した女優のカレン・ブラック
「イージーライダー」もそうだけど、その後のボブ・ラフェルソンの「ファイブ・イージー・ピーセス」これのインパクトのほうが大きかった
あんな目つきができる女優ってそうはいない、たぶんあの時代だから魅力になりえたユニークさ
イージーライダーで一緒にぶっとんだデニス・ホッパーはお先に逝っちゃってるし さよなら!
◇米女優カレン・ブラックが8日、がんのために死去した。74歳だった。
ブラックは、1960年代にオフブロードウェーの舞台で演劇の経験を積み、65年にブロードウェーデビューを果たした。
翌66年にフランシス・フォード・コッポラ監督の映画「大人になれば」で映画デビュー。69年にデニス・ホッパーやピーター・フォンダと共演した「イージー・ライダー」で脚光を浴び、70年にはジャック・ニコルソンと共演した「ファイブ・イージー・ピーセス」でゴールデン・グローブ賞の助演女優賞を受賞、アカデミー賞にもノミネートされた。
彼女のがんとの闘いは長期にわたった。欧州での治療を希望し、そのための費用をインターネット上で募り、数千ドルを集めた。しかしブラックさんの夫が7日、ブラックさんが死去する数時間前に、病状の悪化を理由に渡欧を断念したことを明らかにしていた。
(CNNより)
http://www.cnn.co.jp/showbiz/35035811.html
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